研究者の声:オピニオン



2014年6月28日更新

査読システムの制度疲労という観点から研究論文の画像不正問題を考える


はじめに
研究論文における画像不正問題が大きな話題となりました。日本の科学産業に対する信頼を取り戻すため、これら問題には真剣に向き合わなければならない状況です。問題解決のためには、原因を知ることが何より重要です。画像不正問題はなぜ起ったのでしょうか? 「研究者の倫理不足」として片付けてしまって良いのでしょうか。今回、制度疲労をキーワードとして、画像不正問題を考えます。


背景
論文捏造、あるいは画像の不正な使用、改ざんはこれまで幾度となく問題として取り上げられてきました。これまでに取り上げられた画像不正問題も氷山の1角と考えるべきでしょう。加えて、昨今の画像不正問題はあまりに有名になりすぎました。その結果、非研究者にも否応なしに画像不正問題が認識されるようになりました。税金を収め、科学産業を支えている国民に対して、我々科学者は科学に対する信頼を取り戻さなければなりません。画像不正問題について誠実に対応し、解決策を示す必要があります。

例えば、「科学者1人1人の倫理観向上」を目指すと宣言した場合、根本的な解決になるのでしょうか? さらには、国民に説明して納得してもらえるのでしょうか?

画像不正問題に対して誠実に対処するためには、問題が起った原因を正しく認識することが何よりも重要です。

今回、論文あるいは実験データ評価体制の「制度疲労」として、画像不正問題を考えてみましょう。


生命科学研究をとりまく問題点
「制度疲労」を考える前に、生命科学研究に関する現状を考えてみましょう。以下にあげた問題点のうち、いくつかは昔ながらの研究者の文化を感じさせるものですが、画像不正問題の背景となり得る問題があることもまた事実です。


・「性善説」を前提とした科学
・ストーリーを重視した研究計画
・画像データ量の増加

以下、1つずつ詳しく考えてみましょう。


<「性善説」を前提とした科学>
これ自体は愛されるべき文化です。私たち科学者は、自分あるは他者の主張や考察に関しては非常に懐疑的な思考を取るよう訓練されていますが、実験のおぼつかない学部生に対してでない限り、結果そのものである実験データを疑うことはまずありません。結果は結果として、そこから何を考察してどこまで主張するかを考えるのが研究者のお仕事ではないでしょうか。しかし、アカデミックに残るために熾烈な競争を強いられる現代の科学者にとって、この文化が画像不正の温床となることは事実です。


<ストーリーを重視した研究計画>
最近は、ゲノム情報や画像データ量がBig Data化してきており、大量のデータから統計学的処理を経て結論を導き出すデータマイニング型の研究が増えてきました。そうは言っても、生命科学分野では仮説検証型の研究が大多数を占めています。 極端な例をあげると、面白い (インパクトのある) 研究に「する」ため、不都合な実験データを隠す場合や、望みの実験結果が出るまで延々と実験を繰り返す場合もあるかもしれません (無いと願いたいところです) 。枝葉にとらわれることなく生命現象の根幹に触れる研究を行なうためには仕方ない側面もあるかもしれませんが、不正の温床となり得るのではないでしょうか?


<画像データ量の増加>
これ自体は、私のようなバイオイメージング研究者にとって歓迎すべきことです。画像のデジタル化と、各種顕微鏡の撮像システムの向上、計算機の処理速度の向上などにより、短時間で多量の画像データが撮像できるようになりました。以前はある種、職人仕事であった画像の取得が (いまでも、透過型電子顕微鏡の撮像はそうですが) 、実験のルーチンワークの1つになりました。これら画像を取りまく技術向上に結果、実験データとしての画像データ量が増加しています。しかし、喜ぶことばかりではないかもしれません。画像データ量の増加は、画像を「判断」する時間を圧迫することに繋るかもしれません。

3つの背景を指摘し、研究者を取りまく環境の変化について考えました。しかし、どんなに環境が変っても、投稿論文あるいは実験データを評価する査読システムには何の変化もありません。これが、「制度疲労」を引き起しています。


論文あるいは実験データ評価体制の「制度疲労」
熾烈な競争に身を置き、一時の功名心に駆られ、不正な実験データを論文として投稿したとしても、それをチェックするシステムは未発達なのが現状です。依然として、雑誌編集者 (エディター) と複数の審査員 (レビュアー) が目視、あるいは手作業で検査するシステムが続いています。

それでは、エディターやレビュアーが検査を厳しくすれば良いのでしょうか? あるいは、彼等向けに画像不正を見抜くための講習会を開けば良いのでしょうか? もちろん、それらは解決になり得ません。当然ですが、彼等の任務は審査する論文が学術的にどれほどのインパクトを有するか評価することです。そのため、審査時間のほぼ全てが論理的思考に充てることになり、画像不正を検証する時間などありません。画像不正を見破る場合も確かにあります。しかし画像を「見る」力は、ある種の職人技的な側面を持ち、イメージング研究に長年従事していることで培われるものだと思います。全てのレビュアーに画像不正の検出を期待するのは無理があるのではないでしょうか?

従って、画像データ量の増加あるいは、熾烈なアカデミックポジションの競争を背景として、依然として変化しない査読体制の「制度疲労」が、画像不正問題の1つの原因であると考えています。


では、どうすれば解決されるのか?
画像不正問題の原因が制度疲労だとするならば、その解決策はどうあるべきでしょうか?

興味深い取り組みの1つとして、The Journal of Cell Biology 誌を出版するロックフェラー大学出版では、JCB DataViewerという画像データベースを公開しています。このデータベースでは、コントラスト調整などの画像処理を施す以前の原画像が公開されており、読者は実際に自分の手で画像処理を施しながら論文を読み進めることができます。このような取り組みを行っている出版社はごくわずかですが、原画像の公開は画像不正の抑止力となり得るでしょう。

あるいは、画像不正を検出するソフトウェアがあれば、抑止力となるかもしれません。この着想をモチベーションとして、私が所属するエルピクセルでは、画像処理技術を応用し、画像不正の検出をサポートするソフトウェア「LP-exam」を開発し、無料で公開しています (http://lpixel.net/lp-exam) 。本ソフトウェアは入力画像に対し、様々な画像処理を施すことで不正な改ざんの検出を助けるものです。画像不正の抑止力となり得るべく、無料公開に至りました。もし、LP-examのようなソフトウェアが学術雑誌出版社、研究所あるいは研究室に存在すれば、画像不正問題は防げたのかもしれません。


結論
科学に対する信頼を取り戻すために、画像不正問題を根本的に解決しなければなりません。「科学者1人1人の倫理観向上」では何の解決にもなり得ません。私は、画像不正問題を論文審査体制の「制度疲労」としてとらえ、原画像の公開制度や、不正検出ソフトウェアの活用が問題解決に有効な手段ではないかと考えています。


執筆者:湖城恵(東京大学 特任研究員、 エルピクセル株式会社

ページトップへ戻る

Copyright(C) BioMedサーカス.com, All Rights Reserved.