報われないロスジェネ研究者たち





第8回(更新日:2019年2月13日)

梶野相太・42歳

「僕は出木杉君なんかにはもちろんなれず、かと言って、のび太やジャイアン・スネ夫みたいにキャラも立っていなかったんです。単なるモブ・キャラなんです。(注・モブキャラ:群衆を意味するmobから来る造語。主要登場人物以外のキャラクター)」

そう語る梶野相太(仮名:42歳)は、地方私立大学で研究職に就いている。だが、実態は教育メインの職であり、研究活動は全くと言っていいほどできないらしい。

梶野の家族構成は妻と5歳になる男の子の三人家族だ。彼の一人息子は最近ドラえもんにはまっているらしく、その関係で梶野もドラえもんをよく読んでいるとのことだ。

「大人になってからドラえもんを読むと、昔に読んだときとは全く違った感想を持つんです。ドラえもんを読み直してみて、僕みたいな何をしても中途半端な人間は研究者にはなれないんだな、と改めて実感しました。ドラえもんの世界で言えば、出木杉君みたいなのでないと研究者への道を進んではダメなんです。それか、のび太のようなキャラが立ってる人間が『ワンチャン』狙いでトライするか、ですね。」

梶野がそのように言うのには理由がある。

梶野の小学生のときの同級生に、まるで出木杉君が漫画の世界から出てきたのではないかと思うようなクラスメートがいたらしい。とにかく勉強が出来たという。小学生時代は、家が近所だったこともあり、梶野は彼とは何回か遊んだことがあった。

「彼も僕も、中学校は近所にある同じ公立の学校に進んだんです。でも、中学の3年間では一度も同じクラスにはなりませんでした。だから、中学校では結局一度も学外では遊ばなかったと思います。でも、彼は常に定期試験でトップだったので、テストのたびに彼のことは話題に上がっていました。」

その後、彼は某有名高校に進学し、梶野は「ほどほどの」高校に進学した。以来、その「出木杉君のような」クラスメートとは会っていない。

梶野は高校進学後も「ほどほどの」成績であり、そのまま「それなりの」大学に進学した。ただ、梶野は、少なくとも彼の周りにいる人間たちの間では優秀だったようで、子供の頃からサイエンスに興味があったこともあり、大学院に進みバイオ系の研究者となった。

だが梶野は、「自分は大学院に進み研究者になる資質は持ち合わせていなかった」と振り返る。自分が大学院に進めたのは、大学院重点化とポスドク一万人計画の『お陰』で、普通の人にもバイオ系研究者への門戸が広げられたからだと力説する。

ご多分に漏れず、博士号を取った後の梶野は「高学歴ワーキングプア」の荒波で苦労することになった。しかし、梶野の人柄、そして「巡り合わせの良さ」から、梶野は定職に就き今では人並みの生活を送っている。大学院に進んだころに梶野が想像していた「研究者」の姿とは程遠いようだが。

***

話は「出木杉君のようなクラスメート」に戻る。梶野は高校に入ってからは、その旧友のことは全く思い出すことがなかったという。だが、家が近所ということで、お互いの母親同士は時々、年に1回あるかないかの頻度のようだが、スーパー・マーケットなどで会って挨拶を交わすことはあったらしい。

そしてある年末、親に孫の顔をみせるため実家に帰省したとき、梶野と梶野の母は近所のスーパー・マーケットで「出木杉君の母」に会った。「出木杉君の母」は多くを語りたくないように見えたというが、少なくとも「出木杉君」が現在アメリカで研究者をしていることはわかったようだ。

旧友が自分と同じバイオ系の研究分野にいるとのことだったので、スーパー・マーケットから戻ってから梶野は、彼の名前とアメリカというキーワードでダメ元でネット検索をしたらしい。「心のどこかに『彼も高学歴ワーキングプアの状況に嵌って苦労しているのではないか』という下卑た淡い期待があったんですよ」と梶野は苦笑いをしながら言った。

予想に反して「出木杉君」はすぐにネットで見つかった。その旧友は、これ以上ないであろうと思われるレベルでエリート街道を突っ走っていたという。

「30代半ばでアメリカで独立し、毎年素晴らしい研究論文を発表してるんですよ。驚くというか何というか、開いた口が塞がらなかったという表現が適切ですかね。嫉妬とか羨望とか、そういう気持ちすら湧かなかったです。ただただ、彼の凄さを再確認し、改めて自分みたいな普通な人間は研究者の道になんか進んじゃいけなかったんだということを実感しました。やっぱり自分は単にモブキャラだったんだ、と。」

余談だが、ドラえもんには、非公式ながらも有名な最終話があるらしい。ドラえもんのファンが作った二次創作だが、そこでは「のび太」が「ある目的」のために覚醒して世界的に有名な研究者になる。

「僕はのび太でもなかったんです。モブキャラは覚醒しませんから。でも僕は運が良かったですよ。目指すべきでない研究者への道に進んでしまったけど少なくとも破滅はしていないんですから。心の底から本当に良かったと思ってるんです。」

自分の息子がモブキャラでないといいんですけどね、と最後に梶野は笑いながら言った。

執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
 編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。

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