研究者の声:オピニオン



2025年2月25日更新

ライフサイエンス分野のアカデミアにおける男女格差

近年、科学技術分野におけるジェンダー平等の推進が世界的な潮流として注目を集めています。事実日本でも、文部科学省や各種研究機関が女性研究者の活躍を後押しするための施策を次々と打ち出しています。一部では、女性優遇が過ぎるという男性研究者からの声が聞こえてくるほどです。

しかし、ライフサイエンス分野の学術研究分野においては、依然として男女間のキャリアパスに大きな格差が存在していることが見過ごせない現実となっています。

この問題は、単に個々の研究者の資質や努力に帰するものではなく、制度や文化に根ざした構造的な課題として捉えるべきだと私は考えます。そこで、この場をお借りして、ライフサイエンス分野のアカデミアにおける男女格差の実態を概観した上で、その背景にある要因を分析して実効性のある解決策を提案してみようと思います。

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日本学術振興会や男女共同参画局が公表した統計データによると、生命科学分野における博士号取得者に占める女性の割合は約30%前後となっており、ある程度のジェンダーバランスは保たれているものの依然として男女差はあります。しかし、その後のキャリア段階では状況はさらに悪化します。例えば、教授職や独立研究者といった上位ポジションに就く女性の割合は、10%前後に留まります。

この現象は、いわゆる「漏れパイプライン(Leaky Pipeline)」として知られていて、優秀な女性研究者がキャリアの途中で流出し、アカデミアがその能力を十分に活用できていない現状を意味しています。

特に注目すべきは、博士課程修了後のポストドクター(ポスドク)段階での離職率の高さにあると考えます。この時期は、多くの研究者が20代後半から30代前半という年齢層に差し掛かり、女性にとっては出産や育児といったライフイベントとキャリア形成が重なるタイミングです。

データによれば、ポスドクからテニュアトラックへの移行率は男性に比べて女性が著しく低く、この段階でのキャリア中断が後に大きな影響を及ぼしていると考えられます。これは、ライフサイエンス分野のアカデミアにおける構造的問題が、女性研究者のキャリア継続を困難にしている実態を示しているとも言えるでしょう。

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この男女格差の背景には、複数の要因が複雑に絡み合っていると思われます。第一に、ライフサイエンス分野の研究の特性が挙げられます。この分野では、長時間の実験やデータ解析が日常的に求められ、研究スケジュールがタイトであることが多いです。例えば、細胞培養や動物実験では、特定の時間に実験を中断することが難しく、柔軟な働き方が制限されがちです。このような研究環境は、出産や育児といったライフイベントと重なる若手研究者、特に女性にとっては大きな障壁となります。実際に筆者が複数の若手女性研究者と話した場合にも、「研究と家庭の両立が困難である」「実験のスケジュールに縛られて柔軟性がほとんどない」といった声が繰り返し聞かれました。これらの証言からは、現在の研究環境がライフステージに合わせた柔軟な勤務形態を十分に提供できていないという実態が浮かび上がります。

第二に、アカデミア特有の競争的評価システムが格差を助長している側面も見逃せません。研究資金の獲得や高インパクトジャーナルへの論文発表といった実績が、昇進やテニュア取得の鍵を握る中で、育児や介護などで研究時間が制約される女性研究者は不利な立場に置かれやすいです。例えば、研究資金の申請書作成には一般的には膨大な時間がかかりますが、子育て中の研究者がその時間を確保するのは現実的には難しいでしょう。さらに、採用や昇進の場面で無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)が影響を及ぼしている可能性も指摘されています。男性研究者が主体を占めるネットワークが自然と形成され、女性研究者がその中に入りにくい状況がキャリア形成を間接的に阻んでいるケースも少なくありません。これらは、個人の努力では克服しにくい構造的な課題です。

第三に、社会全体のジェンダー規範が研究者のキャリアに影響を及ぼしている点にも目を向ける必要があるでしょう。近年はイクメンという言葉が定着したものの、日本では依然として、特に古い考えを持ったアカデミア業界では、「家庭を支えるのは女性」という伝統的な役割意識が根強く残っています。これが若手女性研究者のキャリア選択に暗い影を落としている可能性は否定できません。例えば、パートナーが転勤した場合に女性側が研究職を辞めるケースや、育児負担が女性に偏ることで研究時間を削らざるを得ない状況は、皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。このような文化的要因が、バイオ系アカデミアにおける格差をさらに深化させていると思われます。

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この深刻な問題に対処するには、表面的な支援策や一過性のキャンペーンに終始するのではなく、研究環境そのものを変革する構造改革が不可欠ではないでしょうか。

まず考えるべきは、研究機関における柔軟な勤務制度の導入だと思います。例えば、実験スケジュールを調整するためのサポートスタッフを増員し、研究者が実験に縛られる時間を軽減することが考えられます。また、テレワークを活用したデータ解析環境の整備も有効ではないでしょうか。これにより、実験以外の業務を自宅や柔軟な場所で行えるようになり、研究の質を維持しつつライフイベントとの両立が可能になると期待できます。さらに、大学や研究機関が託児施設を併設し、研究者が子育てと仕事を両立しやすい環境を整えることも重要だと思われます。

次に、研究資金の評価システムを見直す必要もあります。具体的には、育児や介護で一時的に研究時間が減少した期間を考慮した柔軟な審査基準を導入することで、女性研究者が不利にならない仕組みを構築すべきです。また、女性研究者向けの専用グラント枠を拡充し、キャリア中断後の再スタートを支援する制度も効果的だと思います。例えば、海外では「リターンシップ」と呼ばれるプログラムが成功を収めており、日本でも同様の取り組みを参考にするべきでしょう。これにより、一度研究を離れた女性が再びアカデミアに戻りやすくなり、人材の流出を防ぐことが期待できます。

さらに、メンターシップとロールモデルの強化も重要です。特にライフサイエンス分野では、女性PIの絶対数が少なく、若手研究者が目指すべき具体的なキャリアモデルが不足しています。この状況を打破するため、学会や大学が主導して、女性研究者向けのメンタリングプログラムを展開してもらいたいと思います。具体的には、経験豊富な女性PIが若手研究者にアドバイスを提供し、研究資金獲得や論文執筆のノウハウを伝える場を設けると良いのではないでしょうか。また、女性研究者の成功事例を積極的に発信し、ロールモデルとしての可視性を高める取り組みも効果が期待できそうです。これにより、若手女性研究者が長期的なキャリア展望をイメージしやすくなるのではないでしょうか。

最後に、ジェンダー視点を取り入れた研究環境の意識改革も考える必要がありそうです。男性研究者を含むすべての構成員に対して、無意識バイアス研修を義務化することで、採用や昇進の意思決定における公平性を高めることができます。また、研究機関の評価指標にダイバーシティの達成度を組み込むことで、組織全体がジェンダー平等を意識した運営を進めるインセンティブが生まれるのではないでしょうか。これら取り組みを通じて、より包括的で多様なアカデミア文化を醸成することが可能となるのではないかと私は思います。

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バイオ系アカデミアにおける男女格差の解消は、単なる公平性や倫理の問題に留まりません。その試みは、日本の科学技術力を持続的に発展させ、イノベーションを創出するためにも重要です。多くの研究が示すように、多様な視点や背景を持つ研究者が集まる環境は、新たな発見やブレークスルーを加速させる原動力となります。女性研究者がキャリアを全うできる環境を整備することは、優秀な人材の流出を防ぐだけでなく、次世代の科学者を育成する基盤を築くことにもつながるはずです。

しかし一方で、このような改革には時間とコストがかかるのも事実です。短期的な予算負担や制度変更の手間を理由に、変革を先送りにする傾向があることも否定できないです。それでもなお、今こそ未来への投資として本格的な取り組みに踏み出すべきだと私は思います。ライフサイエンス分野のアカデミア業界がジェンダー格差を克服し、多様性を受け入れる場となることで、日本の科学界全体が新たなステージへとステップアップするはずです。現在の日本の国際競争力の低下を見ると、今こそみんなで協力してその第一歩を踏み出すできではないでしょうか。


著者:山岡あかね(サイエンス・コミュニケーター)


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