報われないロスジェネ研究者たち
Tweet第3回(更新日:2019年1月9日)
佐伯徹・40歳
佐伯徹(仮名・40歳)は研究者だった。
関西にある薬科大学で博士号を取り、誰もが知っている国内製薬企業の研究職に就いた。しかし、不惑を迎える前に佐伯は退職した。今は地元の大学病院近くにある薬局で薬剤師をしている。
「博士号を無事に取れたことも嬉しかったですが、あの会社の研究職への内定が決まったときは本当に嬉しかったですね。今でも、内定の連絡を受けたときの情景はありありと思い出せますよ。」
だが、佐伯の会社での研究生活は決して幸せなものではなかったらしい。
「私の出身大学は地味で目立たないんです。でも、そこでは色々な思い出がありましたし、たくさんのことを学ばせてもらったので、愛着も誇りもあったんです。私の出身研究室では、薬科大学にふさわしくないと言っては怒られますが、きちんとした研究もさせてもらえましたしね。ですが、そんな自分の価値観というか考えは、会社に入ったとたん吹き飛びました。」
佐伯の勤めていた会社は国内製薬企業の中でトップクラスにランクされていた。そのせいか、そこに集まる研究職社員の学歴は、みな素晴らしいものだったという。
「社内の研究をしている部署の中で、同期はおろか、自分の入社前後3年を見ても、私の出身大学は大学のレベルで言うと群を抜いてビリッけつでした。正直なところ驚きました。東大や京大なんて普通にいましたし、なかには学生時代に留学して研究してたって人もいましたからね。とんでもないところに自分は来てしまった、って入社直後のゴールデンウィーク中に当時の彼女、今は妻ですけど、に泣きついたのを覚えています。こう言ってはなんですが、私は大学・大学院では誰から見ても文武両道で頼りがいのある兄貴だったんです。でも、そんな扱われ方は、十数年の会社生活では一度もなかったですね。」
とはいえ、出身大学のレベルに起因する露骨な差別があったわけでなかったようだ。社内に仲の良い友人・先輩・後輩もできて、大企業ならではの厚い福利厚生もあり、会社生活そのものは本人いわく「悪くない」ものだったようだ。
だが佐伯のストレスは日々蓄積していった。
「要因は一言では表せませんね。でも、やっぱり周りとの学歴の差はあったんでしょうね。露骨な学歴差別はなかったとは言っても、やはり出身大学で私のことを下に見てくる人はいました。特に、年齢が同じもしくは下だけど、旧帝大卒で修士号の男性社員に、そういう態度を取る人が多かったですね。そこに『入社年度が先』という条件が加わると、最悪でした。」
そう言って笑う佐伯の顔には、年齢以上の皺が刻まれている。
国内製薬企業の研究職の人間関係はかなり複雑なようだ。研究職として働く人は、ほぼ全てが修士号か博士号を持っている。日本の場合、大学院で博士号を取るには、修士号を授与されてから、その後に3年間ある大学院後期課程を過ごし、博士号の学位審査をクリアしないといけない。
そのため、製薬企業での研究職では、同期入社とはいえ、修士号持ちと博士号持ちでは、年齢で3つの違いがある。すなわち、博士号を取得して入社した人は、1年先に入社した先輩が修士号であるなら、その人は年下の先輩になる。逆もまた然りだ。
「私の偏見かもしれませんがね、会社の研究職では、修士号しかない人って博士号の人に対して複雑な思いを持ってる人が多いんですよ。だからね、修士号の社員にとっては、自分より明らかに大学のレベルが落ちる私のような人間が博士号を持って同じ会社の研究職として一緒に仕事をしてるってのが、我慢ならなかったんでしょうね。」
佐伯にとって追い討ちをかけたのが、世界的な経済状況の悪化だ。入社して2~3年も経過すると、新卒での研究職採用の数が目に見えて激減したらしい。そのせいで、佐伯の部署には新しい社員が一人も入ってこなくなった。
「いつまでたっても下っ端なままだったんです。私のいる会社が特殊だったのかはわかりませんが、そこでは大学院での研究経験は軽視されてたんです。だから、入社した時点で、博士号と修士号の社員の間には3年の研究経験の差があるとみなされても、修士号の社員が3年働くと、その人は博士号持ち社員と研究者という点では同格とみなされるようになるんです。むしろ、会社にいながら博士号を取る(筆者注:会社の研究で論文博士を取る)人の方が社内では優秀だとされ出世が早かったりもする。だから、新たに新入社員が配属されなくなったころには、私は単に『ランクの低い大学を出た平社員』になってしまったんです。」
意味がわからない。
「ロジックとしておかしいのは私も同意です。今こうやって説明してても変だなと思ってますから。でも、その考えに異論を表明しても、みんな私のことに聞く耳なんか持ってくれません。仲の良かった人たちも耳を傾けてくれなかったのか、ですか?残念なことに、私が、人としても研究者としても敬意を持てる、と思った人たちは、私が退職する前には、ほとんどが子会社に出向したり、研究職以外に転籍になったり、退職したりしてしまったんです。」
佐伯の会社では、これまでにはなかったようなリストラがあったという。そのリストラを避けるために、泣く泣く研究職から離れたり、子会社に移ったりした人が多くいた。ただ、佐伯はリストラ対象にはなっていなかったようだ。
「優秀だったからじゃありませんよ。単に年齢と職位が低かったからです。あと数年もすれば、私は、転籍や出向といった交換条件を出されることもなくリストラされていたでしょうね。私の場合、幸か不幸か薬剤師の国家資格がありましたからね。実務の経験は大学院時代の薬局アルバイトしかなかったですが、運良く地元近くに職のあてがあったので、40歳になる前に退職しました。」
佐伯のいた会社は大きかった。だから、転職により、給与額や福利厚生の度合いはダウンしたらしい。だが、佐伯は後悔していないと言った。
「うちは妻とも合意の上で子供をつくらないことにしてるんです。だから、今の給与額でも夫婦二人なら全然やっていけます。むしろ、今は精神的にも穏やかなので、妻も転職して良かったねって言ってくれてます。研究への未練ですか?全くないとは言えないですが、今は薬剤師の仕事に集中しないといけないですからね。覚えないといけないことは山のようにありますから。それに、この仕事、楽しいんですよね。人のためになっていると実感できますから。」
頼れる兄貴分が戻ってきたということか。
あくまで個人的な印象だが、佐伯は真面目で賢い。インタビュー中、大学院時代や会社時代に佐伯が関わっていた研究プロジェクトの話もしたが、彼の説明は論理的で非常にわかりやすかった。頼りがいのある人柄も含め、時代や環境さえよければ、研究者としても十分に活躍できたであろう。
「そんなお世辞はいらないですよ。研究者への未練が生まれちゃいますから。でも、うちは子供がいなくてよかったです。子供がいたら、自分の成し得なかった研究者という夢を子供に託してしまったかもしれないですからね。」
そういたずらっぽく笑う佐伯からは、研究者への未練は全く感じられなかった。
執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。