研究者インタビュー



2015年05月22日更新

ライドス バイオメディカル リサーチ (フレデリック国立がん研究所) 今道友純 主任研究員

フレデリック国立がん研究所で、主任研究員としてご活躍中の今道友純先生にお話を伺いました。先生の研究室はアメリカ・メリーランド州フレデリックにあります。フレデリックは、しゃれた雰囲気の店と歴史ある教会が立ち並ぶダウンタウンと、その周囲を牧場や農場が取り囲み牧歌的な景色が広がる素敵な街です。その街中にフォート・デトリックというフェンスで囲まれた軍事施設があり、意外なことにはその中に先生の研究室を含め、米国国立衛生研究所の一部の研究室があります。軍事施設だけあって、中に入るにはゲートで拳銃を腰に下げた軍人から厳しいチェックを受けました。慣れないやり取りに緊張したままゲートを抜けると、そこにはフェンスの外となんら変わらない、のどかな風景がありました。

今道先生はこれまでの研究生活の中で、幼少時からの夢を諦めた時があったそうです。日々の研究生活の中で、たとえ小さな発見でも実験結果がでればわくわくし、楽しいものですが、思うように進まなかったり、論文にまとまらなかったりと、多くの研究者がそうした辛い時期を経験されたことがあると思います。将来が不安になり、研究を続けることに悩む時もあると思います。そうした時に結果が出ないまま研究を続けることも、研究を断念して他の道を探すことも、どちらも辛いかもしれません。今道先生はそうした辛い時期に自分が本当にやりたい研究とは何かを再認識し、そのことが今の研究につながったとお話されました。

フォート・デトリックを去る時に、入った時とは別のゲートに向かう途中で桜並木が続き、ちょうど満開の桜が私を見送ってくれました。意外に思われるかもしれませんが、メリーランド州では桜の木をあちこちに見ることができます。自分が予想もしなかったことが、人生では起こります。今、自分が進む道に迷い悩んでいる方の心の中に、いつか満開の桜が描けることを心から願っています。


Q. 今道先生は現在どのようなご研究をされていますか?

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染し、従来の薬剤療法(化学療法)では治療が難しい患者さんを救うために、免疫療法を取り入れた新規治療法の開発を行っています。アメリカでは現在 HIV の感染増殖を有効に抑える26種類の抗 HIV 薬があり、患者さんに処方されています。この26種類の薬の中から3〜4種類の薬を混ぜた混合薬剤治療が主に行われており、その治療法が有効な患者さんは生涯この治療を続ける事で健常者とかわらない日常生活を過ごせます。

ところが、ある比率で不運にも耐性の HIV が出現してしまう事があります。このような薬剤耐性HIVが出現した際には、薬の組み合わせを変えて別の処方箋で治療が続けられます。しかしながらこの処方箋の変換を繰り返す事によって最終的には全ての薬に耐性がある多剤耐性 HIV が体内に出現してしまい、従来の薬剤療法では治療困難になってしまう患者さんがいます。2011年の資料ですが、アメリカ全土で HIV 感染者およそ120万人のうち、約1割の患者さんが何らかの理由でこの多剤耐性 HIV の出現により治療困難になっています。私のグループではこのような患者さんを救うために、多剤耐性HIVを患者さんの血液から採取して、免疫学の方面から新しい治療法の開発を進めています。


Q. 現在先生が取り組んでいらっしゃる、新しい HIV 感染治療法の開発について教えてください。

マクロファージという体内の貪食細胞に HIV が感染すると、長期に渡って HIV 産生細胞となってしまう事が知られていますが、ある化合物を添加して試験管内で培養すると、そのマクロファージが HIV の感染に対して耐性になることを見いだしました。さらに驚く事には、このマクロファージが HIV だけでなく他のウイルス、C型肝炎ウイルスやヘルペスウイルス、インフルエンザウイルスの感染に対しても抵抗性を示すことが明らかになりました。この感染耐性の仕組みを明らかにすることで、この化合物やその関連物質を使って新しい免疫療法の開発に繋がればと考えています。


Q. これまでの研究活動の中で、苦労したこと、辛かったこと、または嬉しかったこと、楽しかったことは何ですか?

研究生活の中で一番辛かったことは、研究が思うようにはかどらず、自分がたてた人生の目標を諦めざるをえなくなったことでした。私は研究者であった父や叔父の背中を見て育ち、幼少の頃から将来は独立した研究者/教授になるという夢がありました。大学で学位を習得後、アメリカにポスドクとして留学し、業績を挙げて日本に帰ってその夢を実現させるつもりでした。しかしながら、その留学期間中に思うような成果が挙げられず、論文にまとめられない=(イコール)論文がだせない=独立した研究者になれないという、研究の世界での一種の方程式に従い自分の夢を諦めざるをえなくなりました。 そして、自分のアイデアで研究を進める研究者になることではなく、ボスのアイデアのもとで研究をする研究員として人生を再出発させると決めた時が一番苦しかった時でした。

そして一番楽しく嬉しかったことは、夢を諦めて就職した米国政府機関関連の研究所で、臨床検査博士研究員として当時のボスの指示で日々のルーチーン作業を行っている過程で、とてもユニークな薬剤耐性を示すHIVの変異株を、HIV感染患者さんの血液から偶然見つけた時でした。その変異株が新規の薬物耐性を示すことを明らかにし、その耐性機構と変異発生の機構を解析して論文を発表しました。この論文が人生で初めて自分が一からプロジェクトを創りだし、まとめあげたものです。この論文が私の人生のTurning Pointになりました。今にして思うと、ポスドク時代の苦労があったからこそ今の私の研究があるのだと思っています。


Q. 研究生活で辛かった時のことを振り返って、今はどのように思われますか?

私が若い頃は、「研究=論文を出すこと」に走りすぎて自分の本当にやりたい研究が何かわからないまま研究に携わり、「研究のための研究」をやっていたように思います。研究社会では「論文が出ない=研究者を諦める」という現状があります。しかし私は、論文が出ずに苦労していた時に、自分が本当にやりたいことは人の生命に関わるような研究であることを再認識し、今の道が開けたと思っています。

私の経験を元に言えることは、進展がない時にこそ、めげずにやり続け、そして突然訪れる「発見」に対して準備していることだと思っています。うまく仕事が進展しない時の方がBreak throughのチャンスがあると思っています。そして、不思議なもので続けていれば、必ず誰かが見ていて助け舟をだしてくれるものです。研究は一人でやっているように思えますが、多くの人の助けがあって進めているものです。ですから、成果が挙がらない時は辛いかもしれませんが、チャンスだと前向きに考えるべきだと思っています。


Q. 貴重なお話をありがとうございました。最後に、将来研究者を目指す高校生・大学生・大学院生へメッセージをお願い致します。

将来は研究者になりたいと思っている方は、どんな研究者になりたいと思っているのでしょうか?残念ながらどんなに頭が良くて優れたアイデアがあっても、実験技術が未熟では芳しい結果はだせません。また、どんなに実験技術が秀でていても、独創的なアイデアがなくては独立した研究者にはなかなかなれないのではないかと思います。ですが、独創性はなくても、実験技術と実験のアイデアがあるならば、正しい指導者の元で研究を続けることで研究者として成功することができると思います。

学生時代に一番大切なことは、自分がどのタイプの研究者であるかを見抜く事だと思います。自分の適性がわかれば、自分の進む道が自ずと開けてくるのではないでしょうか。また、論文を読む時に大切なのはその内容を理解することですが、どうやってその論文に書かれている発見がなされたのかを学ぶことも、将来の自分の研究の発展につながると思います。


(インタビュー:今清水真理)

Tomozumi Imamichi, Ph.D.
 Leidos Biomedical Research inc. / Frederick National Laboratory for Cancer Research
 http://ncifrederick.cancer.gov/programs/science/csp/contacts.asp?labid=10

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