レポート課題:「科学コミュニケーター」とは?
Tweet第2回(更新日:2014年08月22日)
レポート課題への調査と結論 -歴史から見る科学コミュニケーションの定義-
みなさまおひさしぶりです、AIです。
お盆休みのあった方はゆっくり過ごされたでしょうか?
会社だとか研究室によっては、8,9月中にとればいいよーなんてところもありますよね。
学生の時はいつも帰省ラッシュに巻き込まれたくなくて、9月に休みとってました。
お盆休みに世間が突入し始めて楽しそうに電車に乗ってるの人達を横目に出勤していました。
お盆休み明けに仕事が溜まりにたまって大変なことになーれ☆
と呪いをかけておきました(´ω`*)
さてさて、本題に入って行きましょう。
前回は、イギリスを例にとってサイエンスコミュニケーションがどのように行われてきたか歴史を見てきました。
今回は私たちの国、日本を見て行くわけです。
授業ではたくさん先生がお話されるのを聞いていたんですが、
正直、どうでもいいよなぁ、と思ってしまったのが正直なところ。
なぜかというと「難しすぎる」んです。
歴史を見て行こうとすると、国から出ている報告書を読んいかなきゃいけない。
確かに詳しく書いていて、すこしづつ方向の修正も行われているけれど、
私から見ると大きな動きがあるようには見えませんでした。
なので、さっくりとどうやって日本が科学コミュニケーションを取り入れてきたか、さっくり歴史をお話しして、私が考える科学コミュニケーションの定義に繋げて行こうと思います。
1995年 科学技術基本法
19条 国は、青少年をはじめ広く国民があらゆる機会を通じて科学技術に対する理解と関心を深めることができるよう、学校教育及び社会教育における科学技術に関する学習の振興並びに科学技術に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。
1995年にこんなことが言われていたそうです。
難しい・・・(゚Д゚) ←基本的に国語が得意じゃない人。
しかし、この段階では前回お伝えした「欠如モデル」↓
であったり、理解を増進しましょう!といったことが前面に押し出されているんですね。
1995年と言えば、イギリスではBSE問題が発生して、この欠如モデルだけではうまくいかない、と考えられ始めた頃です。そう思うとなんだかワンテンポ遅れている気がします。
そして、科学コミュニケーションにとって大きな転機、本当の始まりである2005年。
日本における科学コミュニケーション元年とも言われています。
この年には・・・
文部科学省科学技術振興調整費
-科学技術インタープリター養成プログラム(東京大学)
-科学技術コミュニケーター養成ユニット(北海道大学)
-科学技術ジャーナリスト養成プログラム(早稲田大学)
-大阪大学コミュニケーションデザインセンター
-いくつかの大学での実践的プログラム
-国立科学博物館、日本科学未来館などでの科学コミュニケーター養成プログラム
-研究者のアウトリーチ活動支援のための資金提供(科学技術振興機構)
と、こんな感じで一気に科学コミュニケーション・科学コミュニケーター養成が進められることになりました。
ここを見て、すでに気付かれている方もいるかもしれませんが、日本の科学コミュニケーションの導入は非常に特徴的です。
「文部科学省科学技術振興調整費」という「国策」によって導入する
予算を作って、それで一気に導入、といった感じですね。確かにその方が上に上げたような養成機関ができてうまく進めて行くこともできるのではないかと思います。
個人的には、「お金あげるし、あとはその機関ごとにがんばってよね。」って丸投げしているようにも見えるんですが( 'ω')
「理解増進」から「コミュニケーション」への変化
初めに計画に入れられた時は「欠如モデル」の考え方が前面に押し出されていたのですが、それではいけない!!ということで、科学コミュニケーション元年には「コミュニケーション」を重視して様々な養成機関が立ち上げられたようです。
アウトリーチ活動(研究成果公開活動)の定義づけ(科学技術基本計画)
-国民の研究活動・科学技術への興味や関心を高め、かつ国民との双方向的な対話を通じて国民のニーズを研究者が供給するため、研究者自身が国民一般に対して行う双方向的なコミュニケーション活動
このようにしっかりと定義づけが行われたことも特徴でしょうか。科学コミュニケーションで頻繁に使われる「双方向的な対話」っていうのも書かれています。
大学ではサイエンスカフェやELSI(Ethical, Leagal and Science Issues[倫理的・法的・社会的問題])などさまざまに取り組まれて行きます。確かに、私も大学院のとき「生命倫理」という名の授業がありました。ES細胞の倫理的な問題だとかをグループでディスカッションしました。これもひとつ「科学コミュニケーション」なのでしょう。知らない間に学んでいたのかもしれません。これも国の政策の1つだったんですね。
さてさて、こんな感じで日本へ科学コミュニケーションが導入されて行きました。
このあとの動向は先ほどからお話ししている「科学技術基本計画」で検索してもらえれば全文が読めます。しかし、おすすめしません。(勉強しようと思っている私でさえ、あれば読むの嫌です。)
こうして、現在みなさんの周りでもサイエンスカフェなどよく耳にするようになっていると思いますが、劇的にこの初期の導入方針と変わってきているとは考えられません。
ここまで、イギリスの歴史、日本の導入経緯を見てきましたが、サイエンスコミュニケーションの「定義」について何かみなさんの中でこうじゃないかな?って思えるものが見えてきたでしょうか・・・?
多分、はっきりこれだといえるものはみなさんもないのではないかと思います。
実は、それが「正解」なのです。
科学コミュニケーションの定義とは、実は定まっていないもので「これ」とは言い切れないものです。
たくさんの人が携わって科学コミュニケーションが行われています。
決して研究者と非研究者の間だけのコミュニケーションだけが、科学コミュニケーションとは呼べないと私は思います。
しかも、まだこれからどんどん進んで行く分野です。
まだ今のある形が完成した形でもありません。
しかし、定義をこれ!と言い切れないとしても、忘れてはならないことがあります。
それは、科学コミュニケーションに携わる人全てが
「共有できる最小限の前提」をずっと考え続けることです。
範囲が広すぎてこれとか言い切れなくても、これはどの人も共通している、これならば同じ考えとして共有できる、その「境界設定」を考え続けることが大切なのです。
(境界設定問題は科学コミュニケーションだけでなく、「科学とはなにか?」という問題にも関わってきます。違うお話しなりそうですね、これは。)
境界設定問題、そして共有すべき最小限の前提のことはわすれてはならないことなのでしょう。
さて、長々書いてきましたが結論です。
自分で書きながら上手くまとめてられていないなぁ、と思います、すみません・・・
ぜひ、分からないところや、もっとこれ聞いてみたい、なんてことがあればtwitter(@AI_sc10)からどうぞ。
では、次回からちょっとお話が変わります。そして、さらに次々回は写真だらけになる予定です。お楽しみに。
ではでは、また次回会いましょう。
AIでした。
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最後に。
原稿を書いた後、どうしても付け加えたくて書き始めました。
先日、亡くなられた笹井先生とはしっかり会ってお話ししたのは一度だけです。
しかし、その一度お会いした時にお話しさせて頂いたこと、私にかけてくださった言葉、作ってくださったカクテルの味は一生忘れません。
私は、お話しできるような詳しいことは何も知りません。テレビで報道されている内容以上のことは何も知りません。あの衝撃のニュース以降、ニュース番組を見ることさえ億劫で、もしかするとみなさんよりも知っていることは少ないかもしれません。
それぐらい、たった一度話をしただけの学生に、強烈な印象を残してくれるような偉大な研究者だったと私は思っています。今、失ってはいけない、日本が失ってはいけなかった研究者だと思っています。
笹井先生の功績にこれ以上ない、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
どうかこれからも、多くの研究者の道しるべになるように、空の上から私たちを見守っていてください。
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執筆者:AI
(@AI_sc10)