研究者の声:オピニオン





2018年12月23日更新

日本語を正しく書こう〜ある還暦研究者のぼやき

師走は慌ただしいです。その言葉の由来にあるように(師走の由来には諸説あるようですが)、この月は「先生」と呼ばれる職にある人も忙しくなります。それは大学院生を指導する大学教員(指導教官)も例外ではありません。

この時期は修士論文や博士論文の追い込み時期となり、指導教官となっている研究者たちは、毎年複数の論文を添削することになります。大学教員の主たる業務(義務?)が学生の指導にあることは事実であり、私もそのことは理解しているのですが、特に最近は修士論文・博士論文の添削が自分にとっては苦痛となっています。

というのも、あくまで私の主観ではありますが、ここ数年の修士論文・博士論文の質はガタ落ちです。科学的な思考・論理展開うんぬんの前に日本語が崩壊しているのです。

科学論文(および日本語の文章)の書き方として、「科学論文として適切な専門用語が使われていない」という程度なら、大学院で指導されるべき範疇に収まります。しかし、「主語・述語がはっきりしない文章」・「時制が一致しない文章」・「”てにをは”がいい加減な文章」・「そもそも何が言いたいのかわからない文章」が1つの論文に頻繁に出てくると、その学生は大学院で科学を学ぶ前に、まずは小学校の国語からやり直すべきではないかと思うのです。

そして、こういった「悲惨な修士論文・博士論文」の出現頻度は低くはないのです。少なく見積もっても毎年3人に1人は、日本語が破綻している修士論文・博士論文を持ってきます。また、敢えて言う必要はないかもしれませんが、そういった論文は当然のように科学的な論理展開も破綻しています。

・自分の研究プロジェクトの背景となる知識が圧倒的に足りない
 ・自分の研究プロジェクトの目的・意義を理解できていない
 ・自分の行った実験の内容が理解できていない
 ・自分の出した実験データが何を意味するのかわからない
 ・自分が引用した論文を読んでいない

という学生が、どこかで見聞きした偉そうな表現を使って、誤った日本語でダラダラとした文章を書いて私のところに持ってくるのです。そんな論文を添削しないといけないということは、先に述べたことの繰り返しになりますが、苦痛以外の何物でもないのです。

さて、ここまでは私個人の愚痴です。年末にどこぞの老人(私は今年還暦を迎えました)の愚痴を聞かされるのも、それはぞれで苦痛かとは思います。しかし、ここからは、苦痛を超えた恐怖を感じることになるでしょう。

このような日本語が崩壊した修士論文・博士論文を書いても、その学生は形だけの審査をクリアすれば、修士号や博士号を授与されるのです。科学的な思考ができないだけでなく、日本語すらも怪しい研究者が毎年量産されるのです。(念のため述べますが、私は自分の学生たちに、「日本語」を含めてきちんと指導しているつもりです)

この国の科学技術を担うであろう若者の日本語文章の書き方を、大学院で基本から指導するという現状が何を意味するのか、果たしてどれだけの人が正確に把握しているのでしょうか。そして、そのうち何割の人間が、こういった現状を改善させるために行動を起こせるのでしょうか。

平成時代が終わりを告げようとしています。次の時代にも日本が世界の科学技術を牽引できるような国であり続けられることを心から願っています。


執筆者:還暦を迎えた研究者


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