報われないロスジェネ研究者たち





第7回(更新日:2019年2月6日)

姫木由里子・42歳

バイオ系研究者にとって、『理想のキャリア・パス』とは何なのだろうか?

この問いがペーパーテストに出たのであれば、『人それぞれ』という答えが最も適切な回答になるだろう。しかし、ロスジェネ世代(1970年〜1982年生まれ)にとっては、少なくない割合の研究者が、アカデミアで自分の研究室を持つということが目指すべきゴールの一つだったのではないだろうか。

だが時代は変わってきている。かつてのゴールデン・パスは、実現可能性が極端に低くなり、かつ見返りがあまりないものになってしまった。代わりに、2010年あたりからは、企業の研究職こそがバイオ系博士の理想のキャリア・パスであると言われはじめ、実際に米国などでは、博士号を取得したバイオ系研究者が大学でのポスドク生活を避けて企業を目指す動きが加速してきている。

そのためか、現在の米国においては、バイオ系の企業(製薬企業やバイオテック企業)の研究職への就職はかなり狭き門となっている。しかし、姫木由里子(42歳・仮名)は、そんな狭き門をくぐり抜け、米国の某有名大学のポスドクから某有名バイオテックの企業研究者へと転身した。

そんな姫木は自分のことを、『そこそこに優秀で何でもソツなくこなす研究者』と分析する。

「大学3年生で研究室に配属になってから米国でポスドクをするまでは、特に大きな困難は感じなかったんです。でも、そっから先はダメでしたね。ポスドクの先のビジョンが見えなかったんです。ポスドク生活が4年を超えたあたりから、ラボのPI(principal investigator)になるのは私には色んな意味で無理だなってわかったんです。じゃあどうしようかって、すごく悩みました。留学前は、何となくですけど、将来はどっかの大学でProfessor職に就くことになるんだろうなって思ってましたから。それ以外のキャリア・パスはあんまり考えてなかったんです。でも、そんなとき、たまたま某SNSの私のページを見てリクルーターが声をかけてきたんです。それなら、ってことで試しにインタビューに行ったら、あっさりとオファーがもらえたんです。時代と運が良かったんでしょうね。」

おそらく謙遜したのだとは思うが、私が考えるに、姫木のこのセリフは正しくない。姫木は「ポスドクをするまでは困難がなかった」と言ったが、彼女のポスドク生活も、そして、そこから企業の研究者へと転身する際も、多少の苦労はあったにしても比較的スムーズに話が進んだのではないかと私は見る。事実、姫木はポスドク時代にもきちんとした研究成果を残している。企業が姫木を欲しがったのも当然だ。

「どうでしょうね。私が今の会社に入れたのはタイミングが良かっただけですよ。数年遅れてたら、今の会社はもちろん、他の企業の研究職への就職は無理だったはずです。今は研究職の募集をかけると、ほんとにすごい数の応募が来るんですよ、特にポスドクから逃げたいっていう中高年がね。結果論ですけど、あの時点でアカデミアのポスドクから企業の研究職へと移ったことは私にとっては大正解でした。そのままアカデミアにいたら、二進も三進もいかなくなってました。」

姫木は企業に行ってからも『常識的なペース』で昇進しているらしい。そんな姫木は、研究のかたわら、今は求職者の面接も担当している。姫木が言うには、面接中、それなりの割合でアカデミアのポスドクが嫌でというようなニュアンスの受け答えをする人がいるらしい。もちろん、そういう人は落とされる。アカデミアから逃げたいというのがメインの動機であり、それを隠そうともしない人間を積極的に雇いたいという会社は米国にもないからだ。

***

姫木のキャリアパスの変遷は実に華麗だ。だが、姫木自身は今後のキャリア・パスについては悩んでいるという。

「今は博士号を取ったあと、会社でポスドク(インダストリーポスドク)をして企業の研究職になる人も増えてきているんですよ。そういう人は会社でのキャリア・パスを最初っから考えてますから、私と同じランクの職位でも、年下の人が多いんです。私はもう40歳を超えていて、そもそも会社に入ったのは遅いし、昇進レースという点では圧倒的に出遅れてるんです。このくらいの年齢だと、マネージャークラスや役員クラスになってる人も珍しくないですから。」

米国の就職には年齢・性別・人種は関係ないというが、姫木はそれが正しいとは思っていないらしい。

「もちろん表向きは平等ですよ。でもね、会社が人を雇うときは、何だかんだで年齢は見るんです。企業の研究職って、どの会社も大まかにランクが決まってます。エントリーレベルから始まり、中堅レベルになり、そっからマネージャー・クラスって感じで。私は今は中堅レベルかな。でも、次の会社に移るとしたら、マネージャー・クラスかその一歩手前の職を探さないといけないんです。だって、この年でエントリーレベルには入れないですから。」

それは、姫木がエントリーレベルの研究職なんかやってられないということではないらしい。仮に姫木がエントリーレベルの職に応募したとしても、会社側が姫木くらいの年齢の研究者をエントリーレベルとしては採用したくないという事情があるらしい。通常はそういう事情は表には出ないようだが。

しかも、姫木が言うには、最近の若い人で企業研究者を目指そうという人は、自分を良く見せるのがすごく上手らしい。あまり実験の経験がなくても、プレゼンや面接の受け答えは完璧だと言う。だから、「そんな人たちと戦っても自分には勝ち目がないな」と姫木が面接官として若い求職者を面接するたびに思うらしい。

「かと言って、マネージャークラスの職はそもそも募集している数が絶対的に少ないですからね。そんなところに英語がネイティブでない私みたいなアジア人女性が応募しても、簡単にはじかれるでしょうね。先ほども言いましたけど、米国では年齢・性別・人種は就職に影響しないっていうのは表向きの話ですから。」

姫木は最近、自分の人生が「詰んでいるかも」と思うことがままあるらしい。今後の展望が見えず、今の会社をリストラされたら次がないと思うからだ。米国の企業ではリストラは珍しくない。事実、姫木の会社でも、隣の研究グループが『会社の方針』で丸ごとリストラされたことがあった。

しかし、姫木は優秀で現実的だ。それまでのゴールデンパスであったPIへの道にサクッと見切りをつけて企業の研究職へと自身のキャリア・パスの舵を切った。そして今は、企業の研究職でのキャリア・パスにも先がなさそうなことをいち早く感じ始めている。先を読み、それに応じて素早く対策を立てて実行できる姫木であれば、今後も順調に研究者として活躍できるであろう。

だが一方で、かつての『理想のキャリア・パス』に固執しているロスジェネ研究者たちはどうなるのだろうか。姫木との会話は、私にロスジェネ世代の研究者の不遇さをより強く実感させるものであった。

執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
 編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。

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