研究者インタビュー



2015年05月18日更新

メハリー医科大学 嶋本晶子 助教授

メハリー医科大学はアメリカ・テネシー州のナッシュビルにあります。今回、メハリー医科大学で慢性ストレスが脳におよぼす影響を研究している嶋本晶子先生にお話を伺いました。

嶋本先生は6年間のポスドク生活を経て、ここメハリー医科大学で研究室を主宰するようになりました。研究室のPIとして独立するまでには様々な苦労がありました。そのような困難に負けず、アメリカで独立して研究をするという大変に難しい道を力強く進んでいる嶋本先生のメッセージは、様々な研究者を元気づけてくれるのではないかと思います。


Q. 嶋本先生は現在どのような研究をされていますか?

慢性ストレスが脳機能に及ぼす影響を研究しています。慢性ストレスは様々な精神疾患の起因となります。慢性的にストレスに曝されると、私たちの体や脳はそれらの状況に対して正常な機能を維持出来るよう適応能力を獲得します。ところがこの適応能力の獲得には個人差や性差があることが動物実験などから明らかになっていて、適応能力の度合いによって異なった精神疾患に罹患する可能性が考えられています。

私の研究室では、慢性ストレスがどのような脳内メカニズムで個人差や性差をもたらすのか、そしてそれが鬱や薬物依存などの精神疾患とどう関係しているのかを研究しています。近年、非神経細胞 (グリア細胞やミクログリアなど)は精神疾患との因果関係が解析されつつあります。そこで私は、ドーパミンやグルタメートといった神経伝達物質の動向を中心に、それら非神経細胞 (グリア細胞やミクログリアなど)に焦点を当てて研究を進めています。


嶋本先生の研究室の様子


Q. なぜ研究者の道を選んだのでしょうか?

そもそも研究者の道を選んだのは父の強い意志によるもの、アメリカでチャレンジしてみたいというのは私の強い意志によるものです。高校生の時から化学や生物は得意だったので、大学で理系学部に進むことは自然な流れでしたが、そのあと何をしたいのか正直当時は夢が全くありませんでした。薬物依存がどうして起こるのか興味はありましたが、どこの大学院に行けばそういうことが勉強出来るのか、そういう情報をどうやって得ればいいのかすらわからなかったので、とりあえずそれに近いことをやっているであろう法医学教室のある大学院に進学することにしました。

大学院での研究は楽しかったです。そこで学位も取得し、関連の教室に助教として勤務しました。しかし、やはり薬物依存の研究を本格的にするにはアメリカに行く方がいいだろうと思い、NIHのフェローシップを取得してボストンにある大学のラボでポスドクとして研究を始めました。


Q. 現在所属しているメハリー医科大学を選んだ理由は何でしょうか?

ボストンでポスドクとして研究をしていた時、メハリー医科大学でAssistant Professorの公募がありました。そこに応募をし、2回にわたる面接の後で仕事のオファーを頂いたというのが現在所属している場所で研究をしている直接的な理由です。

日米両方で助教(あるいはAssistant Professor)の採用面接を受けた経験から言うと、アメリカで このポジションを得るのは日本ほど簡単ではないように思います。1つのポジションに100名以上の応募があることも珍しくない状況で、まずは書類選考の段階で5名ほどまで絞られます。応募書類は、自分の履歴書や自分のことを良く知っている教授からの推薦書が含まれますが、その推薦書は非常に詳細な記述が求められ、しかも通常は最低3通の推薦状を準備しないといけません。実は私は書類選考の段階で数10校ほどの大学で落とされました。

初めて面接に呼ばれたのが今の大学です。1次面接は2日間かけて行われました。まず、そこに在籍しているありとあらゆる教授や学生たちと面接を行いました。それぞれ30分から1時間程度の個人あるいはグループ面接でした。そのあと、1時間程度で自分の研究内容を発表しました。数ヶ月後に呼ばれた2次面接での研究発表では、1時間枠のところ相次ぐ質問のために2時間という長丁場となりました。アメリカではAssistant Professorになってやっと半人前という感じなので、ここまで来てやっとスタートラインに立ったという具合で、ここからが本番です。


嶋本晶子先生(ナッシュビルにて)


Q. これまでの研究生活で辛かったことは何ですか?

今のポジションを得る前までのボストンでの6年間のポスドク期間のうち、最後の3年間は精神的にも経済的にも体力的にも本当に不安定できつかったです。まず、渡米したのも既に30代半ばでしたし、始めた研究を遂行するには新しい知識や概念を勉強し直す必要がありました。周囲のポスドクたちは2-3年のアメリカ滞在で母国でのファカルティのポジションを得て帰国したため、自分だけが取り残された気分になることもしばしばでした。

ですが、その代わりに、ラボの大学院生たちの実験指導を担当したり学部生の講義を担当したりすることで、コミュニケーション力や院生指導力などを培うことが出来ました。そして、これらの経験が今のポジション獲得に大いに役に立ったと思っています。そのため、今となってはあのポスドク時代はアメリカで戦っていくために必要な訓練だったと思っています。自分のなかではこのポスドクの6年間は第2の大学院時代だったと言っても過言ではないです。


Q. 最後に、高校生・大学生・大学院生へのメッセージをお願いします

日本以外の国でしばらく過ごしていると、日本にいた時に自分が考えていたことや実行していたことがいかに一元的なもので多様性に欠けていたが見えてきます。それが悪いわけではないです。でも日本にいると、自分たちの基準が正しいという錯覚に陥ります。そして残念ながらそれは真実ではありません。

私たち人間は異なる宗教観や倫理観、道徳観を持つ同志の集合体です。サイエンスのいいところは、そういった差異に揺さぶられずに協働して物事を究めていったり何かを一緒に成し遂げたりすることが出来るところだと思います。それにはとてつもない困難を伴いますが、と同時に素晴らしいものを創造する機会に恵まれることでもあります。日本にいてはそういう経験はあまり期待できません。なので、一旦自分の枠から離れて殻を破って海を越えて挑戦してみるというのはいいことだと思います。大変ではありますが。


(インタビュー:シュランク奈津子)

嶋本晶子 助教授
 メハリー医科大学
 http://www.mmc.edu/research/researcher-profiles/shimamoto-akiko.html

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