報われないロスジェネ研究者たち





第6回(更新日:2019年1月30日)

香川明子・37歳

「頑張ってたんですけどね、最後は心がポッキリと折れちゃったんです。」

そう笑う香川明子(37歳・仮名)の左手薬指の付け根は少し括(くび)れている。かつてはそこに結婚指輪があったからだ。現在は「独身」である香川の職業は某国立研究機関の実験補助員。正規雇用ではなく派遣だ。その仕事の契約は来月切れることになっている。しかし、香川は明るく元気だ。

「生活の方は大丈夫なんです。実家から通ってますし、少しは蓄えもありますから。それに、仕事の内容を選ばなければ働き口はたくさんあります。どうせ独り身ですから贅沢さえしなければ何なりと生きていけます。気楽なものですよ。」

香川は生物学の修士号を持ってはいる。しかし、研究者として働いたことはないという。

「何となく流されて大学院に進んでしまったんですよね。それで、修士課程のときに元旦那に出会ったんです。でも、お互い違う大学の学生だったんですよ。私の修士論文のプロジェクトに必要な実験機器を借りるため、1年間くらい元旦那の研究室に通っていたんです。そのとき私は修士課程1年でした。元旦那は博士課程の1年生だったかな。彼は私のお世話係をするように、とそこの教授に言われてたようなんです。そして、よくある話すぎて恥ずかしいんですけど、そのままお付き合いすることになりました。」

香川は現役で大学合格を果たした。一方、元旦那は二浪しての合格だったようだ。だから年の差は4つ。その年代での4歳差は大きい。しかも、元旦那の大学は超がつくほどの一流大学だった。そんな大学で実験技術を細かく教えてくれていた元旦那は、当時の香川にとって頼り甲斐のあるスマートな大人の男性に映ったらしい。

「友人からもよくからかわれましたね。何をしに行ってたんだとか、どうやって捕まえたのかとか、色々と言われました。」

香川は修士課程を修了した後に国内メーカーに就職したが、二人の付き合いは遠距離恋愛という形で続いた。香川が社会人になってから1年が経過したころ、元旦那が無事に博士号を取得し大学院を卒業した。その翌年、元旦那は某財団よりフェローシップを獲得してアメリカに留学することになった。

「そのときにプロポーズされたんですよね。『俺は歴史に残るような研究をする。だからそれを一番近いところでサポートをしてくれないか。』って感じのことを言われたんです。今から思うと笑っちゃうようなセリフですけど、言われたときはとても嬉しかったんです。この人のために私も頑張ろうって思いました。」

香川は仕事を辞めて専業主婦として元旦那のアメリカ留学に着いていった。とても幸せだったという。

「異国の地での生活は慣れないことばかりでしたから、誇張抜きで毎日がトラブル続きでした。でも、そんなトラブルも彼と一緒だったから楽しめたんです。」

元旦那のフェローシップが終わっても留学は続いた。留学先のボスが元旦那の働きを認めてくれて給与を出すことにしてくれたからだ。また、その頃から香川はボランティアという形で元旦那のラボに行き、元旦那の実験を手伝ったりもしたようだ。元旦那のボスも、香川の働きには感謝していたようだ。

しかし、程なくして香川と元旦那の間には亀裂が生じ始める。子供ができなかったのだ。

「彼も私も子供が欲しかったんですけど、私たちは二人とも子供ができにくい体質だったようです。幸い、私たちの健康保険は不妊治療もカバーしてくれたので、どちらが言うともなく不妊治療を開始しました。生々しい話で申し訳ないんですけど、あれって結構大変なんですよ。」

しかし、不妊治療はうまくいかなかった。

健康保険がカバーするといってもトライできる回数には上限があり、香川と元旦那は予め保険の範囲内で不妊治療をするということで合意していた。自費での不妊治療は金銭的に無理だというシビアな懐事情もあったようだ。

「最後の不妊治療もダメだったとわかった日はとてもショックでした。でも、私はすぐに二人で残りの人生を楽しく生きていこうという気持ちになっていたんです。彼との子供ができないのは残念だったけど、人生はそれだけではないですからね。」

だが、元旦那は違ったようだ。不妊治療の失敗が重なるたび、目に見えて元気がなくなってきていたようだが、最後のトライが失敗に終わったとわかってからは更に様子がおかしくなったらしい。

「あの落ち込みぶりは酷かったです。見ている私まで辛い気持ちになりました。二人の会話もなくなってきたし、ご飯を一緒に食べていても溜息ばかりなんですよね。なんか私が責められているような気がしてきて、よく隠れて泣いていました。」

その後、二人の間で何度か話し合いをし離婚することになったらしい。そこら辺の細かいことはまだ自分でも消化しきれていないので、ということで詳しくは教えてもらえなかった。だが、常に冗談交じりで明るく会話をしてくれていた香川が、そのときだけは辛そうな表情を見せたので、その経験がどれだけ彼女を苦しめているのかは想像に難くない。

結局、元旦那はアメリカに残り、香川一人が帰国して実家に戻った。その後、香川は派遣としていくつかの職を転々としている。だが、香川の人懐っこさや人当たりの良さ、確かな実験技術などから、仕事は比較的簡単に見つかっているらしい。今の場所も、来月任期が切れるとはいえ、契約期間を延長してもらえることはほぼ確実なようだ。

「人生のどん底はもう経験しましたからね。これからは上昇するだけです。それに、人生なるようにしかならないですしね。」

香川は前を見てしっかりと歩き始めている。だが、必ずしも過去に未練がないというわけではないようだ。

「不妊治療を始めたあたりから彼がよく言ってたんです。『自分の経歴や業績があれば、少し前なら簡単に独立できた。今は時代が悪い。』って。もし彼が自分の研究室を持つようになってたら、仮に子供ができなくてもこんな結果にはならなかったのかなって思ったりすることが時々あるんです。ウジウジしてるみたいで恥ずかしいんですけど。」

しかし私は確信する。香川はこの先きっと幸せな人生を送れるはずだと。結婚や子供、正社員という「立派な勲章」がなくても、香川には自分の人生を楽しむことができるという掛け替えのない能力がある。そして、彼女の幸せそうな笑顔は周りにいる人をも幸せに出来るのだから。

執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
 編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。

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