報われないロスジェネ研究者たち





第2回(更新日:2019年1月2日)

田野中宏・45歳

田野中宏(仮名)を知ったのは某SNSだった。

田野中のアカウントはバイオ系のニュースを紹介している真面目なものだ。しかし、時に過激な発言が飛び出したりすることもあるため、田野中はバイオ系の研究業界カテゴリでは有名人となっている。

そんな田野中に興味がわきコンタクトをしたところ、何回かのネット上でのやり取りを経た後に直接会うことになった。

田野中の第一印象は「腰の低いどこにでもいる人」だった。物腰は穏やかで、どちらかと言えば少しおどおどした感じがある。ネット上で時折見られる攻撃的な性格は、私とのインタビュー中には一度も出てこなかった。

某大学の講師を務める田野中は、地方の公立大学を卒業しており、自分の年齢は数えで46歳と言った。年齢の割には幼い顔つきだなとそのとき私は思ったのだが、インタビューの後、所属研究室の公式サイトで田野中の学歴や年齢を確認したところ、田野中の発言に嘘偽りがないことがわかった。

田野中は、某SNSのアカウントでは自身の職業を研究者と書いている。それは表向きは事実ではあるのだが、話を聞くと、実際のところは研究に時間を割くのはほぼ不可能な様子であった。ご多分に漏れず、田野中も教育業務や種々の雑用で日々忙殺されているからだ。

「自分はアメリカに3年半留学していたんです。そこではとても刺激的な研究ができました。業績も稼がせていただきましたし、そこで得た経験や人脈で今のポストに就けたんです。今の時代、こういった社会的にまともであるとされている職に就けてるだけで十分なんです。もともと僕は学歴もそんなにすごいわけではないですし。」

そんなことはない。田野中の学歴・経歴は、一般社会からすれば十分に輝かしいものだ。だが、田野中の発言もある意味では正しい。バイオ系研究業界では過剰ともいえる学歴・経歴のインフレーションが起きている。東大卒・京大卒がデフォである、と言われることすらあるのだ。

「僕はね、恵まれてるんですよ。こんな学歴なのに留学もできて、そこでの研究もきちんとしたところに論文として発表できました。今の職も比較的安定しているし、家族だっていますからね。この上、研究までしたいなんて言ったらバチが当たります。」

しかし、そう言う田野中の表情はどことなく哀しい。

「でもね、やっぱり今の生活では自分のことを研究者とは思えないんですよね。だからか、頭では自分が恵まれてるとわかっていても、やり切れない思いにとらわれたり、ストレスが溜まったりすることがあるんです。ネットでああいうことをしてしまうのは、そのせいだと思います。自分はまだ研究者として終わっていない、いや、むしろ、自分のような人間が満足に研究ができない世の中が悪いという思いが強く出ることがあるんです。SNSは匿名で出来ます。僕のアカウントがリアル社会と繋がることはないし、逆に繋がってもらっても困ります。そんなところで自分をアピールしてもしょうがないんですが、自分の発言で周囲が動くのを見ると、自分が認められたように思っちゃうんです。子供ですよね。」

客観的に自分を見ることはできているようだ。だが、そんなことをしていても自分が理想とする研究者像には近づけないだろう。

「良いんですよ、それで。僕はこのままダラダラと定年を迎えればいいんです。表向きは研究者だと言えますし。ま、研究なんてのは本当の意味で優秀な人がやってればいいんです。僕は僕で自分の世界で限られた幸せを享受するだけです。」

腰も低く話し方も穏やかだったが、田野中のややもすればひねくれたような物言いは、結局最後まで消えることはなかった。別れ際、田野中は、自分のことは好き勝手に描写していいですよ、と言ってくれた。リアルでもネット上でも、自分の立ち位置をきちんと理解しているようだ。

田野中と私の間にある溝は大きく深い。私は彼とは二度と会うことはないだろうし、向こうもそのつもりのようだった。だが私には、彼の中に研究への情熱がまだ燻っているのを感じた。しかし、その種火は周りがどうこう言って燃え始めるようなものではない。田野中が本当の意味での研究者になれるかどうかは、彼自身の手に委ねられているのだ。

執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
 編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。

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