研究者の声:オピニオン
Tweet2013年12月15日更新
ポスドクに求められる業績のインフレーション化と40代助教・准教授の業績の陳腐さのアンバランスについて
私は日本でポスドクをしています。将来は日本もしくはアメリカで自分のラボを持ちたいと思っています。しかし、バイオ系の研究者のため、空いているポストはほとんどないにも関わらず競争相手が非常に多く、今後どうするべきかと途方に暮れてしまうこともあります。
同僚や良く面倒を見てもらっている年配の先生方と話をすると、ポスドクを卒業するための業績の最低ラインがここ数年で驚くほど上昇しているということを実感させられます。
今やポスドクを卒業するには、Nature/Cell/Scienceに筆頭著者の論文を持っているのは当然で、それら雑誌の姉妹紙であれば一つだけでは足りないとまで言われることもあります。
さらにアメリカでラボを持とうとすると、そういった業績に加えて大御所研究者たちとのコネ(そういう研究者達の派閥?のようなものに属している)も重要だと色々な人からアドバイスを受けます。
そのためか、日本人でアメリカのポスドクをした人は、仮に業績が良くても英語力やコネなどの関係で自分のラボを持てないようで、そういう人は今度は日本でのポストを狙いに来るらしいです。
日本でポスドクをしている自分が言うと負け惜しみみたいになってしまいますが、一般には日本よりもアメリカからの方がランクの高い雑誌に論文を通りやすいと聞きますし、自分もそう感じることが多いです。そのため、アメリカで自分のラボを持てなかった日本人ポスドクと自分が業績で戦うと、全然勝ち目がなさそうです。
逆の状況はもっと悲惨そうです。日本でいくらポスドクをしても(良い業績を出せても)、アメリカの大学でAssistant Professorとして自分のラボを持つのはほぼ不可能な状況のようです。日本で研究をしていてアメリカでラボを持って渡米するのは、既にestablishされた超一流の研究者だけだと周りから言われます。
このように考えると、このままポスドクとして研究をしていても、自分のラボを持つということは不可能なのかと気持ちが落ち込むことがあります。でも、これも負け惜しみのようですが、業績欄のレベルについては、今の日本の助教(40歳前後)はおろか、准教授(45歳前後)でも今のポスドクよりも業績欄が寂しいことは珍しくないように思います。
しかし、このようなことを言うと、助教や准教授はきちんと教育の経験があり、大学というのは研究機関と同時に教育機関でもあるのだから、教育の経験がないポスドクなんかよりは今の助教/准教授の方がずっと優れているんだ、という反論が来るようです。
でも、私は個人的にはこういった反論(?)には同意できません。今の(特に業績のない40〜50歳くらいの)助教や准教授は、自分は研究をするために大学に残ったのだから、と言ってあまり教育に力を入れていない人が多いように思います。そのため、今のポスドクよりも研究能力に劣った助教/准教授は、研究と教育という二つの業務を都合の良いときに使い分けているだけなのではないかと思います。
結局、現在のバイオ業界は、ポスドクが次のステップに行くための業績の最低ラインだけを著しく上げている(Nature/Cell/Scienceクラスの論文が必須)にも関わらず、いったん助教や准教授となった人たちは過剰なまでに守るという図式になっていて、これこそが、今のポスドク就職難の原因なのではないかと思います。
だから、もしポスドクが就職活動をするときにNature/Cell/Scienceクラスを業績として求めるのであれば、現在の助教や准教授でそういった論文がない人を大学から放出すべきかと思います。逆に、そういう業績があまり良くない助教/准教授を大学に置いておくのであれば、新しく助教として採用する若い研究者には業績不問に近い措置を出すべきなのではないでしょうか。
私のこういった意見は、単に自分のラボを持てない可能性が高いということからくる不満によるものかもしれないのですが、それでも、昨今のバイオ研究業界を取り巻く停滞した雰囲気は、こういった世代間の不公平さが一因ではないかと思います。
執筆者:ポスドク@関東地方