読書感想文:「ポストドクターの正規職への移行に関する研究」を読んで



その5(更新日:2014年8月4日)

数値

いわゆる『ポスドク問題』は、ポスドクのポジションにいる研究者が不安定な立場のまま、本来の力を発揮できずに使い潰されることにあります。しかし、『ポスドク』の実態については不明な点が多く、ポスドクに関する『数値』は表に出ないまま、『ポスドクは悲惨だ』という印象だけが人々の頭に刷り込まれていっています。

そのため、本連載で取り上げている『ポストドクターの正規職への移行に関する研究(http://www.nistep.go.jp/wp/wp-content/uploads /NISTEP-DP106Fullj.pdf)』は、ポスドクの実態をきちんと数値で表そうとしている点で意味のある試みだと言えます。

しかしながら、数値に基づく結論は、その結論が客観的なものだと捉えられるため、仮に内容に間違いがあった場合には、その間違いに気づかれる可能性が低いまま誤ったメッセージだけが広がります。そして、この報告書には、そういった「間違い」と言わざるを得ないような箇所が散見されます。

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さて、本報告書のメイントピックは、その報告書タイトル『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』にあるように、「ポスドク」が「正規職」へどのくらい移行しているか(出来ているか)を明らかにすることです。

本報告書における「正規職」は「“常勤”かつ”任期なし”」と定義されています。(この定義に関して私は疑問に思うことがあるのですが、とりあえず今回は「正規職の定義」に関しては触れません。この点は次回以降に取り上げる予定です。)

以下は本報告書の25ページ目にある図です。

(クリックで拡大)

この図は、平成21年(2009年)4月〜平成22年3月にポスドクであった人が平成22年(2010年)4月にどの職にいたかをまとめたものです。(ただし、平成21年4月〜平成22年3月にカウントされた人でも、平成22年4月の時点で追跡不能となった人は除いています。また、60歳以上の人は除いています。)

そのため、この図のタイトルは「図表4 転出・移動後の就業形態と任期の有無」とありますが、正確には「図表4 ポスドクの継続状況および職種変更後の就業形態と任期の有無」とすべきではないでしょうか。細かい点かもしれませんが、このような不注意等による「表現の不正確さ」は本報告書の至るところに見られます。

さて、図の内容そのものを見ていきましょう。先ほども触れましたが、図そのものは一見すると何の問題もないように感じます。この報告書では「常勤&任期なし」を正規職としており、その条件に当てはまる数値を見ると6.3%(857人/13,558人=0.06320...)なので、「ポスドク」から「正規職」への移行は低いという結論も強ち間違っているようには見えません。

しかし、この「常勤」&「任期なし」に当てはまるような職とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。残念ながら、本報告書にはこの点に関する詳細なデータはありませんでした。

何度かお伝えしたように、本報告書で利用している「ポスドク・データ」は、『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査−大学・公的研究機関への全数調査(2009年度実績)(http://data.nistep.go.jp/dspace/bitstream/11035/930/7/NISTEP-RM202-FullJ.pdf)』のものです。

そこで、そちらの『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査』の報告書を細かく見てみました。この『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査』は219ページあり(本連載で取り上げている報告書は38ページ)、かなり細かい値まで記載されています。

以下では二つの報告書のデータを見比べます。そこで、便宜的に本連載で取り上げている『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』を報告書Aとして、その参照元の調査である『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査−大学・公的研究機関への全数調査(2009年度実績)』を報告書Bとします。

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報告書Aと報告書Bを見比べてみると、当然ですが両者で同じグラフ/メッセージはありませんでした(もしあったとしたら、そもそも、報告書Aにあるような調査結果を新たに報告する必要はないので)。しかし、似たようなデータはあります。

報告書Bには2009年4月〜2010年3月にポスドクであった人が次年度にどのような職に就いたかのデータがあります。一方で報告書Aでは、このデータから60歳以上もしくは2010年1月〜3月に新たにポスドクになった人のデータから前職がポスドク以外の人は除かれています。その理由として、「ポスドクから正規職」という点を考える上で、この2つの条件は除いた方がより正確な調査になると記載されています。(60歳が定年であるため)

この点(敢えてオリジナルのデータから一部のデータを除去すること)、私は必ずしも同意はできませんが、特に大きな問題ではないように思います。なぜならば、除いたデータ数はあまり大きくなかったからです。具体的に数値を見てみましょう。報告書Bにおいて該当期間にポスドクであった人の数は17,116名です。一方で、報告書Aに用いたデータは16,624名分です。その差は492名で、除かれたデータは全体の2.9%ほどです。

しかし、より詳細に数値を比較していくとおかしな点に気がつきます。

以下の図を見てください。これは参照元の報告書B(『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査−大学・公的研究機関への全数調査(2009年度実績)』)の166ページ目にある図です。

(クリックで拡大)

これによると、2009年度にポスドクだった人が次年度4月の時点でポスドクを継続していたのは11,938名(69.8%)で、職種を変更したのは3,041名(17.8%)です。また、追跡調査が出来なかった人(不明)は2,137名(12.5%)でした。

追跡調査が出来なかったデータの割合が多いように感じますが、とりあえず今回は触れません。なぜなら、報告書Bの調査結果と報告書Aのデータの間にもっと大きな問題点があるからです。

先ほど述べたように、本連載でその正確さに疑問を呈している報告書A(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』)で使用したポスドクのデータは、参照元の報告書B(『ポストドクター等の雇用・進路に関する調査−大学・公的研究機関への全数調査(2009年度実績)』)にある17,116名から一定条件に当てはまるデータを除いた16,624名分です。

報告書Aでは、次年度4月のデータ数は、不明の者を除く13,558名と記載されています(報告書Aの14ページ目)。すなわち、不明の者は「16,624-13,558」の数式から導きだされる3,066名です。

しかし、これはおかしいです。参照元のデータ(報告書B)では2009年度から2010年度にかけて追跡調査できなかった数(不明の者)は2,137名となっています。しかし、報告書Aでは、参照元の報告書Bから一定の条件に当てはまるデータを抜いたにも関わらず、不明の者は3,066名となっており、その数が参照元の2,137名から929名分も増えています。

私が何か見落としているのでしょうか?そもそも、こんな矛盾点は小さいもので気にする方がおかしいのでしょうか?

両方の質問に対する私の答えはもちろんNoです。

この連載は、『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』の報告書(報告書A)をかなり厳しく批判しています。掲載媒体であるBioMedサーカス.comさんは知名度・影響力も高く、そういった媒体で公の報告書を強く批判することは、ツイッターや匿名掲示板などで無責任に他者を攻撃するのとは違います(この点、BioMedサーカス.comさんには、このような文章を掲載させていただいていることに深く感謝しております)。

だからこそ私は、報告書Aの著者たちへの最低限の礼儀として、この報告書をそれこそ一語一句何度も繰り返し読んでいます。しかし、参照元データ(報告書B)とのこういった矛盾を説明できる何かは発見できませんでした。

では、そういった数値の矛盾は値が小さければ無視してもよいのでしょうか?もちろん、そんなことはありません。結論を数値に基づいて出すというのは、数というものが客観的な性質を有しているために、その数値は常に正確を期すべきです。そうでなければ、数値を基に結論を出す意味がありません。

もちろん、人は完璧ではありません。ちょっとした間違いなら仕方のない部分もあるでしょう。しかし、先ほどの数の矛盾はちょっとしたことでも小さくもありません。

「不明の者」のデータ数は2,137名(報告書B)から3,066名(報告書A)と929名分増えています。一方で、報告書Aは参照元である報告書Bのデータから、「ポスドクから正規職への移行をより正確に把握するため」に、ある一定の条件に合うデータを抜いています。その数は492名分です。ある目的を持って除いた数(492名分)よりも何らかの手違い(?)による差(929名分)の方が大きいとはどういうことなのでしょうか?

報告書Aのデータは本当に正しいのでしょうか?他にも数値の矛盾はあるのでしょうか?実は、こういった数値の間違いは他にもあります。以下の図を見てください。

(クリックで拡大)

この図は報告書Aの24ページにあるもので、ポスドクのデータを年齢ごとに分類してグラフにしています。年齢構成と女性比率が主なメッセージなのですが、注目すべきはポスドクの総数です。青いバーグラフが男女合わせたポスドクの数で各年齢階級の数値を全部足すと15,344名(計算式は「1,404+7,617+4,127+1,368+522+198+108」)となります。

しかし、報告書Aで用いたデータ数(ポスドクの数)は16,624名となっています。その差である1,280名はどこにいったのでしょうか?

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果たして、この報告書(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』:報告書A)は本当に正しいものなのでしょうか?「ポスドク」の定義もおかしいですし(本連載の「その2」を参照)、「正規職」の定義にも疑問点があります(「正規職」に関する疑問点は次回紹介します)。

また、ここまで見てきたように、以下に示すように数値にも矛盾点(問題点)があります。

・参照元のデータから一部を除いているにも関わらず、あるカテゴリの数値は参照元よりも大きくなっている

・データを年齢ごとに分類してグラフにしているにも関わらず、それらの数値を全部出したら違う数値が出てくる

この2点は単純な足し算引き算が出来さえすれば、その間違い(矛盾)に気がつきます。しかし、この報告書(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』:報告書A)の著者たちは、これらの問題点をスルーしたまま報告書を完成させました。

この報告書(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』:報告書A)では、複雑な統計手法を用いて、多方面からの解析を行っています。しかし、それら解析に用いた生データは公開されていません。果たして足し算引き算すら出来ない著者たちが、そういった統計解析をきちんと出来るのでしょうか?非常に疑問です。

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この報告書(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』:報告書A)を読むたびに私は、間違った「数値」をもとに「ポスドクは正規職に移行しにくい」なんて報告をすることに何の意味があるのだろうか、と疑問に思います。

この報告書(『ポストドクターの正規職への移行に関する研究』:報告書A)の結論は既に誤った形で一般の人に知られてしまっていますが、それでもこの報告書の何が問題かはどこかで誰かが指摘しないといけないと思っています。本連載を読んで気分を害している人がいるのは承知しています。しかし、もう少しだけ私の連載は続けさせていただきます。

最後になりましたが、一点だけ注釈があります。私は本名や所属先を明らかにしていません。そのため、ツイッターや匿名掲示板での単なる無責任な誹謗中傷と変わらないじゃないかとの批判を受けても仕方がないと思っています。

しかし、以前少し触れたように、私はそれなりの立場にあります。本連載の内容には細心の注意を払い、出来るだけ客観的にこの報告書の問題点を指摘しているつもりです。しかし、本連載の内容が内容だけに、私が本名や所属先を明らかにしていると色々な方面に問題が出てしまいます。そのため、この連載では私は匿名を続けます。本名を出さずに他者を批判するなんて卑怯だと言われることは重々承知していますし、私自身もそう思います。しかし、事情が事情だけに匿名で連載を続けることを了承していただければと思います。

もう少しだけ本連載にお付き合いいただけましたら幸いです。

執筆者:広義の意味でのポストドクター

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