Nature/Scienceのニュース記事から



第41回(2012年10月26日更新)

疑惑の幹細胞研究者が未だ主張を続ける

森口尚史氏が東京大学から「大学の名誉と信頼を傷つけた」として懲戒解雇された翌日、彼はScience誌のインタビューで、心臓病の患者に患者本人由来のiPS細胞から調整した心筋細胞を注入する実験は本当に行ったのだと主張した。彼は、自分の間違いを認めたし、自分の主張に疑義があることも認めたが、その1件の処置だけは本当にやったのだと言う。

10月20日に東京のホテルで行われた2時間余りのインタビューで、森口氏は東大に解雇されたことには不満げであったが、礼儀正しくリラックスした様子であった。調査に協力すると約束したにも関わらず、東大は突然懲戒解雇に踏み切ったのだと彼は言う。彼は、東大病院の研究室にある彼のコンピューターから、調査に役立つような証拠を見つけたいと考えていたが、既にそのコンピューターにはアクセスできない状態で、協力するのは非常に難しいと述べている。

森口氏はさらに、彼の論文の共著者たちが彼を見捨てつつあることにも失望している。中には、論文から自分の名前を外すようにエディターに頼む人や、論文の最終版を見ていないと言っている人もいると語った。森口氏は、自分がコレスポの論文は全て共著者らに見せたと主張しており、自分が研究の責任者ではあったが、同僚たちと話し合いをしたり助言をもらったりしたのだと強調した。共著者として名前をのせて欲しくなかったなら、最初からそう言うべきだったと、彼は言う。また共著者らが今回の問題について、日本のメディアでの報道を聞いただけでProtocol Exchangeから自分の名前を削除して欲しいと要請していることに対して、彼は「少なくともコレスポの自分に連絡はすべきだ」と批判している。

彼自身、自分が犯した間違いは認めている。Science Reportsに発表された2つの論文には、「この研究は所属組織の治験審査委員会によって承認された」という全く同一の記述がある。このうち1つの論文では、所属はHarvard Medical Schoolと東京大学となっている。もう1つの論文では、この2つに加えて東京医科歯科大学にも所属していることになっていた。森口氏は、治験審査委員会の承認は得なかったと述べている。彼は、治験審査委員会の承認が必要だったかどうかは大した問題ではないと思ったと説明している。論文の記述を含めて、「手続き上のミスである」と彼は言う。森口氏によると、Sciecne Reportsには既に論文を取り下げたいと申し出ているらしい。

また、森口氏は自分の所属についての誤解も訂正したいという。Harvard大学は、彼は1999年の終わりに1ヶ月ほどvisiting scientistとして所属していたのみであると発表している。しかし森口氏は、1999年11月から2000年11月まで丸1年の間、Harvard大学にvisiting scientistとして過ごしており、さらに2006年に現在の所属を確立したと主張している。彼はマサチューセッツ総合病院とHarvard Medical Schoolのロゴと住所のレターヘッドがついた手紙を公開した。この手紙の日付は2006年2月で血液学科長Raymond Chungのサインがある。レターの内容は、森口氏が同病院に到着した日から同病院に滞在中は、Harvard Medical Schoolの客員講師およびマサチューセッツ総合病院のコンサルタントの職位を与えるというものである。

「同病院に滞在中は」という文言にも関わらず、森口氏は、これは現在も有効な職位であると主張している。しかしマサチューセッツ総合病院のスポークスマンは、あれは2006年のイベントに森口氏が参加するのを助けるための一時的な職位であったとしている。しかも、そのイベントには森口氏は来なかったため、この職位は即座に無効となったのだと表明している。

森口氏は、2011年7月の"Methods and Compositions for Reprogramming Cells"という特許をChung氏と共同で発明者として発表しており、譲受人はマサチューセッツ総合病院の法人組織である"The General Hospital Corporation"となっている。先述のマサチューセッツ総合病院のスポークスマンによれば、申請は取り下げ手続きの最中とのことである。しかし森口氏は、「もし私がHarvard大学やマサチューセッツ総合病院に何のつながりもないなら、特許の申請が受理されるわけがない」と言っている。

彼はさらに、細胞生物学の実験のノウハウは独学で身につけたと説明している。看護学の学士号と健康推進の分野の修士号を持ち、東京の健康政策シンクタンクでまず働き、1999年8月に東大先端科学技術研究センターに移って薬物評価と医療経済に関する政策問題についての仕事をした。森口氏は、画期的な薬を自分で開発することに挑戦したいと2006年のときに思ったと言っている。彼はキャンパスのそばに部屋を借りて研究室を作り、実験技術は独学で習得したのだという。後にボストンにも同様の研究室を作ってiPS細胞について自分で研究し、化学物質で体細胞からiPS細胞を作る方法を開発した。研究資金は自費でまかなったとしている。

彼は、iPS細胞由来のブタ心臓細胞を培養し、共同研究者がそれをブタに移植した。ブタの実験が成功したので、ボストンに構えた研究室で3千万個の心筋細胞を培養し、これが2011年に心臓病の患者に注入されたのだと彼は言う。彼は、その患者は元気にしていると信じているらしい。しかし、彼は共同研究者である医師の名前は明かしておらず、しかもその医師はなぜか連絡が取れない状態であるとのことである。

森口氏は自分のおかしな話が信じがたいということは認めている。だからこそ証拠を集めて見せたいのだという。

http://news.sciencemag.org/scienceinsider/2012/10/discredited-japanese-stem-cell-r-14.html

ページトップへ戻る

Copyright(C) BioMedサーカス.com, All Rights Reserved.