研究者の声:オピニオン



2013年9月14日更新

捏造問題にもっと怒りを

この数年、論文不正問題が研究者社会に大きな影を投げかけています。

これまで分子生物学会は、「若手教育シンポ」という枠組みで、若手研究者が捏造に手を染めることの無いように教育をしてきたつもりでした。しかし、そのシンポの講演者であり、また研究倫理委員会の若手教育問題ワーキンググループの委員でもあった有力研究者自身が捏造問題の渦中の人となってしまったことで、これまでの認識を改める必要に迫られています。そのため、今年の年会における「捏造問題フォーラム」は、これまでの様な「若手の問題」というスタンスではなく、より真摯に捏造問題に向き合い、どうすれば捏造を少しでも減らせるかを考える会にすることを目指しています。具体的には、最大6つのセッションを用意し、それぞれに捏造問題の関係者(ジャーナル、学会、マスコミ、研究資金供給元、ご本人?、捏造発見者、?、??)を招いて、それぞれの立場で何をすることが捏造の防止・減少につながるかを話し合って行く、そしてそれをサイエンスライターに傍聴してもらい客観的な立場から記録に残す、という計画です。

先週末に、学会全ての会員に、学会本部からのアンケートが送られました。フォーラム当日に話し合うべき論点、招きたい関係各機関の候補などについて、広く学会員の意見を取り入れるためです。アンケート結果や、フォーラムのより詳しい内容などは、今後学会HP等で公開されていくと思われますので、ご注目ください。

この捏造問題フォーラムを主催するのは分子生物学会の本体(理事会)です。一方、当ガチ議論HPは、あくまでも2013年会の準備委員会による企画であり、形式的には関係が無く、したがって、正式な連携等は全くしていません。ですが、我々(ガチ議論スタッフ)は、この重要な問題に関する議論はあらゆる場所で行われるべきだ、と考えます。学会本体は、この分野の重鎮をそろえた理事会が運営しており、当然、その動きは、慎重かつ重厚かつ鈍重です。それは如何ともしがたいし、むしろそうあるべきでしょう。しかし、そのために、本部が運営する議論スペースでは、あまり過激な発言とかは出てきそうにありません。本音の部分や、大きな波紋を呼びそうな提案が出てくる可能性は間違いなく減るでしょう。捏造問題の様な、身近でかつ重大な問題ならなおさらです。

そこを、ガチ議論HPが相補できるのでは、と期待します。このガチ議論は、(形式的には)今年限定の年会準備のためのスタッフが運営する「臨時的な議論の場」にすぎません。匿名のコメントも可です。まあ、2ちゃんとは言いませんが、かなり軽くて自由です。しかし、議論の価値は、それがなされた場所ではなく、生まれたアイデアによって決まるものです。ここで、フリーに活発な議論が起こり、実質的かつ有用なアイデアが生まれれば、それを理事会メンバーがフォーラムに生かすことになるでしょう。(といいますか、近藤は分子生物学会の理事でもありますので、そうなるように努力します。)

ということで、これからしばらくこのガチ議論サイトで、論文捏造問題について議論をしたいと考えています。いろいろな論点があると思いますが、まずは皆さん、ご自身のこの問題に対するおおざっぱな考えと言いますか、一番主張したいことをコメント欄に投稿してください。ある程度集まったところで、いくつかの論点をピックアップし、さらに議論を深め、最終的には何か具体的な改善策へとつながるアイデアを練り上げて行きたいと希望します。

それでは言い出しっぺとして一言。

捏造問題に対処する時に、我々研究者が忘れてはならないのは「怒りを表現すること」ではないだろうか。

拙速な反応が禁物であることは重々承知している。冤罪だったら大ごとだし、捏造が事実だったとしても、誰が悪いのかを明らかにすることは至難の業だ。また、事が広まれば大学、研究所の評判にも大きく影響するし、訴訟がちらついたりすると、情報の開示や処分も速やかに決めることは難しくなる。だから、もし、自分所属する場所で問題が起きたら、感情的なものは抑えて、できるだけ慎重に進めようとするに違いない。あるいは、役所や報道が動き出すのを恐れて、できるだけ騒ぎが広がらないように、沈静化するように努めるだろうと思う。また、捏造問題は構造的な性質(PDの就職難でPIに逆らいづらい、ラボの巨大化と分業化など)を取り上げ、個々の捏造問題よりも、そのような一般的な問題の解決を目指すべきだと訴えるかもしれない。

しかし、そうした方向の努力は、ローカルには間違っていないかもしれないが、全体(日本の科学界)から見れば、問題を深刻化させる可能性が高い。捏造が起きても「騒がない」事が普通になると、しまいには無関心が蔓延し、それが、さらにハードルを下げることで、新たな捏造が生まれるかもしれない。

さらに危惧するのは、一般社会が、「科学者社会は、自身でこの問題に対処する意志も能力も無い」と判断しかねないことだ。そうなると、上の方から現実を無視した規制が降ってくる事になる。そうなる前に、科学者社会自身による現実的で実行力のある方策を、なんとか作らなければならないが、現時点で、そのような動きはほとんど見られない(これについては尾崎美和子さんのご意見も参照してください)。問題の一つは、ほとんどの科学者が自分の研究以外の事には関わりたくないと思う人種であることだ。これは、自分もそうなので責めることはできなないが、ぐずぐずしていると最悪の事態に陥る可能性がある。危険である。

論文の捏造は、倫理的な問題を超えて、科学を否定する行為である。さらに、我々が日々行っている研究活動への侮辱でもある。大型グラントの獲得にコピペ論文業績が使われるというのは、トップでゴールインしたマラソンランナーが、自転車で走っていたようなモノだ。即刻、正しい処置がくだされなければ、競技そのものの存在意義が消滅する。

だから、怒っていいのだ、いや怒らねばならない。怒り続けるべきである。捏造問題は、いろいろと危険な要素を含むから、多くの人は口にするのを避けたがる。だが、この問題に対しての科学者の共通意識は、怒りでなくてはいけない。それを常に確認することが、次の捏造の抑止力にも(ある程度は)なるだろうし、科学者社会に「なんとかしなければ」という機運を生み出すはずである。

執筆者:第36回日本分子生物学会年会 年会長 近藤滋

*本記事は日本分子生物学会の『日本の科学を考える』より許可を得て転載させていただきました。転載元のページにはコメント欄もあり、本記事の内容に関して様々な議論が行われています。また、アンケートも転載元のページにあります。

ページトップへ戻る

Copyright(C) BioMedサーカス.com, All Rights Reserved.