研究者インタビュー



ハーバード大学医学部 荻野周史 博士(2012年01月16日更新) 3ページ目/全7ページ

癌の分子病理疫学(Molecular Pathological Epidemiology, MPE)の面白さ、と癌の個別化予防・個別化医学(Personalized Prevention and Personalized Medicine)における革新的役割について

Q. 荻野先生のご研究内容についてお伺いする前に、疫学について簡単に教えていただけないでしょうか?

疫学というのは、わかりやすくいうと、人の集団においての健康状態と病気の発生を研究する学問と言えます。対象となる人の集団はたいてい大集団で、例えば健康な成人日本人であるとか、一般的な人の集団である場合が多いです。一般の方には、たとえば、「肥満や喫煙は癌や循環器疾患のリスクを上げる」とか「野菜をたくさん食べると健康で長生きする」といった仮説を科学的に立証するのが疫学研究の一例であるというとわかりやすいのではないでしょうか。また病気の種類だけ疫学の研究分野の広がりがあるといえます。例を挙げると癌疫学、循環器病疫学、感染症疫学、精神病疫学、小児疾患疫学、周産期疫学、など数えあげるときりがありません。

疫学の研究分野としては上記の病気別による研究分野の広がりのほかに、疫学の方法・手法を研究するという分野もありますし、研究デザインによる分類、データ集めや検体の検査・測定の手法による分類もできます。私が現在取り組んでいる分子病理疫学 MPEは疫学の新しい一分野であり、これから将来性の大きい分野といえます。ですので、私の行った、あるいは現在行っている分子病理疫学の研究や論文は前例のないことが非常に多いのです。分子病理疫学MPEは分子疫学(Molecular Epidemiology)とは少し概念が異なります。分子疫学(いわゆるGWAS、Genome-wide association studyも含め)では通常、病気をいくつかの分子タイプにわけることはしません。分子病理疫学MPEは病気のHeterogeneityに基づくSubtypingと個別化を土台にしています。ですので、分子病理疫学MPEはPersonalized PreventionとPersonalized Medicineにおいて重要な役割を果たすことになります。

大学を卒業したころは自分が疫学研究に携わることになろうとはまったく予想していませんでしたので、ちょっとしたことで人生はどこでどうかわるか、ほんとうにわかりません。私は研究の傍ら2007年より2010年まで、Harvard School of Public Health(HSPH)のMaster of Scienceプログラムに入ってパートタイムで疫学と生物統計学を中心に勉強しました。

Q. 荻野先生の携わっている疫学研究プロジェクトとはどのようなものなのでしょうか?

2001年より現在に至るまで、私の研究室では世界でも最先端のユニークな研究分野である「分子病理疫学」(Molecular Pathological Epidemiology, MPE)を手がけています。まずその対象としている疫学コホートについて説明します。1976年にBrigham and Women’s Hospital・Harvard Medical SchoolのDr. Frank Speizerが中心となって、これまでにない大規模なコホートを追跡して、経口避妊薬の影響を調べようと全米のRegistered Nursesから約17万人を抽出して、質問票を送ったのがNurses’ Health Study(NHS)( http://www.channing.harvard.edu/nhs/ )の始まりです。そのうち約12万人から回答が集まり、それがNHSの基礎集団となりました。質問票には、食事の内容と量、飲酒、喫煙、身長、体重など、いろいろな項目がありました。使われてきた質問票をこのサイトでみることもできます( http://www.channing.harvard.edu/nhs/questionnaires/index.shtml )。看護婦・看護師を対象に選んだのにはわけがあって、看護師は疫学研究の意義を理解する力があり、質問票を返して研究集団に参加しつづけてくれる動機づけができるのと、医学や病気の知識に明るく、もし病気になったときに正確な報告が期待できる、という2点が重要なポイントです。NHSなどの前向き追跡研究(コホート研究)では、病因に関するデータは疾患の発生に先立って集められているためにバイアスのリスクがより少ないのが長所です。このNHSは人類史上、女性の健康と病気の研究におそらくもっとも貢献した前向き疫学集団として、記念碑的な意義のあるものと受けとめられています。始まってから33年になる2009年においても、まだまだ集団の追跡調査は続いていて、Harvard界隈を中心にたくさんの研究者が日夜研究に取り組んでいます。

NHSの開始に遅れること10年、今度はHarvard School of Public Health (HSPH)でDr. Walter Willettが中心となって、約5万人の男性(歯科医師、獣医師、医師、薬剤師、などの医療従事者)を1986年から追跡しているのが、Health Professionals Follow-up Study (HPFS)です( http://www.hsph.harvard.edu/hpfs/ )。追跡方法、食べものやライフスタイルの情報などはNHSと同じようにあつめられてきました。医療従事者を対象に選んだのはNHSと同じ理由からです。

これまでNHSとHPFSでは、さまざまな疫学的知見が得られています。例えば、「アスピリン常用者は大腸癌のリスクが低い」、「食事による葉酸摂取が大腸癌のリスクを下げる」、「肥満が大腸癌のリスクを上げる」、「喫煙が大腸癌のリスクを上げる」などがあげられます。しかしながら従来の疫学のアプローチでは、では、なぜアスピリンが大腸癌を予防するのか、仮説はたてられても推測の域をでませんでした。そこで、そのメカニズムの解明に役立つべく登場したのが分子病理疫学 MPEでした。

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