研究者の声:オピニオン



2011年8月20日更新

若手研究者が悲惨だとされる最近の風潮はおかしい

アメリカに8年滞在している私の目から見ると、昨今の日本における研究者の悲哀は真実を反映しているようには思えません。

私は日本の大学を卒業してPh.D.コースの学生としてアメリカに来ました。そして、今はpost-docとしてアメリカで研究生活を送っています。この記事は、私の名前と現在の所属を明かした上で公開してもらうべきか悩んだのですが、BioMedサーカス.comの編集部と相談させていただいた結果、実名は伏せて公開する運びとなりました。理由は、私の文章および見解が一部の研究者(読者)の気分を害し、その方々がネット上で私を攻撃することで私のリアルでの研究生活に悪影響が出る恐れがあったからです。

私の原稿はおそらく万人に受け入れられるものではないと思います。ブログのコメント欄のようなものがあったら、おそらく炎上してしまうでしょう。幸い、BioMedサーカス.comにはコメント欄はありません。ですが、BioMedサーカス.comはtwitterの公式アカウントがあり、また、BioMedサーカス.com編集部への公式メールアドレスもホームページ上で公開しています。私は、そこに悪意のコメントや無思慮な文章が来ることを心配しています。最初に断らせていただきますが、この文章にある意見は私個人の意見で、BioMedサーカス.comとは関係はありません。仮にBioMedサーカス.comのtwitterやメールアドレスに悪戯や攻撃をしたとしても、私には届きません。理路整然とした反論でしたら、編集部から私へ内容を転送することになっているので、追記という形などで応対させていただくことになるかと思います。ですが、罵詈雑言は私のもとには届かないと思います。

私は卑怯であると自覚しています。安全なところから、反撃を浴びる心配のない状態で一部の研究者を攻撃することになってしまうでしょう。そのため、もしかしたら一般の研究者からも私は嫌悪の眼差しを向けられることになってしまうかもしれません。しかし、そうであっても、私はこの文章を書かずにはいられません。なぜならば、昨今の研究者離れを引き起こすような風潮は食い止めなければいけないと強く感じるからです。

本題に進ませていただきます。最近では、若い研究者の将来がないなどといった話題が全国紙と呼ばれる新聞にも出てくるようになっています。また、Web媒体のコラムや連載記事(大手と呼ばれるものも含む)にも、若い研究者の悲哀に焦点を当てた文章が掲載されています。この傾向は、個人ブログや某匿名掲示板では更に顕著なものになっているように思います。簡潔に言えば、当事者の断末魔の叫びのようなもの、もしくは傍観者からの嘲笑と言えるようなものが増えてきました。

研究者が悲惨であると言われるようになった経緯を簡単に振り返ります。

はじまりは大学院重点化という国家主導の方針であったと思われます。これにより大学院に進む学生が増え、日本の科学技術力が底上げされました。続いて、同じく国家主導のポスドク一万人計画が出てきました。このことで、日本の基礎研究の国際競争力が格段にあがりました。実際に、この二つの政策により、医学生物学の分野でも、Cell、Nature、Scienceといった雑誌に研究論文を発表できる日本人研究者の数が増えました。それ以外の科学技術分野でも同様だと思います。「はやぶさ」や「スーパーコンピューター」といった単語を聞けば、日本の科学技術力が世界でも群を抜いて高いことに気がつくのではないでしょうか。

しかし、自身の地位に不満のある研究者や「何かを画策している」人にとっては、このような事実は別角度から論じられています。すなわち、国家主導の方策によって研究者が増え、彼らは職にあぶれ、低所得のまま奴隷的な生活を送っている、というものです。

逆もまた真なりとは上手く言ったもので、確かに研究者の数は増えました。大学でのポジションの数も、研究者の増加分を補うようには増加していません。教授の定年は延長し、大学ポジションの「枠」はなかなか空かなくなってきています。仮に枠が空いたとしても、その席に座ることが出来るのは「コネを持っている」もしくは「超人的な業績を出した」人に限ります。そのため、「普通の」研究者は偉くなれない状況になっています。

しかし、誤解を恐れずに言い切れば、このことは何もおかしくありません。当たり前の流れである、とも言えます。

冷静に考えてみると違った視点から物事を見えるようになるかもしれません。「普通の」研究者が偉くなれないことの何がおかしいのでしょうか?私の親世代が若かったころ、野球は人気がありました。しかし、当然ですが、プロ野球選手には限られた人しかなれませんでした。プロ野球選手になることを目指していた野球少年の多くはプロの場に立つことは許されなかったのです。時代が進み、今度はサッカーに人気が集まってきました。当然、子どもたちは野球部よりもサッカー部に入部するようになりました。ここでもまた、「普通の」サッカー部員はプロにはなれませんでした。しかし、サッカー人口が増えたことで、日本のサッカーの実力は底上げされ、結果として国際的にも通用するようになってきました。

競技人口が多ければ、上澄みのレベルは上がります。このことはスポーツに限りません。日本のアニメ・マンガは世界最高峰です。それは、その世界に関わっている人が多いからです。もちろん、下の方は苦労している人も多くいるでしょう。しかし、敢えて厳しく言えば、それは「実力」がないからなのです。研究の世界も同じはずです。研究者の数が増えることに伴って国際競争力が高まってきましたし、「優秀な」研究者は若くてもきちんとした地位についています。しかし一方で、「普通の」研究者は「それなりの」地位に甘んじるしかありません。何がおかしくのでしょうか。至って普通である、とさえ言えるのではないでしょうか。むしろ、競争原理が正常に働いているからこその結果だと私は思います。

しかし、世の中の流れは違うようです。研究者は悲惨だ、研究では飯が食えない。システムが悪い、国が助けてくれない、などと、不遇な研究者を自認する人たちによる愚痴のオンパレードです。一方では、「ざまあみろ」とかという傍観者の嘲りの声もそこここで聞こえてきます。

愚痴るのは、これは仕方がないのかもしれません。愚痴りたくなる気持ちは私もよくわかります。また、他人の不幸を喜ぶ気持ちも、趣味は悪いが普通なのかもしれません。しかし問題なのは、この流れを助長するような動きが活発化してきたことにあります。

「高学歴ワーキンプア」や「ポスドク就職難」といった単語は、字面を見るだけで「研究者の悲惨さ」と「研究者への嘲笑の気持ち」が容易に読み取れます。ゆとり教育を受けた子どもは、学力は低いものの、自分の将来のことはきちんと考えています。こういった単語を繰り返し見せられると「研究者にはなってはいけない」と感じるようになるのではないでしょうか。誰も悲惨な人生は送りたくないからで、当たり前の結論です。そして、研究者の数が減ればどうなるでしょうか?研究者の数が増えて国際競争力が高まったのであれば、研究者の数が減ればどうなるかは火を見るよりも明らかです。

少し話題を変えさせていただきます。「ゆとり教育」という馬鹿げた教育方針がありました。その結果がどうなったでしょうか。ほとんどの人は既に「ゆとり教育」が日本という国にもたらした結果を知っています。「ゆとり教育」を推進した人は、何を目的としていたのでしょうか?このような結果を予想して「ゆとり教育」を導入したとは考えたくありませんが、今更言っても遅いでしょう。既に過ぎたことですから。しかし、歴史は繰り返すと言います。「ゆとり教育」が日本に及ぼした結果を見た人の中に、もし仮に日本の科学技術力を低下させたいと考えている人がいたとしたら何をしようとするのでしょうか。

ネットの世界はリアルの世界とは違います。少数の意見を大多数の意見だと見せかけることは容易に出来ます。そして、若い人を洗脳するのも、これもまた難しくありません。この記事にコメント欄がついていたら炎上してしまうでしょう。「普通の」研究者をバカにしているのだから、著者である私が叩かれるのは無理もありません。しかし、こういった文章を炎上させ削除させたとした場合、彼ら「研究者」は満足するのでしょうか?それとも満足するのは別の誰かなのでしょうか。私は日本の科学技術の未来がとても心配なのです。


執筆者:N・U

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