海外ラボリポート



早川和秀 博士 〜米国マサチューセッツ総合病院から(2012年01月12日更新)

Warm in Boston

Bostonに到着してから早7ヶ月が過ぎました。ふと初めのころを振り返るといろいろなことが頭をよぎります。

福岡空港2009年4月21日の朝早く、友人たちの見送りの中、慌ただしく飛行機に乗り込み、乗り継ぎ先の成田空港で荷物の重量オーバーでお金を払って出鼻をくじかれ、あの日の機内ではショックと今後の不安を交互に感じていた気がします。初の研究留学と初のアメリカ生活。右も左もわからない状況で、ただ分かっているのはうちのラボのボスが小柄なやり手だということでした。

ボスと初めて話したのは、2008年2月のアメリカ脳卒中学会でのことです。

多くの研究者たちが握手を求め、多くの大男たちの隙間にボスの姿を見たのを覚えています。その様子を見て受けた印象が"小柄なやり手"でした。

こんな大物がいるラボに自分は行こうとしている。しかも、どんな人たちがいるのかすら分からないそんな状況で、そのラボにいる研究者たちを想像して自分がどれだけやれるのか、うまくやっていけるのか…。日本人の研究者の方がいるという情報はボスから聞いていましたが、なかなか連絡先を見つけきれず、その方の4月に掲載された論文からようやく連絡先を探し当てたといった具合でした。今思うと、ボスにその方の連絡先を聞いておけばよかったとつくづく思いますが、当時の自分にとってはとても高いハードルでした。

アメリカでの乗り継ぎも無事終え、いよいよボストンです。

ボストンのその時の印象は、さぶい! でした。

4月の初めごろまで雪がちらついていたというのを聞いて納得しました。

ボストンはやっぱり寒いんだと。

やはり、気になるのはラボにはどんな研究者の方がいるのか、聞いていた日本人の方はソフトなのか、ハードなのか・・・。

ボストン到着から2日後にラボで待ち合わせをしました。ラボに到着して数分後に階段から下りてこられたその方は・・・

"ソフトォ!!"

見るからに穏やかで、やわらかいオーラをかもし出されており、丁寧にラボのメンバーを紹介していただき、今までの不安が吹き飛んだ心地でした。

その後ボスとのmeetingでも、「僕は二つのことが気がかりだ。一つは研究テーマ、もう一つは生活のセットアップ。困ったことがあったら何でも言ってくれ。それも僕の仕事だから」と不安を駄目押しで一掃してくれました。

僕は帰りのシャトルバスの中で「ありがとう、ボストン!」と何気に思っていた気がします。

肌寒い4月の、少しだけあったかい気分にさせてくれたそんなボストン留学の始まりでした。


著者紹介:早川和秀。2009年4月からMGH-Harvard medical schoolでResearch fellow。主に、脳梗塞後の脳機能自然回復過程に着目し、その時活性化している脳神経支持細胞の役割をin vitroとin vivoの実験系で探究中。

*本記事は、JaRANの「研究者コラムのコーナー(2009年12月公開)」を転載したものです。

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