Nature/Scienceのニュース記事から



第16回(2012年5月14日更新)

議論を呼んだインフルエンザの論文が公開される

野生のトリ・インフルエンザ(H5N1)は、ほんの小さなあと一歩で哺乳類間で拡散しうるーそれが話題になっている。 ウィスコンシン・マディソン大学のカワオカ・ヨシヒロによる研究が発しているメッセージである。この研究は、どのように公開されるべきか何ヶ月もの議論を経てNature誌に発表された。

H5N1は一般にはトリ・インフルエンザと呼ばれ、ヒトにおいても病原性が高く致死性であるが、ヒト同士の間では伝染性が低く、症例は稀である。H5N1がヒト間で簡単に伝染するように進化しうるのかどうかを調べるために、カワオカとそのチームは、ウィルスが宿主細胞に結合するのに使うヘマグルチニン(HA)というタンパク質の遺伝子を変異させた。ウィルスは野生でも遺伝子を交換することで新しい性質を獲得することができるので、カワオカらは2009年に大流行を起こした高伝染性のH1N1株の遺伝子7つを組み合わせた。

カワオカらはハイブリッド・ウィルスにたった4つの変異を入れただけで別々のケージで飼育されているフェレット間で伝染することを発見した。4つの変異のうちの3つは哺乳類細胞の受容体分子にHAタンパク質が結合できるようにするもので、もう一つはHAタンパク質を安定化するものであった。カワオカは「この実験を始める前から、受容体の特異性が重要であることはわかっていたが、それ以外に何が必要なのかはわかりませんでした」と言う。

心配なことに、中東のH5N1株は既にヒト受容体を認識することができる。カワオカらの発見は、安定化させる変異があと一つ起きただけで、H5N1ウイルスがヒト間での伝染性を獲得するかもしれないということを示唆している。ウイルスが哺乳類間で空気感染するのにHAタンパク質が安定化されなくてはならないというのは重要な発見である、とImperial College Londonのインフルエンザ学者Wendy Barclayは言う。

カワオカらの研究は、昨年オランダ・ロッテルダムのErasmus Medical CenterのRon Fouchierらによる類似の実験の詳細を手がかりにしている。これらの研究に関するニュースにより、これらの潜在的に危険な変異について知る利益は、公に発表するリスクを上回るのかどうか激しい議論を巻き起こした。独立した政府諮問委員会である米国バイオセキュリティ国家科学諮問委員会(NSABB)は、ウイルスがバイオテロリストに利用される恐れや制約のない状態で研究が急増することで、ウイルスが予想外に研究室から放出されてしまうリスクがあるとして、2011年12月にこれらの論文は発表前に検閲されるべきだとの意見を示した。 

しかし、国際的なインフルエンザの専門家と保健問題担当機関の代表者らを含む会議の後、2012年3月にNSABBは、これら2つの論文の改訂版が出版されるべきと判断した。委員会は、このような研究に対する監視を強める計画や、監視することによる潜在的な利益について新たに情報を得たことにより意見を変えたのである。さらに彼らは、研究をする権利を制限することは難しいということも認めた。

H5N1ウィルスは、トリ細胞の表面にあるSiaα2,3Ga1を含む受容体タンパクに結合しやすい。これに対して、ヒト上気道の細胞は、形がわずかに異なるSiaα2,6Ga1を含む受容体が点在している。H5N1がヒト型の受容体を認識するようになりうるかどうかを調べるために、カワオカのチームはHAタンパク質に無作為に変異を導入した。彼らが作成した210万種の株のうち、一つだけがトリ型ではなくヒト型の受容体を認識した。この変異株では4つのアミノ酸が変化しており、うち2つは新しく得られた特異性に必要であった。一つはグルタミンからロイシン(Q226L)、もう一つはアスパラギンからリジン(N224K)の変異であった。

次にカワオカらは、変異したHA遺伝子を2009年に大流行したH1N1株の7遺伝子と融合させた。このようなハイブリッド・ウィルスは自然にも発生しうる。H5N1とH1N1は共にブタでも発見されており、カワオカらはこの二つの株は互換性のある遺伝子を持っていることをこれまでに示している。今回作成されたハイブリッド・ウィルスは、フェレットに感染した後でさらに進化した。6日後には、一匹のフェレットにおいて他のフェレットに比べて何万倍ものウィウルが発生した。このウィルス株の塩基配列を調べたところ、HAに3つ目の変異(アスパラギンからアスパラギン酸;N158D)が見つかった。

この3つ目の変異によって初めてウィルスがフェレット間で伝染することが可能になった。3カ所の変異を持つウィルスをフェレットに感染させると、空気感染により近隣のケージにいた別のフェレットにも感染した。伝染したウィルスの中には、HAに4つ目の変異(スレオニンからイソロイシン;T318I)を持つものがあり、伝染性がより高いことが、続く実験により示された。

ハイブリッド・ウィルスは、感染した全てのフェレットを死に至らせたわけではなかった。また、2009年に大流行したH1N1株に比べて伝染速度は遅く、肺における損傷も比較的軽く、最前線の薬であるタミフルやH5N1に対するワクチンのプロトタイプによって抑えることが可能であった。このウィルスが、フェレット間だけでなくヒト間でも伝染するのかどうか、また、HAの4ヵ所の変異により純粋なH5N1でも同じように伝染性が生じるのかは不明である。カワオカらのハイブリッド・ウィルス中のH1N1由来の7遺伝子が空気感染に寄与したのかもしれない。それでも「この研究により我々が比較的小さな変化に対して、いかに脆弱でありうるかを考えさせられる」と、ベトナム・ホーチミン市のオックスフォード大学臨床研究ユニットのディレクターであるウィルス学者Jeremy Farwarは言う。

4つの変異の性質は、ウィルスが進化に際して重大な取引(妥協)に直面していることを示唆している。インフルエンザ・ウィルスは、遺伝物質を放出するために宿主細胞の膜に自身の膜を融合させなければならない。HAタンパク質は、細胞のpHに応じて形を変えることにより、このプロセスを開始するのだが、カワオカらによる3ヵ所の変異によりHAの形の変化が早く起きすぎてウィルスが拡散する能力が低下する。4つ目の変異T318IによりHAタンパク質が安定化し、形の変化が正しいタイミングで起きるようになる。ウィルスが正しい細胞を認識して感染に成功するためには、4つの変異全てが必要である。「それがこの論文の大切なところです」とカワオカは言う。「ただ変異を突きとめただけではなく、それらの変異が機能を発揮するメカニズムをも突きとめたのです」

別の研究グループは既にハイブリッドH9N2-H3N2ウィルスにおいて類似のメカニズムが機能していることを発見していた。ウィルスは1つ目の変異により正しい受容体を認識できるようになり、なおかつ2つ目の変異により膜融合プロセスが安定化されて初めてフェレット間で伝染することが可能になった。特異性と安定性が必要なのは、容易な伝染のために共通して必要な要素なのかもしれない。

エジプトや中東諸国のH5N1株は、N158D変異を初めとしてウィルスがヒト型受容体に結合できるようにするいくつかの変異を既に持っている。さらに、その中には哺乳類における効率的なウィルス複製に関与するPB2遺伝子にも変異を持つものがある。あと足りないのは安定化のための変異のみである。

カワオカは、彼の実験は特定の変異を追うよりもそれらの変異によりどのような性質が現れるのかを全体として見ていくことが重要であることを示していると言う。もしあるウィルスがヒト細胞に結合することがわかった時には、そのウィルスをほんのもう少し調べるだけで、その危険度合いがわかる。すなわち、50℃まで加熱して安定性を調べるのだ。「とても簡単なアッセイです」と彼は言う。

この研究は、「受容体特異性以外にHAタンパク質のどの性質が哺乳類間での空気感染に重要であるかを初めて示すものだ」とRacanielloは言う。「もし発表しなかったとしたら、非常に大きな損失だったでしょう。」

http://www.nature.com/news/mutant-flu-paper-published-1.10551

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