研究者インタビュー
Tweet2015年06月29日更新
コロンビア大学 矢澤真幸 助教授
米国コロンビア大学でご活躍中の矢澤真幸助教授にお話を伺いました。先生は米国スタンフォード大学で博士研究員としてご経験を積まれた後に、コロンビア大学にご栄転されました。コロンビア大学はニューヨーク市の中心部、マンハッタン区にキャンパスがあります。ニューヨークは言わずと知れた大都会で、世界中から人が集まる街ですが、コロンビア大学のように歴史がありレベルが高い大学も多く、たくさんの優秀な研究者が集まる場所でもあります。
インタビューの中で、矢澤先生が博士研究員の時に、先日インタビューをお願いしたジョンズ・ホプキンス大学の井上尊生先生(http://biomedcircus.com/special_04_06.html)から大きな影響を受けていたことを知り、驚きました。井上先生はインタビューの中で、スティーブ・ジョブズの言葉を引用して「予測不可能な点と点のつながりの重要性」について言及されましたが、私の頭の中でまさしく点と点がつながった瞬間でした。尊敬できる人との出会いも重要ですが、たとえ面識のない人の言葉であっても、力のある言葉、胸に響く言葉は、自分の生き方に大きな影響を与えることがあると思います。これまでインタビューをお願いした先生方は皆、心に残る力強いお言葉を与えてくださいました。そうした力のある言葉が、同じ道を目指す方々の糧となり励みとなり、また新たな点につながれば幸いです。
Q. 矢澤先生は現在どのようなご研究をされていますか?
学生の時にスポーツ好きが高じて研究に取り組むようになったこともあり、骨格筋や心臓の発生や機能、さらにはそれらの疾患について研究をしています。将来的に臨床やリハビリテーションで役立つことを目標にした基礎研究です。主に患者さん由来のiPS細胞を樹立して筋細胞を作成することで、細胞分化の仕組みの解明、希少な遺伝性疾患の発症メカニズムの解明や新規ドラッグの探索を行っています。また、ラボの立ち上げが落ち着いた現在では、 基礎研究に幅広く役立つようなツール開発にも力を入れています。
Q. 現在のご研究テーマの何が重要かを教えていただけますか?
大手の製薬会社などがターゲットにしない希少な疾患に取り組むことで、将来的には患者さんとそのご家族の希望となるような成果を出したいと望んでいます。また、このようなアプローチが、近い将来の個別化医療の実現にむけて非常に重要な知見を集めることと期待しています。つまり、私たちの研究テーマは、患者さん個々への薬の効果や副作用の違いをより明確にして、どの患者さんにも適確な医療を提供できるような新しい医療体制の土台作りにつながっていきます。遺伝学、薬学など数多くの分野が協力して取り組んでいる一大テーマです。最近では米国オバマ政権もこの流れに沿い、Precision Medicineの確立に向けた研究支援体制を訴えています。
Q. 先生の小さい頃の夢は何でしたか? また、いつ頃から研究者になりたいと思われましたか?
小さい頃はプロ野球選手になるのが夢でしたが、 研究者という職業に魅力を感じるようになったのは、理科、特に化学や生物が好きになった中高生の時だったと思います。当時の先生にはとても感謝しています。
小中高と東京区内に住んでいましたが、父の実家がある長野の果樹園でよく休暇を過ごしていたため、環境問題や、果物や樹木が育つ仕組みに興味をもち、 大学では農学部に進みました。その時には将来研究で食べて生きたいと強く思っていましたが、入学直後からサイクリング旅行や自転車ロードレースに入れ込み、授業もそこそこに切り上げ、毎日アルバイトやトレーニングに時間を使い、そしてお金が貯まれば自転車部品を購入し、レース遠征やサイクリング旅行三昧の日々でした。今思えば、留年しなかっただけよかったものです。大学4回生のときには、自身の競技レベルの向上のため、学内の運動生理学の研究室に参加させてもらい、栄養学や筋神経の生理学の勉強に没頭するようになりました。
農学部においても指導教官や先輩たちの理解やサポートもあり、運動生理学と農経済 、バイト、ロードレースと目の回るような忙しい日々でしたが、とても充実していました。その結果、全日本大学選手権で繰り返し入賞できる力が付き、修士課程の1年目は進路を保留するかたちで、運動生理学研究室の先生・先輩方に迷惑をかけながら、学生兼実業団の選手として自転車ロードレースに集中させてもらいました。しかしながら、学生のレースで入賞はするものの結局大きな大会で優勝することもなく、プロとしては難しいだろうということでレースから引退することとなり、精神的にも肉体的にも非常に不安定で辛かったことを記憶しています。ただ、研究室の先輩たちもそれぞれ ウインドサーフィンやアメフト、剣道や野球などで同じような経験を経て博士課程の研究に打ち込んでいた方たちだったこともあり、その後自然と先輩たちに追いつこうと研究の日々に楽しみを見出すようになりました。
自転車競技が個人種目ということもあり、日々のトレーニングメニューは自分で決めてはその効果を試していたので、 自転車での「計画、実行、分析、そして次の計画」という経験をそのまま実験中心の研究生活に活かすことができたことはとても幸いでした。その後は海外で独立したいと思い、学位取得後はポスドクとして米国スタンフォード大学で経験をつみ、現在のコロンビア大学へとつながっていきました。
実は、このシリーズのインタビューを受けているジョンズ・ホプキンス大学の井上尊生さんとは数ヶ月間スタンフォード大学でポスドク時期が重なっています。私がポスドクとして留学した時には井上さんの独立が決まっていて、すぐにボルチモアへ出発するタイミングでした。スタンフォード大学に所属している多くの日本人ポスドクが、望むも米国の大学で独立職を獲得するのが困難な中、何故井上さんや他の数名の人たちだけがその機会を得られたのかをポスドクの1年目から考えるようになったことで、ポスドク時代に研究者としての過ごし方に大きな変化がありました。
Q. 現在のご所属先を選んだ理由を教えてください。
ニューヨークにあるコロンビア大学はいくつも出していた公募の一つでしかなく、面接に呼んでもらえたときは「ニューヨークで美味しいご飯でもご馳走になろう」という程度の非常にやましい考えしか正直ありませんでした。さらには友人たちの話から、カリフォルニアでの生活に慣れた子供たちと一緒に住むには、マンハッタンのような都会は難しいだろうと思い込んでいました。しかし、一回目の2月末の面接で訪れたときに、朝夕にキャンパスや宿泊していた近辺を散歩していると、寒い中公園で元気に遊んでいるたくさんの子供たちに気づき自分の子供時代を思い出しました。2回目の4月頃の春の面接では、ニューヨークの公園の樹木がカリフォルニアの乾いたものとは異なり、とても活き活きとした瑞々しい印象を受け気持ちがよかったことが思い起こされます。
カリフォルニアでの生活ですっかり忘れていた四季を感じたことで、それまで全く思い描けなかったニューヨーク、コロンビア大学を中心とした生活がぐっと現実味を帯びてくるようになりました。さらには、面接にあったチョークトークというファカルティ(教授陣)のみの将来の研究計画のプレゼンの際には、それぞれのファカルティが建設的かつ好意的に私のプロジェクトが将来うまく進むように考え、議論をしてくれていることを強く感じることができ、ここであればこれからも多くの人に支えられながらさらに飛躍できるだろうと思ったことが大きな決め手になりました。また、家族で訪れた面接の際には、妻も子供もニューヨークでの新しい生活を楽しみに思ってくれているのを感じることができましたし、息子がコロンビアの歌を作って歌っていたのを思い出します。面接の間に連れていってもらったレストランはどれも素晴らしく美味しくて記憶に鮮明に残っています。
こちらに来て2年が経った今では、家族みんなでマンハッタンでの生活を満喫しています。便利なもの、新しいもの、美味しいもの、楽しいこと、そしてトラブルも多い、振り幅の大きい新陳代謝の活発な刺激的な街です。
Q. これまでのご研究活動の中で苦労したこと、辛かったことは何ですか?
ポスドクのころ、スタンフォード大学内や学会でのプレゼンを経験しましたが、発表はできるものの、英語での質疑応答がいつも全くできず当時のボスに毎回助けてもらっていたことは、 苦い思い出です。質問を受けてもただ凍りついてボスのヘルプを待って立っていただけでした。留学5年目にジョブハントの面接がスタートしたころに、ふと気がつくと初めて会った人の英語も聴き取りができるようになっていて、日本語での思考も介さずスッと英語で言葉が出てくるようになり、自分でも驚き嬉しかったことを思い出します。ギリギリ間に合って本当によかったと思っています。ただし、今でも気をぬくと耳がまったく英語の音を受け付けないことがあります。これは集中するにはたまに便利なこともありますが、英語については書きものも含めてまだまだ改善しないといけないと痛感しています。
Q. 貴重なお話をありがとうございました。最後に、若手研究者へのメッセージをお願いします。
日、週、月、年と様々な時間軸で自身の研究についての計画 、目標を設定することが大事になってくると思います。なんとなく実験などに忙しい日々を過ごしていればいいほど、研究の世界は甘くはありません。そして、たくさんの情報が溢れる時代だからこそ、一旦携帯やコンピューターを消して、ノートとペンだけを持って自分の研究が今どの段階にあって次に何をすべきかをじっくり考える時間をつくることが必要であると感じています。私の場合、実際はノートと黒と赤のペンに加えコーヒーも一緒ですが、この時間を重宝してきました。この週に1時間程度の時間のおかげで、いくつもの困難な状況を冷静に乗り越えることもできましたし、新しいアイデアが溢れるもっとも楽しい時間となっています。情報過多だからこそ、自分自身としっかり向き合う時間を大切にして欲しいと思います。
大きな志を持っていても、急に高みに到達するのはとても難しいですが、まず身近なひとをモデルとして、自分ができること・できていないことを明確にして一歩一歩進み成長することが実際には一番の近道だと思います。 急に大きなジャンプはできませんし、突然無理をすると肉離れのようなしわ寄せが返ってくるものです。散歩のついでに誰も富士山に登らないのと同じことです。私がスタンフォード大学でポスドクをしていた時に出会った井上さんとは、同じラボだったわけでも何かを一緒にしたわけでもなく、少し話をした程度でしたが、私のポスドク留学中の過ごし方、そしてコロンビア大学で主任研究員として独立する上では欠かせないラッキーな出会いでした。みなさんにもそういった出会いがあることを願っています。
(インタビュー:今清水真理)
Masayuki Yazawa, Ph.D.
Assistant Professor
Columbia Stem Cell Initiative
Department of Rehabilitation and Regenerative Medicine
Department of Pharmacology
College of Physicians and Surgeons, Columbia University
http://vesta.cumc.columbia.edu/stemcell/facdb/profile/profile.php?id=my2387