研究者の声:オピニオン
Tweet2013年11月7日更新
労働契約法改正は朗報か
労働契約法改正は科学者コミュニティにどのような影響をあたえるか
2012年8月に労働契約法が改正され、2013年4月から施行された[i]。法改正で最も重要な点は、有期労働契約が5年繰り返され、通算5年を超えた場合、労働者の申し込みにより期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できるというものである(第十八条)。これがいわゆる「5年ルール」と呼ばれるものだ。この改正をめぐって、研究現場が混乱している。ここで簡単ではあるが、現状をまとめてみたい。
なお、私は法律の知識が乏しいので、間違い等あればご指摘いただきたい。
1)法改正に対する政府の対応
現在かなりの割合の研究者が、有期労働契約で働いている。ポスト・ドクトラル・フェロー(ポスドク)は言うまでもなく、任期のついた大学教員や研究所の職に就いている者も多い。また、研究支援者(テクニシャン、研究室秘書など)も多くが有期労働契約で働いている。ティーチング・アシスタント(TA)やリサーチ・アシスタント(RA)も労働契約であり、大学院生時代に長期間TA、RAを行ったら、ポスドクなどになり同じ機関で雇用されたら、わずかな期間で無期転換の申し出の権利を有してしまう。このように、今回の法改正の対象になる研究者は多い。
しかし、この改正が閣議決定されるまで、今回の法改正が科学コミュニティにどのような影響を与えるか議論がなされてこなかった。当時の政治的な状況により、この法改正が可決されるとは思われていなかったからだという声も聞くが、法改正が検討された厚生労働省の検討会においても、研究者に与える影響についての指摘はなかったようである[ii]。また、文部科学省も今回の法改正が大学教員などに与える影響について、事前に検討していなかったようだ
政府に対し最初に問題点を指摘したのは、京都大学の山中伸弥教授のようである[iii]。山中教授は2012年3月、当時の古川科学技術担当大臣と面会した際に、法改正が行われると、有期労働契約で雇用してきた研究支援者などの雇用が維持できなくなると懸念を表明したという。
それと前後して、一部の研究者の間から懸念の声があがった[iv]。主に大学教授から、山中教授と同様に、この法律が大学に適応されたら、有期労働契約で雇用している研究者や研究支援者を、5年で「雇止め」せざるをえないというのである。
一方、主に若手を中心とする研究者からは、有期労働契約で長期間雇用しているのなら、それは無期労働契約すべき人材なのではないか、なぜ無期労働契約にできないのか、若手研究者などが有期労働契約で不安定な職に就かざるを得ない状況をつくり出した状況に目をつむってきて、いまさら騒ぐとは何事か、という反発の声もあがった。
こうしたなか、2012年4月に開催された「科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術会議有識者議員との会合」で労働契約法改正の問題が取り上げられ、関係者から意見を聴取した[v]。そのひとりとして私も招集されたのだが、ようやくその場で、この法改正が問題であることがひろく認識されることとなった。その後総合科学技術会議は、同年5月に「労働契約法の改正案について」という取りまとめを発表した[vi]。このなかで、「労働契約の内容の改善と合理性のない雇止めの防止」「研究補助者の雇用の安定化」「研究者等の雇用管理の在り方の見直し」「研究者の雇用における流動性の確保」の4点が取り組むべき課題とされた。
これらを受けて、内閣府では、平成24 年度科学技術戦略推進費を用い、海外の大学・研究機関における教員・研究者の雇用形態に関する調査を行った[vii](2013年3月まで)。労働契約法がEUの労働法制をモデルにしていることから、主にヨーロッパで研究者や教員がどのように雇用しているのかを調査し、「本調査結果を踏まえた検討を科学技術イノベーション政策推進専門調査会基礎研究・人材育成部会で行った上で、効果的・効率的な教員・研究者の雇用形態の在り方について関係省庁に情報提供、助言を行い、大きな方向性を共有していく」という。私もこの調査に関する検討委員会委員に就任し、議論に参加したが、各省庁や政府機関などから関係者がオブザーバー参加しており、関心の高さがうかがわれた。
なお、調査結果についてはまだまとまったばかりであり、機会があれば別にご紹介したい。
こうして問題が認識されるに従い、法改正の悪影響を指摘する声も増えている[viii, ix]。しかし、そうこうしているうちに、2013年4月を迎えてしまった。
2)何が問題なのか
この法改正の趣旨は、「働く方が安心して働き続けることができるようにするため(厚生労働省ホームページより)」であったが、なぜ逆に「雇止め」の危機が叫ばれるような混乱が生じているのか。以下に問題点をまとめたい。不正確な点などがあったらご指摘いただきたい。
一つは、たとえ望んだとしても、常勤雇用の研究者や研究補助者を増やせないという現状がある[x]。国立大学法人は自前の資産を持たないため、職員の雇用に関しては、国立大学時代の定員である「承継定員」に対して退職金が運営費交付金から支払われる[xi]。よって、退職金をどこから捻出するかという問題が発生するために、「継承定員」外の常勤職員を新規雇用することは困難であるという。運営費交付金が年1%ずつ減額されているのも大きな問題だ。
このため、「継承定員」より定員を増やしたいときは、外部資金、すなわち研究者や機関が取得するプロジェクト型研究費などに依存せざるを得ない。外部資金は安定的なものではなく、プロジェクト終了等に引き続き、別の資金を獲得することができない場合、その資金で雇用されていた職員を継続して雇えない可能性が出てくる。
山中教授をはじめ、大学教授が改正労働契約法に懸念を示すのは、資金が枯渇した場合を想定しているものと考える。継続勤務により無期雇用に転換したにもかかわらず、給料を払うめどが立たなくなった場合にどうするのか。
無期雇用に転換したのちに資金がなくなったとしても、簡単には解雇できないし[xii]、訴訟が起こるリスクもある。大学が5年継続雇用になる前に「雇止め」を行おうとするのは、このリスクを回避しようとしているためではないかと考えられる。
二つ目は、この法改正の解釈が専門家間で異なっていることである。
ある弁護士は、大学の講師等5年任期制等(特殊契約)の再契約について、「これらの職は学校教育法上のものであり、労働者の雇用上の権利といったものではないため、5年を超えて再任用されたからといって、任期を定めた任用は、職ごとに行うものとされているので、無期転換できるものではありません。」と述べる[xiii]。
別の弁護士は、リサーチ・アシスタント(RA)を行って給料を払われた経験がある大学院生が、大学院修了後に同じ研究室でポスドクになった場合、雇用の継続性はなく、「新しい契約としてみるのが妥当ではないか」と述べる。また、非常勤講師については、「どちらかというと雇用契約にはあたらないため、労働契約法は適用されないという判断が予想されます」と述べる[xiv]。
しかし、現実問題として、非常勤講師は雇用契約にあたると考えられているようで、一部の大学で非常勤講師などに、5年を超える継続雇用ができないことを前提にする就業規則を制定しようとしている[xv]。無期雇用に転換する方針を示した大学や[xvi]、こうした就業規則制定方針を撤回する大学もあるが[xvii]、大学の対応が混乱している印象がある。多くの大学は、他大学等の動向を伺っているようだ。
また、今回の改正は2013年4月1日以降の雇用契約に対し適応されるのにもかかわらず、既に数年雇用しているということで、大学当局から技術補佐員の雇用契約を今年いっぱいで打ち切れと指示された教員もいる(私信)。ほかにも、今回の法改正では6ヶ月の「クーリング期間」があれば継続年限のカウントがリセットされる(継続6年ではなく、あらたに1年目からはじまる)ので、それを利用して、6ヶ月以上雇用契約を結ばないようにして、実質継続雇用を行う方針を考慮している研究機関もあるという(私信)。その6ヶ月間は、研究室に無給で所属し研究を行うことになるが、履歴書に空白ができてしまい、その後の就職活動に不利になるのではないかと懸念する声を聞く。
三点目にあげたいのが、「無期契約」の意味である。無期契約は終身雇用とは違うとも言われる。期間の定めがないだけであって(open ended)、たとえば研究費が切れたなどの事情で契約を終了することができるという意見もある。
こうした曖昧な点は、判例を重ねるしかないが、そうなると訴訟が多発することになる。
また、改正労働契約法では、労働条件は有期契約時と同一の労働条件であるとされている。つまり、契約期間が無期になっただけということになる。無期転換されても、低い賃金が引き継がれるということもありうる。無期になる分ローンが組める、精神的に安定するなどプラス面もあり、議論は分かれるところではある。
3)どうすればよいか
こうした混乱のなか、研究者の懸念は強まっている。こうした事態にどのように対処すればよいだろうか。論点を整理したい。
この問題は、日本の研究がどうあるべきか、という問題と密接に関わる。
研究者の任期制は、研究者の流動性を高め、競争を促し、研究生産性を高めるという目的で導入されている。もちろん、あまりに不安定だと短期的に成果の出る研究しかしなくなるといった「副作用」があり、各国とも競争と安定のバランスに腐心しているのが現状ではあるが(テニュア・トラックはその一例)、その中で今回の労働契約法改正をどう取り扱うべきか。
諸外国では、ドイツでは、一般の労働法制のほかに、研究者に適応する学問有期契約法という法律がある。この法律では、研究者の有期雇用は12年(医学生は15年)までとされている[xviii]。ドイツの場合、博士課程も労働契約で考えられている点は留意が必要だが、研究者の資質を見極めるためには、ある程度の期間は有期契約が必要という考えだろう。韓国では、2年という短期間の連続有期契約で無期労働契約に転換できるが、大学や研究機関の研究者は適応が除外されている[xix]。
諸外国では、一般の法が研究者にも適応されている。イギリスでは、アバディーン大学のボール博士の訴訟で、外部資金で雇用されていることを理由に無期雇用に転換できないのは違法であるとの判決が出てから、研究者も無期雇用に転換できることになっている[xx]。ただ、イギリスでは日本より解雇規制がゆるく、ルールに従えば無期雇用の人も解雇できるという。
解雇規制がよりゆるいアメリカは参考にはできないが、そのアメリカでテニュア・トラック制が導入されているということは、研究者の競争と安定を考える上で示唆的だ。
こうした状況のなか、日本はどの道をとるのか。労働契約法第十八条を、大学や研究機関に対して適応除外にするべきなのか。研究者は業務委託にして、労働契約ではなくすのか[xxi]。
また、研究者と研究支援者は分けて考えるべきという意見は多い。山中伸弥教授も、研究支援者の安定雇用を訴えると同時に、研究者は競争的であるべきだと述べている[xxii]。これも日本の研究システムをどのようにデザインすべきかという問題に関わる。
いずれにせよ、この混乱状況を改善するために、政府が何らかの指針を出すべきだろう。国立大学法人の「継承定員」外の無期雇用が可能なのか、RAやTAはどう考えるのか、競争的資金が取れなかったことでの解雇は許されるのか。研究支援者、補助者の安定雇用をどう実現すべきか。
そして、忘れてはならないのは、キャリア形成という視点だ。EUには「The European Charter for Researchers[xxiii]」や「The Code of Conduct[xxiv]」があり、研究者のキャリア開発をすべきとしている[xxv]。日本では、ポスドク(大学院生も)をいわば「労働力」として使い、キャリア形成という視点を持つPIは多くない印象だ[xxvi]。それでは人材の使い捨てと言われても仕方ないだろう。
文部科学省は「文部科学省の公的研究費により雇用される 若手の博士研究員の多様なキャリアパスの支援に関する基本方針 〜雇用する公的研究機関や研究代表者に求められること〜[xxvii]」を公表し、PIにキャリア支援を求めている。研究者の意識改革も必要だ。
4)最後に
労働契約法の改正は科学コミュニティに大きな影響を与える。とはいうものの、多くの問題は以前から未解決のままあり、この改正によって問題が顕在化したにすぎないといえる。
流動性と安定雇用をどうバランスをとるか、というのは、研究者だけの問題ではない。雇止めといった事態は他の業界でも起きている[xxviii]。研究者も他の業界も含めた社会の動向について関心をはらう必要があるだろう。
この法改正を、日本の研究システムはどうあるべきか、そして、社会の生産性を高め、かつ働きやすいしくみつくりについて、科学コミュニティにとどまらない広い視点で考えるきっかけとしたい。
近畿大学医学部講師*
サイエンス・サポート・アソシエーション代表
榎木英介
(*この意見は筆者が所属する組織の意見を反映しているものではありません)
i. 労働契約法の改正について〜有期労働契約の新しいルールができました〜
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/
ii. 労働政策審議会労働条件分科会で議論が行われていたようである。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000008f5z.html#shingi3
第99回労働政策審議会労働条件分科会資料
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001z63l.html
にて「労働契約法の一部を改正する法律案要綱」について(諮問)が公開されている。
iii. http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/120419giji.pdf
iv. 有期雇用5年超で無期雇用転換を義務付ける労働契約法改正案が
研究者コミュニティーに与える影響について
http://togetter.com/li/277188
v. 科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術会議有識者議員との
会合議事次第 平成24年4月19日
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20120419.html
vi. 労働契約法の改正案について 総合科学技術会議有識者議員 平成24年5月31日
http://www8.cao.go.jp/cstp/output/20120531_roudoukeiyaku.pdf
vii. 平成24 年度 科学技術戦略推進費「総合科学技術会議における政策立案のための調査」
に係る実施方針 平成24年8月30日 総合科学技術会議
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20120830/siryosi-1_revice.pdf
viii. 太田哲郎 改正労働契約法「5年で無期」が大学教育に及ぼす影響
http://agora-web.jp/archives/1518728.html
ix. 西田亮介 改正労働契約法が博士院生・若手研究者に及ぼす(少なくない)影響
http://blogos.com/article/52631/
x. 本当に増やせないのか検討されているか不明ではあるが
xi. http://www.zam.go.jp/n00/pdf/ne003002.pdf
xii. 解雇が認められるとの解釈もある
http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/1112_12.pdf
xiii. 安西愈 雇用法改正 人事・労務はこう変わる (日経文庫) 2012年
xiv. 坂本正幸 改正労働契約法は大学にどのような影響をあたえるか
http://article.researchmap.jp/qanda/2012/12_01
xv. 第183回国会 参議院予算委員会 第5回 田村智子議員(共産) 2013年2月21日
xvi. 徳島大1000人“無期雇用”へ 労組の運動実る 雇い止め改善「画期的成果」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-18/2013031801_01_1.html
xvii. 琉大、非常勤講師の雇い止め撤回
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-03-30_47298
xviii. http://www.gesetze-im-internet.de/wisszeitvg/BJNR050610007.html
xix. ジュリスト2012年12月号 〔鼎談〕2012年労働契約法改正-有期労働規制をめぐって
http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/018722
xx. 労働政策フォーラム開催報告【報告1】
「国際比較:有期労働契約の法制度~欧州諸国の最近の動向~」(2010年3月8日)
http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/giji/20100308/houkoku1.htm
xxi. http://article.researchmap.jp/qanda/2012/12_02/
xxii. 科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術会議有識者議員との会合
議事概要 2012年10月18日
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/121018giji.pdf
xxiii. http://ec.europa.eu/euraxess/index.cfm/rights/europeanCharter
xxiv. http://ec.europa.eu/euraxess/index.cfm/rights/codeOfConduct
xxv. 研究者のキャリアとポスドク問題
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-af6f.html
xxvi. 知識基盤社会を牽引する人材の育成と活躍の促進に向けて 参考資料2
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/
toushin/__icsFiles/afieldfile/2010/01/06/1287788_2.pdf
xxvii. http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/
toushin/__icsFiles/afieldfile/2010/01/06/1287788_2.pdf
xxviii. 有期雇用 4月新ルール 改正労働契約法
5年超で「無期」転換可能だが 「雇い止め」増の懸念も
http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20130323/20130323_0001.shtml
*本記事は日本分子生物学会の『日本の科学を考える』より許可を得て転載させていただきました。転載元のページにはコメント欄もあり、本記事の内容に関して様々な議論が行われています。また、アンケートも転載元のページにあります。