研究者インタビュー



2015年09月21日更新

製薬ベンチャー@アメリカ 田中幸成 博士

今回はアメリカの製薬ベンチャーで働く田中幸成博士(仮名)にお話を伺いました。

田中博士は日本で博士号(薬学)を取得したあと、アメリカでポスドクとして留学されました。7年間のポスドク生活を経て3年前にアメリカにある某製薬企業に研究職として入社します。アカデミアのポスドクからインダストリーの研究職へと転職した際は色々な葛藤があったようですが、そこで色々なことを経験したことで自分の視野が格段に広がったようです。

今回は、所属とお名前を伏せた状態でのインタビューですが、様々な困難を乗り越えてきた田中博士の前向きなお言葉は、きっと多くの人を元気づけるのではないかと思います。


Q. 田中博士が研究の道へと進んだキッカケを教えてください。

最初のキッカケは、小中高の国語と社会が苦手だったことです。特に国語の古文・漢文はチンプンカンプンで、社会科に関しては地名・人命・年号が全く覚えられませんでした。そのため、文系に進むことは不可能で、理系を選択して大学受験に臨みました。薬学部を選んだのは薬剤師であれば、きっと生活に困ることはないだろうという理由からだったのですが、大学で研究室に配属されてから研究の楽しさに感激し、そのまま何となく研究の道を進むことになりました。

ただ、おかしなもので、学生時代はあれだけ苦手だった「歴史」に今は興味があります。アメリカにいて少し離れたところから日本を見たことも影響しているのかもしれませんが、特に日本の歴史については色んな本を日本から取り寄せて読んでいます。学校の「歴史」は単なる暗記科目だったのですが、今は「歴史」は人生の教科書と言っても差し支えないくらいになっています。


Q. アカデミアのポスドクからインダストリーに移られた理由を教えていただけますか。

これも後ろ向きな理由で恥ずかしいのですが、アカデミアでの独立ポジションが取れなかったのが主な理由です。業績的には、「スーパーすごい」というわけではないのですが、独立することは十分に可能なレベルだったと思います。実際に、同じラボから独立PI(Principal Investigator:ラボの主宰者)になった人は何人もいます。自分はいくつかの大学にアプライしたのですが、惜しいところまでは行くものの、オファーはもらえませんでした。

心が折れた、というところまではいってませんでしたが、アプライした大学からNoの返事をもらい続けているうちに、気持ちがだいぶへこみました。そんなとき、ふとしたキッカケで、今の会社から声がかかり、何回かインタビューをした結果、向こうもこちらもお互いを気に入って、入社することになりました。

アカデミアに未練なんか全くない、とは言えないかもしれませんが、今の生活には満足しています。自分の担当している研究プロジェクトは面白いですし、仲間にも恵まれ、毎日楽しく暮らしています。あと、下世話な話で恐縮ですが、お給料などの待遇もポスドク時代とは比べものにならないので、あのときインダストリーへの道を選択したことは間違いではなかったと思っています。


会社内にあるくつろぎスペース


Q. アカデミアからインダストリーに移られてどうでしたか?

実験そのものに関しては、分野的に大きく変わらなかったので、それほど問題はありませんでした。ただ、研究の進め方はアカデミアとインダストリーでは違うことが多いので、はじめは少し戸惑いました。でも、その違いは自分としては非常に興味深かったので、インダストリーでの研究の進め方は楽しく学んだ気がします。

インダストリーで学んだことをアカデミアで実践できれば、色々な面で物事を有利に運べただろうなと思うことが多々あります。ポスドクをしているとき、もっと言えば学生の間から、会社で働いている人などと話をして幅広く物事を吸収しておけばよかったと思います。かつての自分の視野の狭さに腹立たしく思うこともありますが、将来の自分が今の自分に腹立たしく思わなくてすむように、今は自分の視野をできるだけ広げられるように頑張っています。


実験室の様子


Q. 今の製薬業界についてどうお考えですか?

私はこの業界に入って日が浅いのですが、なかなか難しい状況にあるなと思います。テクノロジーの進歩が早いので、5年前・10年前に主流とされていた創薬研究のアプローチが今では時代遅れでほとんど見向きもされないということもあります。製薬企業の吸収合併も一段落し、今後は「大企業」と「ある専門分野に特化したベンチャー企業」しか生き残れないような日が来るかもしれません。実際はそんな極端なことにはならないと思いますが、製薬会社は自分が勤めている会社も含め、どの会社も何があってもおかしくないので、いつも色々な選択肢を頭に入れて、どのように生きるのが最も自分の生存確率が高くなるかを考えています。

とは言え、今やっている仕事をきちんとこなしつつ周りとのコネクションを大事にしていれば、仮にリストラされても次の職はきちんと見つかるだろうな、楽観的に考えています。私の周りにも、博士号保持者のリストラ経験者は何人かいますが、みな明るく毎日をエンジョイしていて、リストラにあっても無職のまま音信不通になる人はいません。前向きに生きるのが重要なんだと彼らを見ていると思います。


Q. 最後に、研究者を目指す高校生・大学生・大学院生へのメッセージをお願いします。

自分もそうだったので偉そうなことは言えないのですが、日本の学生は「待ち」の姿勢でいる人が多いように思います。日本では「人生のレール」が敷かれていて、そこをいかに上手く進んでいくかが大事なように思います。そのためレールから外れない、別の言い方をすれば、「ミスをしない」ということに日本の学生は非常にセンシティブになっているような気がします。

研究者になろうとする学生ですら、周りから何かを与えられることが当然と思っていて、与えられることを無難にこなすということに自らの能力を特化させているように感じます。もちろん、自分に与えられた仕事をきちんとこなすことは重要で、日本人はその能力は非常に高いです。ただ、研究者として生きていこうと思うのであれば、自分に与えられた仕事を正確にこなせる知識・経験を獲得するだけでは不十分で、新たな研究テーマなり仕事なりを創出していけるようにならないといけません。

このことは言うのは簡単なのですが、実践するのは難しいです。私自身も、まだまだ勉強不足なことが多いので、このインタビューを読んでいる学生さんと一緒に勉強していこうと思っています。


(インタビュー:田村かなこ)

Yukinari TANAKA, PhD
 Team Leader

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