SFミステリー小説：永遠の秘密
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第四章：ターゲット発見（2）
会議室で池田勇太・真中しずえ・空木カンナは、池田勇太の先輩である冬木浩二と十五分ほど話をしたあと、冬木浩二が実験をしている研究室を見せてもらうことになった。
「君たちは去年も来たんだけど、とりあえずまた研究室の中を紹介しようか」と言いながら、冬木浩二は研究室にある実験機器を一つずつ見せてくれた。
その日は土曜日にも関わらず、多くの学生が研究室にいて、みんな忙しく実験をしていた。冬木浩二の研究活動の指導者であり、この研究室のトップでもある教授は、今回も学会出張で研究室にはいなかった。
「土曜日なのに、たくさん人がいるんですね」と池田勇太が聞くと、「研究者に休みはないからね」と苦笑いをしながら冬木浩二は答えた。
一通り実験機器を見せてくれたあと、冬木浩二は大きな顕微鏡の前まで三人を連れてきてくれた。そこには学生らしき男の人が顕微鏡をのぞいていた。
「せっかくだから、彼が観察しているものを見てみない？」と冬木浩二が真中しずえと空木カンナに話しかけると、顕微鏡の前に座っていた男の人が席を立ち、「どうぞ」と三人に向かって言った。
はじめに池田勇太が顕微鏡をのぞき、続いて空木カンナが、そして最後に真中しずえが顕微鏡の接眼レンズをのぞいた。小学校の理科室にある顕微鏡とは違い、接眼レンズは二つあり、見ているものを両目で見ることができた。
「きれい」と真中しずえがピントを合わせながら言って、接眼レンズから目を話して、「これは何の細胞なんですか？」と聞いてきた。すると、冬木浩二は少し厳しそうな態度に変わり、「この子たちに何の細胞か説明してあげられる？」と顕微鏡を使っていた男の人に聞いた。
その男の人は大学院の学生で、助教である冬木浩二に研究プロジェクトの指導をしてもらっている人だった。
先ほどの会議室での穏やかそうな冬木浩二の態度と、今の冬木浩二の態度が少し違ったことに対して真中しずえは少し戸惑ったが、これがプロの研究の現場なんだと思い、少しかしこまった様子でその学生が話し始めるの待った。
「これはマウスの脾臓のベータ細胞です。」
「ひぞう？」
「そうです。脾臓です。より正確にいうと、脾臓のランゲルハンス島のベーター細胞の切片です。」
専門用語が突然たくさん出てきて真中しずえは混乱した。
「ははは、聞きなれない言葉がたくさん出てきて困ってるみたいだね」と、学生に対する態度とは違い、再びにこやかな表情に戻って冬木浩二が真中しずえに話しかけてきた。「人間だとここら辺にあるんだよ」とお腹の辺りを指差した。
「インスリンを出す細胞のことですか？」と、空木カンナが聞いた。
「え？よく知ってるね。うん、そうだよ。僕らは糖尿病のことを研究してるんだ。」
「糖尿病って、おしっこが甘くなる病気なんだよ」と、池田勇太が自分の知識をひけらかすように、ちょっと得意げな様子で、真中しずえと空木カンナに説明した。
「糖尿病と、その、ベータ細胞？ってどんな関係があるんですか？すみません、基本的なことをわかってなくて」と真中しずえが少し恥ずかしそうに聞いた。
「全然恥ずかしがることはないよ。自分が知らないことを、きちんと質問できるのはとても大切なことなんだよ」と冬木浩二は優しく答えた。そして、学生の方を向いて「じゃあ、この可愛らしい研究者の卵たちに、今の質問の答えと君の研究プロジェクトについてわかりやすく説明してもらおうかな」と、先ほどの『指導者』としての顔で冬木浩二は学生に指示を出した。
「えっと・・・」と少し口ごもりながらも学生は、脾臓のランゲルハンス島にあるベータ細胞がインスリンを出すこと、インスリンが血液の中にある糖の量を調節すること、インスリンが出なくなると、血液の中の糖が多くなり糖尿病になること、などを説明してくれた。また、彼の研究プロジェクトは、ベータ細胞から出るインスリンの量が年齢とともに減るのかどうかを調べることだとも教えてくれた。
「この緑色はGFPでしょうか」と空木カンナが聞くと、「君は本当に良く知ってるね。そうだよ。GFPのシグナルなんだ」と冬木浩二は答えた。
「先生、GFPって何ですか？」と小声で真中しずえが聞くと、池田勇太は「え？えっと、えっと、ぐれーと・ふーせん・ぱんち・・・？」と訳のわからないことを言った。
「おい、勇太、適当なことを生徒に教えちゃだめだぞ。GFPくらい知ってるだろ。Green Fluorescent Protein、緑色の蛍光を発するタンパク質のことだろ」と冬木浩二が呆れ顔で説明すると、「はは、すみません。ギャグですよ、ギャク。僕なりの冗談です」と池田勇太は笑いながらごまかしたが、誰も笑ってはくれなかった。
そんな池田勇太のことを尻目に、「ベータ細胞ってGFPも出てるんですか？」と、真中しずえが真面目な質問をしてきた。
「ううん、それは違う。GFPはマウスの細胞には出ていない。もちろん、人間にもね。ある特別なクラゲにしかGFPは発現していないんだ。そのクラゲに出てる緑に光るタンパク質の遺伝子をこのマウスに入れたんだ。」
「何のためにですか？」と今度は空木カンナが聞く。「僕らはね、年をとるにつれて何でインスリンが減るかを調べたいんだ。でね、年とともに発現レベルが減るのはインスリンだけではない。だから、そういったものの中にインスリンを作るのをヘルプしているタンパク質があるのではないかと考えているんだ。だから、そのタンパク質とGFPをくっつけて、そのタンパク質の発現レベルを人工的に増やしたらどうなるかを見てるんだ。」
「GFPのシグナルが出てるということは、目的のタンパク質の発現レベルも増えているはず、ということですか？」
「まさにその通り。」
冬木浩二と空木カンナの会話を聞いていた真中しずえは、「すごーい、そんなことができるんですね。私たち人間の体でも、そういうことはできるんですか？」と聞いてきた。
「技術的には可能かな。でも、人間の体で、そういう実験みたいなことは禁止されてるんだ。」
「そうなんですね。」
「倫理的に問題があるからね。」
「りんりてき？」
「えっと、わかりやすく言うと、人としてやってはいけないこと、ってことかな。人間で実験をしちゃいけないとか、研究をするには色々なルールがあるんだよ。」
「なるほど、そうなんですね。」
「もったいないな」と小さな声で空木カンナは言ったが、横にいた真中しずえ以外は誰もその発言を聞き取れなかった。しかし、真中しずえはその発言の意味がよくわからなかったし、他にも冬木浩二に聞いてみたい質問があったので特にそのセリフには興味を持たなかった。
＊＊＊
結局、池田勇太たちは二時間ほど冬木浩二の研究室にいた。予定の時間を三十分ほどオーバーしていた。研究室を去る際に、三人は丁重に冬木浩二にお礼をしてから、その建物をあとにした。
大学の敷地を出て、最寄駅まで帰いている途中、「どうだった、二人とも。楽しかったか？」と、池田勇太は真中しずえと空木カンナに聞いた。
「はい、とても楽しかったです。色々と勉強になりました」と真中しずえが答えると、空木カンナも「技術の進歩はすごいですね。今は色んなことができるようになってるんだなって思いました」と、今日の研究室見学の楽しさを池田勇太に伝えた。
そう答える二人を満足げな様子で見て、「それで、今年の自由研究のテーマは見つかったか？」と、池田勇太は聞いてきた。その質問に、「そうですね。まだこれといった研究テーマは見つけられていないんですが、それとは別に糖尿病について少し調べてみたいなと思いました」と、真中しずえは答える。
「糖尿病か。冬木先輩たちの研究室の研究テーマの一つだな。何かわからないことがあったら、俺から先輩に聞けると思うぞ」と池田勇太が言うと、間髪いれずに、「糖尿病って血液の中の糖が多くなるんですよね。それを測るのって難しいですか？」と真中しずえが質問をした。
池田勇太が、「血糖値の測定か。うーん、病院でないと難しいかな、やっぱり」と答えたが、「血糖値を測るのって、家庭でもできるって聞いたことありますけど」と、空木カンナは二人の会話に割って入ってきた。
「え、そうなのか？」と池田勇太は答えた。「保健室の立花先生に聞いて見たら何か助けてくれるかもしれないですよ」と空木カンナが言うと、「たしかに！立花先生なら池田先生よりも頼れるし、来週早速聞きに行こうよ」と真中しずえも続いた。
保健室の先生をしている立花美香（たちばな・みか）は、真中しずえ・空木カンナが通う学校に、四年前に池田勇太とともに着任した。
池田勇太は、大学を出たばかりの新任教員としての着任だったが、立花美香はこの学校に来る前にもどこかの学校で保健室の先生をしていたらしい。ただ、立花美香の年齢は校長先生など一部の先生をのぞいては誰も知らず、池田勇太よりも若く見えると言われることもあれば、三十代の大人の女性っぽいと言われることもあった。
立花美香は、すらっとした長身と整った顔立ち、また、上品な立ち居振る舞いから、学校でアイドル的な扱いを受けることもあり、非公式ながらファンクラブも設立されているという噂もあった。
そして、科学クラブの顧問であり真中しずえ・空木カンナの担任である池田勇太も、立花美香に憧れていた。そのため、科学クラブで医学や生物学の話題が出たときは、それを口実として、池田勇太は真中しずえ・空木カンナを連れてよく保健室に行くことがあった。
「あれ、池田先生、何してるんですか？」と、真中しずえは聞いた。池田勇太は携帯電話をポチポチといじっている。
「ん、ちょっと待って」と真中しずえの顔は全く見ず、携帯電話の小さな画面をじっと見ながら池田勇太は答えた。そのまましばらく真中しずえと空木カンナは、池田勇太の近くで黙って待っていた。
すると、しばらく携帯電話をいじっていた池田勇太が顔をあげて「ああ、ごめんごめん」と言ってきた。「どうしたんですか？」と真中しずえが聞くと、「美香先生に血糖値を測ってくれるかメッセージを送って聞いてみたんだ」と池田勇太は答えた。
池田勇太は、いつの頃からか立花美香のことを、『美香先生』と下の名前で呼ぶようになっていた。真中しずえも空木カンナも、池田勇太が『美香先生』と呼んだときは、二人して『やれやれ』といった表情を浮かべることが多かった。
しかし、このときは、真中しずえと空木カンナの二人は、「え、池田先生、立花先生の連絡先を知ってるんですか！？」と、池田勇太が立花美香に携帯電話の番号を教えてもらえたという事実にとても驚いていた。
驚く二人に対して池田勇太は、「おう、この間な、ついに教えてもらえたんだ」と誇らしげに答えたが、「あ、ちょっと待って。美香先生から返事が来た」と言って、嬉しそうに携帯電話の小さな画面に視線を移した。そして小さなガッツポーズをした。
「二人ともグッドニュースだ。美香先生がヘルプしてくれるらしい。来週の月曜日の放課後に保健室に行こう。そこで俺らの血糖値を測ってくれるらしいぞ」と、今日の研究室見学が決まったときよりもずっと嬉しそうに真中しずえと空木カンナに伝えた。
真中しずえと空木カンナは、『やれやれ』と言った表情でお互いの顔を見て、プッと二人して吹き出した。
＊＊＊
