海外ラボリポート



杉村竜一 博士 〜米国ボストン小児病院/ハーバード大学から(2015年06月15日更新)

研究の時流(2ページ目/全2ページ)

ポスドクとしてHarvard Medical School のGeorge Daley研究室に所属することになった。ボストンはサイエンスと情報戦の最先端を行く場所であり、Daley研究室は応用を見据えて幹細胞分野の基礎研究を行うことで世界のトップを走っている。特にヒトiPS細胞からの血球分化誘導や疾病モデルを重点的に研究している。研究室は30人以上のメンバーで構成されており、国籍もアメリカ、ロシア、ヨーロッパ、台湾、中国、インド、日本、韓国とさまざまだ。白人しかいない、或いはアジア人しかいないという研究室とは違う。

研究室は完全放牧スタイルであり、ボスが毎日何度も研究室を練り歩いて口を出すことがない。指示を与えられる機会も少なく自主性が重んじられるので、ボスのガイドを必要とするポスドクは肌が合わず一年以内で出ていくこともある。事実、私と同時期に入ったポスドクは半年ほどで辞めてしまった。しかし全ての実験の方向性をボスが操るマイクロマネージメントな研究室での業績は自分の仕事と言い難く将来につながりにくいので、このような放牧環境はある意味ありがたい。

研究室の予算は潤沢で、ラボのネームバリューのおかげで共同研究がしやすい。Daley博士はHarvardの「偉い教授」(endowed professorという肩書きを持っている)にあたり、そのお蔭か多くの学生が門を叩く。そこから優秀な学生を選べるので、中には下手なポスドクより論文発表の業績を獲得し、卒後すぐにPIとして研究室を主宰するものもいる。ポスドクの中には学生時代に一流誌に論文が掲載された者も一部いるが、それ以上にDaley博士が信頼できる筋の研究室出身であることが求められるようだ。このいずれか或は両方を満たす場合、ポスドクとして研究室に来る際にフェローシップのような自己資金持参を求められることは少ない。周囲の有名研究室が、ポスドクにはフェローシップ持参を求める例を数多く見てきているので、これは意外だった。

幹細胞分野は競争が激しくまた生化学や分子生物学と異なり厳密なアッセイ系を欠く側面もあり、残念ながら再現性のない研究も少なからず存在する。非常に独創的に見える仕事においてさえ再現がとれず悪評ばかりに満ちた論文もある。Daley博士はそういった報告を追試して分野のクオリティコントロールに活躍することがある。例えば韓国の黄禹錫氏のES捏造事件に使用された細胞を解析し、2007年にScience誌に結果を報告した。他者の報告を追試しその結果を報告するスタイルをとる同様の研究者に Irvin Weissman (Stanford University) やSean Morrison (University of Texas Southwestern)がいる。前者は造血幹細胞が勝手に神経に分化するという報告を追試しこれを否定した。後者は造血幹細胞の同定法や維持機構の報告を次々と追試し当時主流であった定説を覆した。

大御所と呼ばれる研究者が他人の仕事を否定するのだから権威主義という見方もできる。しかし他者の報告の追試はエネルギーを必要とし、人材も資金もそろった巨大研究室でないとできない。独創性やインパクトを狙い過ぎたことによる再現性の乏しさは、昨今の取り下げ論文の増加を見ると、あながち幹細胞分野に限った問題ではないかもしれない。事実、1975年以来、捏造による論文の取り下げ数は10倍になっている。独創性に富んだ大発見を求めるのは人の常であるが、研究の質が伴っていなければ意味がない。そして時の試練を生き残った本物の報告こそが新しい時流へとつながる。


『時流を作るということ』

Daley研究室に来た初日、全員のインキュベーターに当たり前のようにiPS細胞が並んでいるのを見て、これが時流を作り出すということだと実感した。2006年のiPS細胞の開発から10年以内で、分野のトップ研究室をはじめ世界中で日々使用されている。かくいう私も毎日iPS細胞を扱っている。新たなモデルの開発に近い。ショウジョウバエを遺伝学に使用した開祖のT.H.Morgan博士(1933年ノーベル医学生理学賞)や塩基配列解読方法を発明したF.Sanger博士(1980年にノーベル化学賞)も同様のインパクトを世界に残した。同じく世界に与えるインパクトを与える研究者の一人にMITで研究室を主宰するFeng Zhang博士がいる。彼は30歳そこら、私とほぼ同じ年齢にしてCRISPR-Cas9を用いた遺伝子改変技術のトップランナーである。彼は今年Okazaki賞を受賞し、ボストンではノーベル賞候補だと噂されている。間違いなく時流を作り出している研究者だ。

彼のモットーは「世界にインパクトを与える仕事をする」ことだ。興味のままに成り行き任せで研究を続けるのでなく、これは大事だという先見性を持って仕事を選んでいるようだ。もちろんインパクトを狙い過ぎて質が伴わなければ本末転倒だ。Daley研究室ではある程度インパクトを与える結果がまとまると、投稿前に研究室内外の人々に追試をさせることがある。そこで再現がとりにくく結論を変えることになったり、結局投稿を断念した仕事も複数あるという。時流を作るには先見性と質が求められる。今の自分に先見性があるかというと、単なる知識と興味で動いてしまいがちだ。Daley博士は研究室のミーティング中に「先見性やインパクトや質に欠ける」ものを見るとすぐにパソコンをいじり出すので、わかりやすい。自分の発表や質問中にメールをいじり出されると、もっと先見性を持たんといかんなあ、と思ってしまう。


『メッセージ』

研究にも時流は存在する。ミーハーな流行でなく、分野の論争が一つの答えに収束する過程でもある。後者を体験した自分は時流の力強さを知っている。他と逆をいう事で独創性を捻り出すのではなく研究の質を追究することで新たな時流は作られる。時流に乗ったり逆らったりという次元を超えて「世界にインパクトを与える」つまり時流を作るには、先見性とサイエンスの高い質が求められる。ボストンにある有名研究室は内外の競争が激しいが、サイエンスが進展する現場に遭遇できるので、場所さえしっかり選べば留学はおすゝめである。


***注釈***
これまでの留学体験記
■週刊医学界新聞2013年 海外の大学院博士課程で基礎医学を学ぶ
 https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03018_02
■週刊医学界新聞2010年 基礎医学で米国留学,3年目の振り返り
 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02890_03

2015.7.21追記:
■実験医学-UJA主催のオンライン記事「留学のすゝめ」:海外大学院留学後のキャリアパス−Visionを持って、早くから準備を
 http://uja-info.org/findingourway/post/1269/

著者略歴
 2008年 大阪大学医学部医学科卒業
 同年より米国ストワーズ医学研究所にて博士課程
 2012年 PhD取得卒業
 2014年より ボストン小児病院ハーバードメディカルスクールにて博士研究員
 基礎科学の発見を臨床に繋げたいと思い大学院留学。幹細胞と分化の研究でPhDを取得した後、
 基礎研究と臨床の接点として細胞の運命決定を操作cell fate engineeringしている。
 サイエンスやキャリアの情報発信としてブログ更新中「すぎりおのがんばったるねん
 e-mail: ryohichi.sugimura@gmail.com


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