海外ラボリポート
Tweet杉村竜一 博士 〜米国ボストン小児病院/ハーバード大学から(2015年06月15日更新)
研究の時流(1ページ目/全2ページ)
時流に逆らって独創性のある研究をした、という成功談は枚挙に暇ない。しかし、必ずしも時流に逆らうことが是であるわけではない。むしろ時流に乗るか乗らないかという次元を超越して、時流を作る側を目指してはどうか。この記事では、自らの留学体験を基に一つの考え方を紹介したい。
『敢えて時流に反する「1対99」のスタンス』
私は大阪大学医学部を卒業後、義務研修をせずに大学院に進学した。カンザスのStowers Institute for Medical Researchという研究所で博士研究を行った。大学院での留学の仕方や留学初期の体験談は複数の媒体に書いてきたので、当記事では研究の時流という抽象的なテーマを軸に自分の留学から得られたこと、そして現在まさに経験していることを描出したい(これまでの留学体験記の一部は本リポートの最後に注釈として加えたので、ご興味のある方は参照いただきたい)。
愛読している司馬遼太郎の歴史小説に時流というものがよく出てくる。幕末の動乱から新政府へ移行する誰にもせき止められない流れがそうだ。「竜馬がゆく」や「花神」は時流の方にたった側であり、「峠」や「燃えよ剣」は時流に逆らった側だ。私はどうも医学生の頃から基礎研究を志していた変わり者であったせいで、「1対99」という構図にすっかり慣れてしまった。大局に反対したい反骨精神というものが育っていたのだろうか、医師としての就職に必須な6年時の病院マッチングすら受けていないし、医師免許も取得しなかった。その頃に黎明期を迎えていたiPS細胞技術にもそっぽを向いて、造血幹細胞の維持機構というテーマで進学した。私の院時代にiPS細胞技術は全盛期に入ったけれど、それもどこ吹く風だった。
造血幹細胞の維持機構という研究領域には2000年代前半の研究で定説とされたものがあった。しかしその数年後、新発見により定説が覆されようとしていた。私が博士研究を始めた頃は激動の如く発見が積み重なり、従来の定説は既に1対99の構図であった。私の所属していた研究室は過去にその定説を提唱し、それにしがみついている側であった。時流に真っ向から逆らっていた。これは学生時代に培った私の反骨精神に合っていた。そのお蔭か私も当時の主流派に喧嘩を売るような学会発表や幾ばくかの発見をした。既に顧みられなくなりつつある学説を研究しているのだから全く同じことをしている研究者が世界のどこにもいない、スクープされる恐れもない。そうした研究スタンスから来た発見に独創性を見出されたのか、博士研究の論文はCellという有名誌に載ることになった。やはり時流は単なる流行だったのだ、という思いがした。しかし、自分の研究は世界にどれくらいインパクトを与えるのだろうか。雑誌のインパクトファクターとはほぼ関連なく、本当に質が高く世界にインパクトを与える研究とは、脈々と人々に受け継がれ、更に発展していく。自分の研究がそれとは程遠いということは、時流に立った側から次々報告されるエキサイティングな論文が、リレーのバトンタッチのように次々と複数の研究室から出されるのを目の当たりにして思った。
私は敢えて消えゆく仮説に組することで、結果的に独創性を謳うことになった。他の99人と反対のことを言うのだ。しかし時流の側にたった論文は多くの研究者によって支持・追試がなされる。そうして高い質と再現性を追究した論文が更に出される。片や少数派は予算や研究規模に限界があるため、穴も見られる。新種の貝の発見のようなモノトリならともかく、幹細胞のような臨床に近い研究領域では大規模なデータやあらゆる検証が要される。工場のような規模での年単位にわたる長期動物実験も求められる。実験の規模と再現性、そして将来の応用の安全性の追究を考慮すると、時流に立つか立たないというスタンスはいかに矮小か思い知らされた。なにせ幹細胞の研究は、ヒトへの応用に密接に関わる。そこには一人の研究者の哲学的なスタンスなど何の意味もない。
博士論文が終わり自分の行く末を考えるようになった頃、iPS細胞技術は世界にインパクトを与え続けていた。基礎科学の理解だけでなく、将来の応用も見据えた仕事へと新たなフェーズに移行していた。時流=単なる流行と思って来たが、本当に質が高く人々から愛されるサイエンスは新たな時流を作り出すのだ。
『そして時流を作るサイドへ』
私はミーハーな流行ではなく分野のあるべき方向への蠕動としての時流を経験した。そしてiPS細胞技術のように多くの研究者から追試され、その価値が認められ、新たな時流を作り出す例を見てきた。
時流に乗るか乗らないかという考えを超えて新たな時流を作り出す側を体験したいと思い、ポスドクでは研究室も研究対象も変えることにした。研究室選びの際の選考や面談はブログに載せたのでそちらを参照してほしい(ポスドクインタビュー、「すぎりおのがんばったるねん」)。また2012年の学位取得から2014年のポスドク開始の1年半、学位取得研究室に居残ることでキャリア的な喪失期間を経験した。この詳細は当記事の本質とは離れるので実験医学-UJA主催のオンライン記事「留学のすゝめ」にある。