報われないロスジェネ研究者たち
Tweet第9回(更新日:2019年2月20日)
大久拓也・45歳
大久拓也(45歳・仮名)は片方の聴力がほとんどない。生来のものではない。大学院時代に受けたアカハラが原因だ。
大久が大学院の修士課程2年に上がるとき、それまでの教授が退官して、そこの助教授(今でいう准教授)が教授に昇進した。現在ではこのようなエスカレーター式の昇進人事はあまり見られないが、ほんの20年前にはどこの大学でも良く見られた光景だったという。
「先代の教授が退官した後、あの人(助教授から教授に昇進した人)が教授になると思ってましたから、そのこと自体は別に想定外だったということはないんです。ただ、僕が思っていた以上に、あの人と僕との相性は悪かったんです。」
その新しい教授は、大久のことが生理的に嫌いだったらしい。というよりも、大久の話を聞く限りでは、その教授の人間性には大きな問題があったように思える。
大久が配属された研究室には、大久の同期が他に4人いた。計5人の同期の大学院生のうち、男性が大久を含めて3人、女性が2人だった。そして、女性2人のうちの片方は、新しい教授の大のお気に入りだったという。
「あのお気に入り度合いは酷かったですね。セクハラですか?いや、そういうのではなかったです。彼(新しい教授)は、いつも偉そうにはしていましたが、根は小心者でしたから、セクハラみたいな大それたことはしなかったです。そんなことをして自分のお気に入りの学生に嫌われたらどうしようって心配してたんじゃないですか。」
大久が言うには、その教授の様子は「自分の推しのアイドルにゾッコンなファン」みたいだったらしい。もちろん、その時代には「AKB48」のようなアイドルはいなかったのだが。
ちなみに、大久が今でも覚えているエピソードの一つとして教えてくれたものに、お気に入りの学生の誕生日に教授が花束を持ってきて研究室で渡した、というものがある。
「でも、そのエピソードは特段驚くべきものではないんですよ。他にも、もっとすごい『伝説』が山のようにありますから。でも、それをネットで書いちゃうとさすがに個人が特定されてしまうので、公開はしないでくださいね。」
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なぜ大久は嫌われたのか。
「単に相性が悪かったというだけなんですよね。僕が研究室に入った時点で、彼は助教授として研究室にいたんですが、最初から『あ、この人は僕のこと好きじゃないんだな』って感じていましたから。でも、先代の教授が研究室にいるときは、彼とは研究上はあんまり接点がなかったので、それほど被害は受けてませんでした。」
しかし、先代の教授が退官し、エスカレーター人事によって件の助教授が教授に昇進してからは状況が一変する。それまでは、研究室内に複数の研究チームがあり、教授直属のチーム以外は、教授と学生の間に各スタッフ(助教授や助手)がいた。だが、新しく教授になった彼は、全ての学生を自分直属とし、先代の教授のもとでスタッフをしていた人間を孤立させた。
「その新体制のもとで、僕も教授直属のプロジェクトをすることになったんですが、少しずつアカハラが始まりました。研究室セミナーでもみんなの前で大声で怒鳴られながら人格否定されてましたね。」
教授が変わってから程なくして、アカハラに起因するストレスから左耳の耳鳴りと聴力低下が始まったらしい。だが、そのアカハラが本格的に始まったキッカケは驚くほどバカバカしいものだ。
「彼が教授に就任したばかりのある日、実験室に様子を見にきたんです。おそらくは、彼のお気に入りの学生を見にきただけだったんでしょうね。でも、たまたまそこには僕と彼女しかいなくて、しかも二人とも実験の待ち時間中だったんで、おしゃべりしてたんです。どうやら、それが教授の逆鱗に触れたみたいで、その直後に教授室に呼ばれてかなり厳しく叱責されました。どんな理由だったか、ですか?うーん、あんまり覚えていませんね。真面目に実験しろ、とかそんなんだったと思います。でも、それからですね、僕を目の敵にするようになったのは。」
ちなみに、その彼女と大久は何の関係もない。単に同期だっただけだ。事実、その彼女は修士課程修了とともに某メーカーに就職し、その翌年には、学生時代から付き合っていた人と結婚をした。余談だが、その結婚式には大久含む同期や件の教授も出席した。そこで教授は、新婦の父親かと思うようなスピーチをして、その場をしらけさせたという。
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極度のストレスの中、大久は修士課程の後半1年と博士課程の3年間をそこの研究室で過ごした。博士課程3年のときには、突然教授から「俺はお前の指導教官にはならない」と宣言され、一時は博士号取得にも黄色信号が灯ったが、その研究室で同じく日陰者になっていた助教授(件の教授とともにエスカレーター人事で助手から助教授に昇進したスタッフ)の助けで何とか無事に卒業できたらしい。
大久は今は某製薬企業で働いている。だが、その就職は先代の教授のコネだったという。件の教授は、全くと言っていいほど就職の面倒は見てくれなかった。むしろ逆に、面接の日に敢えてミーティングをセッティングするなどして邪魔をしてきた。
「僕は本当は大学で研究をしたかったんですよね。もちろん、製薬企業での研究も、それはそれで楽しいしやり甲斐もあったりするんですけど、でもちょっと違うんですよね。僕は過去に1年半だけ会社からアメリカに留学させてもらえたんです。ま、ちょっとしたご褒美です。身を粉にして働いてきたんで。そこでの基礎研究は、こう言ってはなんですが、創薬研究とは違う楽しさがあったんです。やっぱり自分は基礎研究の方が好きなんだなと実感しましたから。」
大久が「アカハラ教授」のもとで、博士号を取得するまで我慢できたのも、基礎研究が好きで、自分のやっている研究プロジェクトに打ち込んでいたからというのがあったのだろう。事実、大久の博士論文のプロジェクトの根幹は、「アカハラ教授」のアイデアではなく、大久と他のスタッフとのディスカッションから来たものだった。
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大久は別れ際、「僕の話って、ロスジェネ問題と関係ないですよね。僕がこんな目にあったのって、単に大学院時代の教授との相性が悪かったってだけなんですから。ちゃんと記事になりますか?」と、笑いながら言った。
だが心配はいらない。なぜなら、ロスジェネ研究者が苦労している原因の一つに世代間格差があるからだ。
ロスジェネ研究者の上の世代には、大した業績がない上に人格にも難がある人間が教授職に居座っていることがある。そんな紛い物研究者のもとで貴重な大学院時代やポスドク時代を過ごしたロスジェネ世代の研究者は今どうなっているのか。その答えは、今回の記事を読めば自ずとわかってくるだろう。
執筆者:樋口恭介(サイエンス・ライター)
編著に研究者の頭の中: 研究者は普段どんなことを考えているのかがある。