研究者インタビュー



ハーバード大学医学部 荻野周史 博士(2012年01月16日更新) 4ページ目/全7ページ

癌の分子病理疫学(Molecular Pathological Epidemiology, MPE)の面白さ、と癌の個別化予防・個別化医学(Personalized Prevention and Personalized Medicine)における革新的役割について

Q. 現在、荻野先生の研究室で行われているご研究の内容を教えていただけますか?

前述のように2001年より現在に至るまで、私の研究室では世界でも最先端のユニークな研究分野である「分子病理疫学」(Molecular Pathological Epidemiology, MPE)を手がけています。分子病理疫学MPEがMultidisciplinary、Interdisciplinaryな分野であるため、2011年末現在総勢15名いる研究室のメンバーも多岐にわたり、Faculty scientist, 病理科医師・病理学者のポスドク、 基礎研究PhDのポスドク、消化器内科医師のポスドク、消化器外科医師のポスドク、生物統計学PhDのポスドク、疫学PhDのポスドク、遺伝学のPhDコースの学生、疫学分野のDoctorコースの学生、実験助手兼秘書という構成です。

Molecular pathological epidemiology(MPE)という新しい分野を実際に私がはじめて提唱したのは2010年です(Ogino and Stampfer. J Natl Cancer Inst 2010)。その後、私自身の総説(Ogino et al. Gut 2011; Ogino et al. Nat Rev Clin Oncol 2011)によってTheoryとMethodが固まり、発展しています。他の研究者も私が提唱したMPEという新分野を認証し、molecular pathological epidemiology (MPE)というTerm を使い始めています(例として、Boyle et al. Am J Epidemiol 2011; Curtin et al. Pathol Res Int 2011; Hughes et al. PLOS ONE 2011; Campbell et al. J Clin Oncol 2011; Kelley et al. J Natl Compr Cancer Netw 2011)。

分子病理疫学MPEについてここでもう少し詳しく説明します。癌の疫学ではどういうライフスタイルや食事が癌の発生に関連しているかというのが、重要な研究テーマです。癌の遺伝疫学や分子疫学では、ライフスタイルや食事や環境要因に加えて、どのような遺伝子や遺伝子産物が癌の発生にかかわっているかというのが、研究テーマになります。癌の分子病理疫学では、さらにライフスタイル、食事、遺伝子、遺伝子産物がどのような機序で、癌細胞の中の分子異常を引き起こしているかというのが、研究テーマになります。

1980年代より、癌細胞の分子異常の研究が進み、癌というものは、もともとは正常な細胞がたくさんの分子異常を積み重ねて、徐々に悪性化することにより発生することが明らかになってきました。これを最初に提唱した学者の名前を取ってVogelsteinの多段階発癌理論(Multistep Carcinogenesis Theory)といいます。そしていろいろな癌の分子異常が研究の対象になってきまして、近年では、特定の分子に的を絞った治療法(Targeted Therapy)や予防法(Targeted Prevention‐Chemoprevention)の開発がすすんでいます。ただ、それらの分子異常がどういった機序でおこっているか、どういった疫学的病因が関係しているかは、まだまだわかっていないことが多いのです。

そこで、疫学による病因に関する知見(たとえば“タバコは肺癌を引き起こす”)、分子病理学による癌の分子異常に関する知見(たとえば、“肺の細胞の癌化にはKRASの遺伝子変異が関係している”)をつなぎ合わせて、新しい仮説(“タバコはKRASの遺伝子変異を起こすことで、肺細胞の癌化を引き起こす”)を立てて、検証するという学問が近年必要になってきたということになります。これが分子病理疫学です。

大腸癌を例にとりますと、例えば、アスピリンの常用は大腸癌のリスクを減らすということが1990年代より疫学研究の結果、わかっています。それでは、アスピリンはどうやって大腸癌を減らすのでしょうか? アスピリンというのは、PTGS2 (prostaglandin endoperoxide synthase 2, cyclooxygenase 2, COX-2)という酵素の阻害剤です。PTGS2 (COX-2)は炎症反応には欠かせない酵素で、種々の生理作用物質をうみだして、炎症を起こします。一方、分子病理学の研究で、PTGS2 (COX-2)は大腸癌の発生に深く関わっているということが、やはり1990年代より明らかになっています。そこで、この疫学の知見と分子病理学の知見をあわせてみましょう。“アスピリンはPTGS2 (COX-2)を阻害することで、大腸癌のリスクを減らす”という仮説が立てられます。実は、私たちのグループで実際にこうした仮説を立てて、それを立証しようということになりました。それは、言うは易しですが、たいへんな作業が待ちうけていました。

まずは、コホートの大腸癌のサンプルをできるだけ集めて、PTGS2 (COX-2)の異常を調べることになりました。実際、私がボストンについてから最初の3−4年はひたすらサンプル集めと、データベースの構築と設定、Tissue Microarray(TMA)の構築、分子病理データの蓄積に明け暮れておりました。そして、ようやく約900例の大腸癌においてPTGS2 (COX-2)のデータが出せたのが2005年のことです。結局、アスピリンとPTGS2 (COX-2)と大腸癌リスクの関係を調べることができたのが、2006年で、幸いその結果は2007年にNew England Journal of Medicineに発表することができました。

アスピリンとPTGS2 (COX-2)については、今度は大腸癌患者の予後についても仮説(“アスピリンはPTGS2 (COX-2)を阻害することによって、大腸癌患者の死亡率を低くする”)を検証して、結果は2009年にJAMA−Journal of American Medical Associationに発表することができました。

アスピリンとPTGS2 (COX-2)というのはほんの一例で、他にもたくさんの仮説があって、一つ一つ検証するのに時間が足りない状況です。例をあげると、葉酸をはじめとするビタミンB群およびアルコールと癌細胞内のDNA異常の関係 (Schernhammer et al. Gastroenterology 2008; Cancer Epidemiol Biomarkers Prev 2008; Gut 2010; PLOS ONE 2011など)、肥満および運動不足と癌細胞内の種々の分子異常の関係 (Morikawa et al. JAMA 2011; Kuchiba et al. J Natl Cancer Inst 2012 in press など)、喫煙と癌細胞内の遺伝子変異の関係、体内ビタミンD量と癌細胞内のビタミンDレセプター異常や他の分子異常の関係、などなどです。この中には検証ずみの仮説もありますが、これから検証しようという仮説の方が圧倒的に多いのです。

前述のように分子病理疫学 MPEはたいへん新しい分野なので、何をやっても新しい発見の連続ですので、研究するのが楽しくて仕方がありません。まさしく無人の荒野、未開拓地を行くがごとくです。私たちのコホート研究は前向き研究でバイアスが少なく、さらに私たちを含めた研究グループはすでにたくさんの有用なデータを発表してきています。ですので、どのような結果が出たとしても疫学分野では有用なので、論文として発表することができます。たとえ仮説どおりの関係性を示すことができなくても、結果を論文にして発表するのは難しいことではありません(例として、Ogino et al. J Clin Oncol 2009; Shima et al. Int J Cancer 2010; Shima et al. PLoS ONE 2011)。そういった、仮設どおりの結果を示していない論文のことをNull paperといいます。Null paperも実は疫学では非常に大きな意味をもちます。ただ詳しい説明についてはこの文とは趣旨がずれてきますので、割愛させていただきます。

私の研究室の最近の新しい仕事としましては、癌の分子異常を網羅的にGenome-wideで調べようというプロジェクトをMITとHarvardの研究施設Broad InstituteのDr. Todd Golubのグループと共同で進行させています。すでに約1000例のコホート内の大腸癌症例において、24000におよぶ大部分のヒト遺伝子の発現レベルのデータを蓄積しました。このデータから、様々な新しい知見が出てくることは間違いありません。1000例もの特定の癌の遺伝子発現をGenome-wideで1つの研究グループが調べたということ自体が前例のないことです。網羅的にGenome-wideで見る利点は、特定の遺伝子に関する仮説などによるバイアスを排除して、データを集めているという点で、今まで考えもつかない仮説が生まれる可能性があります。

上述のような私が自分自身で推進しているプロジェクトのほかにも、同じ施設や他施設(他国)の基礎研究者や癌研究者の依頼によって、基礎研究・Translational researchの一環として、私たちのヒト大腸癌検体やラボからのデータや専門技術を提供する場合もあります。これまでのそうした研究成果の例としてはPriolo et al. Cancer Res 2006; Park et al. Am J Pathol 2007; Firestein et al. Nature 2008; Firestein et al. PLoS ONE 2008; Worthley et al. Am J Clin Nutr 2009; Worthley et al. Oncogene 2010; Mino-Kenudson et al. Gut 2011; Bass et al. Nat Genet 2011; Kostic et al. Genome Res 2012などがあります。

これまで述べてきた前向きコホート研究が、私のラボでの研究の柱ですが、このほかにもプロジェクトがあります。その中でも代表的なものとしては臨床試験があります。私は特にリンパ節転移のある癌に限って行われる臨床試験において、大腸癌の分子異常の調査に携わっています。臨床試験には複数の病院でおこなうものがありますが、これにより特定の病院の患者に存在するバイアスを少なくすることができます。これを多施設共同臨床試験といいます。さらに複数の多施設共同臨床試験を集約して研究を行うことをIntergroup trialといいますが、サンプルサイズを大きくして、さらにバイアスを減らすことができ、実際に治療の効果の判定を効率よく行えるようになります。私たちのIntergroup trialでは少なくとも40の病院が参加し、1000例以上の同じ病期の癌患者を治療しフォローしています。Alliance for Clinical Trials in Oncology (CALGB, Cancer and Leukemia Group B)(www.calgb.org)というのが私たちが研究に参加している代表的な臨床試験の研究グループです。こうした研究において、私は癌細胞の分子異常を調査することで、治療効果の判定とそのメカニズム解明に役にたつことをめざしています。こうしたIntergroup Trialのエビデンスのレベルは高く、たとえ仮設どおりの関係性を示すことがまったくできなくても、結果を論文にして発表できます(例として、Ogino et al. Clin Cancer Res 2009 “KRAS mutation in stage III colon cancer and clinical outcome following intergroup trial CALGB 89803”)。

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