数理モデルで予言された高機能3次元表皮の開発



執筆者情報

執筆者:熊本淳一1、中西忍2、牧田未央2、上坂正晃1、安ケ平祐介3、小林康明4、長山雅晴1、傳田澄美子2、傳田光洋2

執筆者所属:1Research Institute for Electronic Science, Hokkaido University, Sapporo, Japan、2Shiseido Global Innovation Center, Yokohama, Japan、3Graduate School of Science, Hokkaido University, Sapporo, Japan、4Center for Simulation Sciences, Ochanomizu University, Tokyo, Japan

原著論文:Mathematical-model-guided development of full-thickness epidermal equivalent. (Scientific Reports 8:17999, 2018)

掲載日:2019年1月29日

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概要

科学技術振興機構(JST) CREST 研究領域「数理モデリング」の「数理モデリングを基盤とした数理皮膚科学の創設」(研究代表者:長山 雅晴)チームにおいて、熊本淳一(北海道大学・学術研究員)と傳田光洋(資生堂・主幹研究員)らは、ヒト表皮の角層バリア恒常性維持機構を表現した数理モデルを確立し、そのシミュレーション結果が予言した高いバリア機能を持つ3次元培養表皮を、実際の培養系で構築することに成功しました。

背景

ヒトの表皮細胞*1を用いて作られる人工表皮、いわゆる表皮モデルは、さまざまな皮膚疾患、加齢変化のメカニズム解明や表皮そのものの機能解明といった基礎研究に応用されるだけではなく、新薬の開発や化粧品の開発工程で行われる安全性試験にも用いられる重要なリサーチツールであり、多くの研究者が注目し研究しているツールです。しかし、今まで多くの研究者によって作られた表皮モデルはヒトの表皮を十分に模倣できていません。例えば、細胞分裂を重ねた(継代した)表皮細胞を用いて表皮モデルを構築しようとすると、実際のヒト表皮とは異なりとても薄い表皮しか構築されません。また、細胞分裂を重ねていない細胞は貴重であり、そのような細胞を用いて再生医療などの細胞を大量に必要とする研究を行うことは困難です。さらには、皮膚の最も重要な機能といっても過言ではないバリア機能*2はヒト皮膚(表皮)と比較するとまだまだ不完全です。

研究チームは、2010年度より採択された科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業CRESTの中で、表皮を構築する際のさまざまな細胞プロセス、表皮細胞の分化*3、表皮幹細胞*4の情報などを取り込んだ表皮恒常性*5を維持した数理モデル*6を確立しました。そして、その数理モデルを用いてさまざまなコンピュータシミュレーションを行った結果、表皮の構造や厚さは、表皮幹細胞の空間的分布と、その表皮幹細胞が播種される基底膜*7の構造によって大きく影響されることが判明しました。基底膜の構造が直線的な場合に比べ、波上のような構造をしている時に表皮が肥厚することが数理モデルとそのコンピュータシミュレーションから分かりました(参考図1)。


(参考図1:画像クリックで拡大)

多くの研究者によって作られた現在の表皮モデルの底部はほとんどが直線的なものであるため、同チームは、そのコンピュータシミュレーションを元に、表皮モデルの底部に簡易的に凹凸をつけるだけで、細胞分裂を重ねた表皮細胞を用いても、分厚く、バリア機能が向上した表皮モデルが構築できるのではないかと考え、その表皮モデルを構築し、でき上がった表皮モデルの機能を評価する研究を行いました。

研究手法

数理シミュレーションの結果を元に、市販されている表皮構築培養容器を用い、その培養容器の底部(細胞が密着する部分)に、糸の一本一本の太さや格子の密度などを変化させたさまざまなパターンのポリエステルメッシュを密着させて、簡易的に凹凸を付けた培養容器を作製しました。その後、その培養容器に細胞分裂を3回以上重ねた表皮細胞を播種しました。そして、市販されている細胞培養溶液や確立された一般的な表皮モデル培養プロトコル*8を用いて12日間培養し表皮モデルを構築しました。

できた表皮モデルの機能評価を行うためにまず表皮の厚さや構造を観察しました。HE染色*9を用いて、表皮の厚さを評価し、その表皮がヒト表皮のようにしっかり分化しているかどうかを確認するために分化マーカー*10などを用いた免疫染色*11を行いました。その後、表皮モデルのバリア機能を評価しました。主に電子顕微鏡を用いて角層*12(細胞間脂質*13の状態)を観察し、バリア機能を評価する一般的な評価法であるTEWL(Trans Epidermal Water Loss)法*14を用いてバリア機能を評価しました。さらには、増殖細胞の数や表皮最底部である基底層に属する細胞の分布を調べるためにそれぞれのマーカーを用いて免疫染色を行いました。

研究成果

HE染色の結果、培養容器底部にポリエステルメッシュを密着させていない培養容器(コントロール*15)を用いて構築した表皮モデルに比べ、ポリエステルメッシュを密着させて簡易的な凹凸を構築した培養容器を用いて構築した表皮モデルの方がとても厚い表皮が構築されました(参考図2)。その表皮がヒト表皮のように正常に分化していることが分化マーカーなどを用いた免疫染色から判明しました。そして、バリア機能評価ではヒト表皮のような細胞間脂質を含む厚い角層が形成されていることが電子顕微鏡観察結果から得られ、TEWLの評価ではコントロールと比べて有意に水分蒸散量が少なくなりました。さらには増殖細胞の数や基底層に属する細胞分布を調べるためにそれぞれのマーカーを用いて免疫染色した結果、ポリエステルメッシュの周辺や上部にも増殖細胞が見られ、基底層の分布もコントロールに比べて広がっていました。この結果は表皮細胞が基底部と認識できるエリアがポリエステルメッシュのおかげで広がったことで表皮が肥厚し、バリア機能が高くなったことも示しています。これら結果から、数理シミュレーション結果を模倣した培養容器を用いて表皮モデルを作製すると細胞分裂を重ねた表皮細胞を用いてもヒト皮膚表皮並みに厚く、高バリア機能を有する3次元表皮が構築できることが分かりました。


(参考図2:画像クリックで拡大)

今後への期待

この3次元表皮モデルは老化に伴う乾皮症などさまざまな皮膚疾患のメカニズム解明に役立つ他、皮膚外用剤、化粧品などの効果を評価するための評価ツール、あるいは再生医療にも展開できるという可能性を持っています。さらに本研究成果は、数理モデルとそのコンピュータシミュレーションが生命科学、医学の領域で極めて有効な方法論であることも示唆しています。

用語解説

*1 表皮細胞: 脊椎動物の皮膚最表層(表皮)を構築する上皮系細胞のこと。
 *2 バリア機能: 体外からの細菌やウイルスなどの異物の侵入や体内からの過度な水分流出を防ぐ機能のこと。
 *3 細胞分化: 特異的な機能を持っていない細胞(未分化細胞)がより特異的な機能を持った細胞に変化するプロセスのこと。表皮細胞では表皮の最も下層(基底層)にある幹細胞を有する細胞から表皮バリア機能を有する角層へと細胞が特異化していくこと。
 *4 幹細胞: 自己複製能とさまざまな細胞に分化する力を持った細胞のこと。
 *5 表皮恒常性: 表皮細胞が基底層から角層へと分化を繰り返すことでバリア機能などの肌、表皮の機能を保ち続ける機構のこと。
 *6 数理モデル: さまざまな現象について方程式などを用いて数学的な形で表現すること。
 *7 基底膜: 表皮と真皮の間に存在する薄い膜のこと。
 *8 プロトコル: 実験手法をまとめた手順書のこと。
 *9 HE染色法: ヘマトキシリン、エオジンという2種類の色素を用いて、細胞核と核以外の組織 成分を染め分ける染色方法。
 *10 分化マーカー: 表皮が正常に分化していく際に発現するタンパク質を染める抗体群。
 *11 免疫染色法: ある特定の物質に特異的に結合する抗体を用いて、組織標本中の抗原を検出する染色手法。
 *12 角層: 皮膚最外層にあり、角質化した表皮細胞とその間隙を埋める脂質(細胞間脂質)から構成される層。
 *13 細胞間脂質: 角質内で角質細胞間の間を埋めている脂質のこと。セラミド、コレステロール、遊離脂肪酸などから構成されている。
 *14 TEWL法: 経皮水分蒸散量を測定する方法。
 *15 コントロール: 実験結果を検証するための比較対象を設定した実験に使用されるサンプルのこと。

本研究に関連する参考文献

1. Kumamoto J, Nakanishi S, Makita M, Uesaka M, Yasugahira Y, Kobayashi Y, Nagayama M, Denda S, Denda M Mathematical-model-guided development of full-thickness epidermal equivalent. Sci Rep 8: 17999, 2018
 2. Denda, M., Denda S, Tsutsumi M, Goto M, Kumamoto J, Nakatani M, Takei K, Kitahata H, Nakata S, Sawabu Y, Kobayashi Y, Nagayama M. Frontiers in epidermal barrier homeostasis - an approach to mathematical modeling of epidermal calcium dynamics. Exp Dermatol 23,79-82 (2014)
 3. Kobayashi, Y., Sawabu, Y., Kitahata, H., Denda, M., Nagayama, M. Mathematical model for calcium-assisted epidermal homeostasis. J Theor Biol 397, 52-60 (2016)
 4. Kobayashi, Y. and Nagayama, M.. Mathematical model of epidermal structure. R.S. Anderssen et al. (eds.), Applications + Practical Conceptualization +Mathematics = fruitful Innovation, Mathematics for Industry 11, Springer Japan, pp121-126 (2016)

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