生成AIが書いたバイオ系短編小説集
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不完全な場所
彼女はキッチンでパスタを茹でながら、いつも特定のタンパク質のことを考えていた。
それは冷室(コールドルーム)の中で、誰にも知られず静かに沈殿していく種類のものだ。その沈殿物は、どんなに遠心分離機を回しても、どれほど強力な界面活性剤を使っても、彼女の意識の底から消えることはなかった。
彼女の名前は紀子といった。都内の有名私立大学で、バイオサイエンスの助教というポストに就いている。
「ねえ、君が選ばれたのは、単に君が優秀だからだけじゃない。それは理解しているよね?」
三ヶ月前、選考委員会のあとの親睦会で、白髪混じりの教授が赤ワインを揺らしながらそう言った。その言葉は、まるで古いカシミアのコートに付いた取れないシミのように、彼女の記憶にこびりついている。その大学には当時、女性研究者の比率を強引に引き上げるための、いわゆる「ポジティブ・アクション」という名の特別な風が吹いていた。
「もちろん、君の業績が素晴らしいのは事実だ。でもね、風が吹くときに窓を開けていたというのは、ひとつの才能なんだよ」
窓を開けていた。風。才能。
紀子は沸騰する鍋の中に、多めの塩を投げ入れた。塩の結晶が湯の中で白く濁り、やがて透明な熱へと変わっていく。彼女の人生も、ある意味ではそのようなものだったのかもしれない。外部から与えられた熱量によって、形を変え、どこか別の場所へと流し込まれる。
***
大学のラボは、深海を航行する潜水艦に似ていた。
厚いコンクリートの壁に囲まれ、窓の外には季節の移ろいなど存在しないかのような無機質な風景が広がっている。聞こえてくるのは、インキュベーターの規則正しい駆動音と、液体窒素のタンクが時折漏らす「プシュッ」という、行き場を失った溜息のような音だけだ。
紀子が自分のデスクに座ると、隣の席の男性ポスドク、サトウがわずかに椅子を引く音がした。
彼は紀子よりも二歳年上で、発表した論文の数も、実験の正確さも、客観的に見れば彼女を凌駕していた。しかし、彼は今も不安定な任期付きの身分であり、紀子は終身雇用(テニュア)への道が約束された「助教」だ。
「おはようございます、紀子先生」
サトウは「先生」という言葉の末尾に、ごく微量の、しかし検出可能なレベルの「毒」を混ぜる。それは0.01%のヒ素のようなもので、致死量には至らないが、じわじわと相手の神経を蝕んでいく。
「おはよう、サトウ君。例のサンプルのPCR、どうなったかしら?」
「ああ、あれですか。順調ですよ。紀子先生が『お忙しい』間に、僕が完璧に調整しておきましたから。なにしろ、僕はポストを得るための政治的な活動をする時間がたっぷりありますからね」
紀子は何も言い返さず、クリーンベンチに向かった。
彼女は手袋をはめ、マスクを装着する。そうすることで、自分の感情をフィルターにかけて、無菌状態に保とうとした。
ベンチの中で、彼女はピペットを握る。
ピペットを握っているときだけが、彼女が自分自身の境界線を確認できる唯一の時間だった。親指に伝わるバネの抵抗。チップの先から吸い込まれる透明な液体。そこには「女性」も「優遇」も「嫉妬」も存在しない。ただ、20マイクロリットルという冷徹な数字があるだけだ。
***
昼休み、紀子は大学の近くにある古い喫茶店に入った。
そこではいつも、1950年代の古いジャズが流れている。ビル・エヴァンスのピアノが、空気に溶けた角砂糖のように甘く、そして哀しく響いていた。
「カツサンドと、ブラックコーヒーを」
彼女が注文を終えると、向かいの席に座っていた男が話しかけてきた。
それは、以前別の学会で知り合った他大学の准教授だった。彼は紀子の現状をよく知っている。
「どうだい、新しいポストの居心地は。砂の上に建てたガラスの城みたいじゃないか?」
「砂の上かどうかは、これから私が証明することです」と紀子は言った。
「そう熱くなるなよ。君を責めているわけじゃない。ただ、みんな見ているんだ。君がそのポストに見合うだけの『魔法』を見せてくれるのかどうかをね。もし魔法が失敗したら、君は単なる『統計上の数字を埋めるための駒』として処理される。アカデミアは残酷だよ。羊の皮を被った狼ではなく、狼の皮を被った羊が一番先に食われる場所なんだ」
紀子は運ばれてきたカツサンドを一口食べた。
衣のサクサクとした食感と、肉の重みが口の中に広がる。しかし、味はしなかった。
自分の存在が、巨大な組織図の中の「ピンク色に塗られた一マス」に過ぎないのではないかという恐怖が、冷たい水のように背中を伝っていった。
***
夜、彼女はラボに戻り、誰もいない暗闇の中で顕微鏡を覗いた。
レンズの向こう側では、緑色に光るタンパク質(GFP)を導入された細胞たちが、不気味なほど鮮やかに輝いている。それらは、誰に強制されることもなく、ただ設計図(DNA)に従って、自らの役割を果たしている。
「あなたたちはいいわね。自分がどうしてそこにいるのか、悩む必要がないんだから」
彼女は細胞に向かって囁いた。
そのとき、ラボの入り口で人影が動いた。サトウだった。彼は帰ったはずだったが、忘れ物を取りに来たのか、あるいは……。
「紀子先生、一つだけ教えてください」
サトウの顔は、非常灯の赤い光に照らされて、半分が影に溶けていた。
「もし、僕が女だったら。あるいは、あなたが男だったら。僕たちの位置は逆転していたんでしょうか? 科学っていうのは、染色体の組み合わせだけで決まるものなんですか?」
紀子は、サトウの問いかけにすぐには答えなかった。答えは、深夜のラボの沈降した空気の中に、目に見えない粒子のようになって浮遊していたからだ。
「染色体だけで決まるわけじゃないわ。でも、私たちはみんな、何らかの配列に縛られて生きているのよ。それはDNAかもしれないし、社会のシステムかもしれない。あるいは、単なる不運なタイミングかもしれない」
サトウは短く鼻を鳴らし、何も言わずに去っていった。彼の足音が廊下の突き当たりで消えるまで、紀子は顕微鏡の接眼レンズに押し当てた瞼を動かさなかった。

