“50代&非PI”の生存戦略〜「持たざる研究者」のサバイバルガイド
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第6回:流動性という名の罠
現在のバイオ研究業界を支えているのは、華々しいスポットライトを浴びるPIたちでも、業界の方策を決める役人たちでもありません。底辺や中堅のポジションで身動きが取れなくなっている膨大なポスドクや任期付き研究者たち。彼ら彼女らこそが、死屍累々の重さで崩れ始めたこの業界をかろうじて支えているのです。
もちろん、彼ら彼女らが今の不安定な立場に置かれているのは、個人の能力の欠如や怠惰な選択の結果では決してありません。これは現代のアカデミアが抱える最大の人道的・構造的な歪みであり、かつて日米両政府が主導しメディアが追従した、壮大にして無計画な「国策」の破綻がもたらした人工的なバブルの残骸なのです。
振り返れば1990年代、日本政府は「大学院重点化」を強力に推進し、その一環として「ポストドク1万人計画」を国策として掲げました。先行するアメリカのシステムを模倣しながら、「科学技術立国を支えるには大量の博士号取得者が必要だ」と、大学もメディアも大々的に若い才能を煽り立てたのです。
しかし、この壮大な計画には、決定的な視点が根本から欠落していました。
「大量生産された博士たちが、数年後にどのようなキャリアパスへと移行するのか」
そうした出口戦略、すなわちグランドデザインが完全に不在だったのです。
入口の蛇口を全開にして水を流し込みながら、排水口のバルブは閉じたまま。そんな歪な構造に放り込まれた私たちは、淀み腐りかけた水の中で、自らの学位の価値が日々希釈されていく恐怖を味わうことになりました。50歳を迎えた「非PI」のサバイバルを語るにあたり、この国策の欺瞞と、それが生み出した「流動性」という名の免罪符の正体を、今一度冷静に解剖しなければなりません。
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なぜ明確な出口戦略がないにもかかわらず、国や大学は博士号取得者を増やし続け、ポスドクという不安定なクッションポジションを拡大し続けたのでしょうか。そこには、競争的研究費の獲得システムと、個々のラボの運営を維持するための、極めて冷酷な経済的合理性が働いていました。
近年のバイオ研究が巨大化・複雑化し、トップジャーナルに論文一本を掲載するために要求されるデータ量が天文学的に膨れ上がるなかで、PI(Principal Investigator:研究室主宰者)たちが切実に求めたものは何だったか。それは、高度な実験を低コストで、かつ黙々と遂行してくれる「安価で優秀な自立した労働力」です。
一般の企業であれば、30代・40代と年齢を重ね技術が熟練した社員には、それに見合う高い給与や退職金、そして雇用の安定を社会的責任として提供しなければなりません。しかしアカデミアという「治外法権」的な特殊市場では、ポスドクや任期付き研究員という身分を利用することで、こうした労働コストを丸ごと回避できます。
グラントから支払われる彼らの給与は、どれほど技術が熟練しようとも上限を超えることはなく(しかも、その上限は驚くほど低く設定されている)、ボーナスもなければ退職金の積み立てもありません。そして何より、数年の任期が切れれば、組織側は何のペナルティも負わずに雇用を終了し、また次の若い博士を「補充」するだけで済むのです。
つまり、大量生産されたポスドク(特任助教もこれに含まれます)とは、科学技術の未来を担う高貴なエリートなどではなく、PIが獲得した研究費を論文という成果物へと変換するための、最も効率のよい「使い捨ての燃料」にほかなりませんでした。50歳を迎えてなおPIになれなかった人たちは、育てるべき知の継承者としてではなく、論文生産ラインを回し続けるための「高学歴の兵卒」として集められ、消費されてきたのです。
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大学や文部科学省、あるいは研究助成団体が、この不安定きわまりない雇用形態を正当化する際に必ず持ち出す便利なマジックワードがあります。それこそが「流動性」という言葉です。
研究者は一つの組織に安住するべきではない、日米の多様なラボを渡り歩き異なる環境で多様な技術や思想に揉まれることによってこそ、真のイノベーションが生まれるのだ。一見すると知的で前向き、かつ国際的に響くこの美しいスローガンは、実際には、大学や国家が研究者の雇用保障と人生に対する責任を完全に放棄するための「洗練された免罪符」として機能してきました。
日米の現場を実際に渡り歩いてきた私は、この「流動性」という美名がもたらした悲惨なミスマッチを、嫌というほど目撃してきました。
アメリカにおけるポスドクの流動性は確かに激しく過酷なものです。しかしそこには、「実力と技術があれば、いつでも民間のバイオベンチャーや巨大製薬企業へ高給で転じられる」という、圧倒的に巨大な民間市場の受け皿が前提として機能しています。いざとなれば自ら起業するという選択肢も現実的に存在します。ところが日本のアカデミアはその根本的な前提を無視し、「雇用の流動性」、すなわち任期を設けることで研究者を容易に雇い止めできるという、雇用側にとって都合のよい部分だけを切り取って導入したのです。
さらに言えば、アメリカでさえ今や状況は変わりつつあります。経済の不安定化と海外からの研究者流入が重なり、アカデミアでPIにもなれず、企業へも移れない高齢ポスドク、もしくはスタッフサイエンティストという肩書きを与えられながら実態はポスドクと変わらない研究者たち、がアカデミアに滞留し続けるという問題が、アメリカでも深刻化しています。
一方、日本の一般企業や伝統的な産業界は、年齢を重ねた「アカデミア純粋培養」の博士やポスドクの中途採用に、長らく極めて消極的でした。結果として、「流動性」という言葉に乗せられ、日米のラボを転々としながら業績を積み上げてきた誠実な研究者たちが40代・50代を迎えたとき、彼らの眼前に広がっていたのは、アカデミアに椅子もなく、産業界への扉も閉ざされたという、どこにも出口のない袋小路でした。流動性とは、研究者を輝かせるための仕組みなどではなく、アカデミアが彼らを使い古した後に、合法的に社会の周縁へと押し流すための「洗練された排除の論理」だったのです。
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国策に乗せられ、ラボの論文生産を支える労働力として配置され、流動性という名のもとに各地を転々としながら、気づけば50代の非PIとしてベンチに立っている。この現実を前にしたとき、私たちはどのような感情を抱くべきでしょうか。国やアカデミアへの憤りでしょうか、それとも報われなかったキャリアへの諦念でしょうか。
私は、そのどちらでもなく、静かな「誇り」と「確信」を持つべきだと考えます。
なぜなら、生存率の低い、歪んだ構造の中に置かれながらも、私たちは四半世紀、今なお現役で科学のベンチに立ち続けているからです。それは、世間が用意したエリートコースを歩んだからではなく、環境の激変に適応し自らの技術と知性だけで生き抜いてきた、紛れもない実力の証です。
数年ごとに訪れる任期切れの不安を乗り越え、研究費の潮目が変わるなかでも、データを生み出し続ける術を身につけてきた。その過程で培われた実戦的な能力は、組織の中で安定した環境に守られてきた多くのPIたちには持ちえないものです。
私たちは、アカデミアという特殊な環境のなかで、長年Wetラボの現場で実験をし続けてきました。その圧倒的な経験の蓄積こそが、後半生を支える、誰にも奪われない確かな基盤となるのです。
【特別コラム #06】組織の「流動性」を逆手に取り、自らの「ポータビリティ」を確立する
国策や組織が押しつけてくる「流動性(=身分の不安定さ)」に翻弄されるのではなく、自分の側からいつでも環境を選び直せる「ポータビリティ(=技術の携帯性)」へと発想を転換する。それが今回の実践的な戦略です。
組織があなたを「いつでも切れる都合のよい存在」として扱うのであれば、あなたもまた現在のラボを「自分の研究を継続するための、一時的な場所」として割り切って見なせばよいのです。以下の2点を意識してみてください。
「ここにしかいない自分」から「どこでも再現できる自分」へ
現在のラボで担当している実験系や、RあるいはPythonによるデータ解析のパイプライン(PCA、UMAP、差分発現解析の自動化コードなど)を、あなた個人に紐づいた「ポータブルな資産」としてまとめておきましょう。グラントが切れても、「私のコードとプロトコルがあれば、翌日から御社のデータ生産性に貢献できます」と示せる状態(GitHubのプライベートリポジトリの整理など)を持っておくこともおすすめです。
学内の「人間関係のインフラ」を個人の資産として維持する
長年かけて築いてきた、共通機器室の技官とのつながり、試薬メーカーの担当者との信頼関係、あるいは他部署の異分野研究者とのインフォーマルな協力関係。これらを現在のボスの人脈としてではなく、あなた個人の「インフラ」として意識的に維持しておきましょう。あなたが動くとき、そのインフラも共に動くようになるとサバイバル能力が向上します。
「流動性」という条件は、受け身でいれば不安定さの源ですが、主体的に使えば自分の可能性を広げる手段になります。特定のラボの存亡に自らの命運を委ねるのをやめ、どこへでも持ち運べる技術と関係性を静かに、着実に整えていきましょう。

