SFミステリー小説:永遠の秘密2〜すれ違う二人
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第三章:高野恵美子(4)
その翌日の日曜日、田畑太一郎、真中しずえ、坂井かなえの三人は、お昼過ぎにコーヒーショップに集まっていた。
「ごめんね、昨日の今日でまた二人に来てもらっちゃって」と、坂井かなえが言った。三人は端っこの方のテーブル席に座っていた。坂井かなえと真中しずえが隣同士で並んでいて、田畑太一郎は坂井かなえの前に座っていた。
ここは、若者に人気で日本でもそこここにあるチェーンのコーヒーショップではなく、オーナーがこだわりのコーヒーを淹れてくれるという知る人ぞ知るといった感じのコーヒーショップであった。この場所を今日の会合に選んだのは坂井かなえだった。
「雰囲気の良い落ち着いたお店ですね」と真中しずえが言うと、「ここ、T大学から歩いてこれるし、私のお気に入りの場所なの。でも、ちょっと値段が高いから、そんなにしょっちゅうはこれないんだけどね」と、メニューを真中しずえと田畑太一郎が見やすいように広げながら、坂井かなえがそう答えた。そして、「あ、今日は私が払うから好きなコーヒーとか選んでね」と付け加えた。
「いえ、自分の分は自分で払いますから、大丈夫ですよ」と、田畑太一郎が坂井かなえの顔を見て言ったとき、田畑太一郎は坂井かなえの目が少し赤く腫れているのに気がついた。
「私の目、赤い?」
「え、いえ、そんなことないですよ。」
「ふふ、気にしないで。今朝、鏡で自分の顔を見て、自分でも酷い顔してるなって思ったの。」
「いえいえ、そんな。そんなこと本当にないですって。」
「昨日の夜ね、あんまり眠れなかったの。それに、高野さんのこと考えたら何だか涙も止まらなくて・・・」
三人の間に沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは、注文をとりにきたコーヒーショップの店員だった。
坂井かなえは笑顔に戻り、店員に『本日のハウスブレンドのコーヒー』を注文した。真中しずえも同じものを注文したが、田畑太一郎は一番シンプルなコーヒーを選んだ。坂井かなえはコーヒーの他に、パウンドケーキを注文した。そのパウンドケーキは十二ドルもするものであったが、坂井かなえは「ここのパウンドケーキ、ちょっと高いけど、美味しくて大きいの。だから三人でシェアしましょう」と、パウンドケーキを注文した理由を軽く説明した。
注文をしたことで、坂井かなえは沈んだ気分が少し和らいだのか、二人に昨日のことについて話し始めた。
「昨日ね、みんなが帰ったあと、もう一回あの会議室に行ったの。でも、やっぱり何もなかった。それに、高野さんには何回か電話をしたんだけど、一回も繋がらなかった。メールもテキストもしたんだけど、まだ返事はないの。」
「高野さんって、いつもは電話をかけたらすぐに出るんですか?いえ、こんなこと言うの恥ずかしいんですけど、俺、英語が苦手なんで、電話がかかってきてもスルーすることがあるんですよね。」
「高野さんはアメリカ生活が長いから、たぶん電話に出れる状態だったら出るんじゃないかな。私の番号も登録してくれてるはずだし。でも、言われてみれば、私が高野さんに電話するときって、いつもは前もってテキストとかメールで電話していいですか?って聞くことが多いかも。」
「ということは、テキストやメールの返事は早いんですか?あ、なんか問い詰めてるみたいですみません。」
「全然気にしないで。問い詰められてるって感じしてないから」と坂井かなえは笑い、続けて『高野さん、いつもはテキストやメールを送ったらすぐに返事してくれるよ』と、田畑太一郎の質問に答えた。
「そうですか・・・」と、田畑太一郎が返事をすると、再び沈黙が三人を襲った。
その沈黙を破ったのは、またしてもコーヒーショップの店員だった。その店員が持っているトレイには注文した品が乗っていた。
「いい匂い」と、店員が去ったあとで、運ばれたコーヒーカップを持ち上げて真中しずえが言った。
「でしょ。それにね、味もおいしいんだよ。でも、まだ熱いから火傷しないようにね」と、同じくコーヒーの香りをかぎながら坂井かなえが答える。そして、「残念だけど、何か不測の事態が高野さんの身に起きたと考えるのが自然かもしれないね。でも、それが何なのかは、まだ今の段階だと、これだって決めつけない方がいいかも」と、続けて言った。
「こんなことを聞いてしまうのはデリカシーがないのかもしれないのですけど・・・」と言葉を選びながら田畑太一郎が話し始めると、「大丈夫よ。何でも聞いて。私、昨日の夜は高野さんのことをあれこれ考えてたんだけど、何かがひっかかってるけど思い出せないことがあるの。だから、みんなと話してると何か思い出すかもしれないかなって思ったの。それが今日二人を呼んだ理由の一つ」とニコッとして坂井かなえは答えた。しかし、その笑顔は、無理して作っているのだと、真中しずえと田畑太一郎には感じられた。
「ではお言葉に甘えて聞いてしまいますね」と前置きをして、「高野さんってどんな方なんですか?」と田畑太一郎は聞いた。
「えっと・・・それは難しい質問ね」と軽く言ってから、坂井かなえは目の前のコーヒーを口にした。そして、「とても真面目な人だよ。うん、とってもね。でもね、単に真面目なだけじゃなくて、ユーモアもあって素敵な人」と答えた。
「そうなんですね」と田畑太一郎が言うと、「それにね、すごい苦労してきた人なんだ。小さいときから、ちょっと色々と大変だったみたい」と、続けてそう説明した。
それを聞いて田畑太一郎は、「大変だった?」と思わず聞いが、「うん・・・なんかね・・・」と、坂井かなえは、そう言ってから少し黙り込んでしまった。高野恵美子のプライベートなことを言ってもいいのかどうかを決めかねているようだった。そのことに田畑太一郎も気づいたのか、坂井かなえの発言を急かすようなことはしなかった。
沈黙がその場に訪れたが、今度は真中しずえがその沈黙を破った。
「高野さんのご家族は日本にいると思うんですけど、高野さんとお付き合いしている男性はこっちにいたりしないですか?しずえさん、その方の連絡先とか知ってたりしますか?」
「え、それってどういう意味?」
「あ、いえ、昨日倒れてる高野さんを見たとき、たまたま左手の薬指に指輪をしているのに気づいたんです。あれって婚約指輪なのかな、って思ったんですけど、高野さんって結婚が近かったりするんですか?もしそうなら、そのお相手はこの近くにいたりするのかなって思ったんです。」
「そっか、しずえちゃん、その指輪に気づいたんだ。」
「もしかして私、よくないこと言ってしまいましたか?すみません・・・。」
「ううん、いいの。状況が状況だけに、やっぱり二人にはきちんと伝えておこうかな。でも、これから聞くことは、あんまり他所では言わないですね。」
真中しずえと田畑太一郎は神妙な表情でうなづく。
「高野さん、小さいときに両親が離婚したの。で、ずっと母親に育てられてたんだけど、その母親も高校に上がるまえに亡くなってしまったみたいなの。」
「え・・・」と、真中しずえが短く言葉を発したが、坂井かなえはそのまま話を続ける。
「その後は祖父母の家から高校・大学と通ったんだって。祖父母は高野さんのことを大事に思っていたらしいけど、やっぱり両親のいない生活は大変だったみたい。自分の学生生活は一般に言われる華やかな女子高生・女子大生の生活とは無縁だった、って言ってたことがあるの。」
真中しずえと田畑太一郎は、言葉を挟まずに坂井かなえの話をじっくりと聞いていた。
「でもね、そういう話を彼女がするときは、別に悲壮感が漂っていたって感じじゃないよ。逆に、大変だったけど、勉強は楽しかったし、今やってる研究分野に触れたときはすごい楽しかった、って言ってた。おじいさんは大学のときに亡くなって、おばあさんは、その後に施設に預けたから、大学院では研究に打ち込めたみたい。でも、やっぱりお金の面では苦労してたみたいね。奨学金はもらってたけど、それだけだと生活はできないからバイトはやっぱり必要だったみたい。」
田畑太一郎は、その話を聞きながら、自分の置かれている環境がとても幸運なことだと実感した。彼もバイトはしているが、バイトでもらったお金は基本的には自分の遊びに使っている。それだけではなく、遊びに使うためのお金を親にもらうことも珍しくない。しかも、今回の大学院在学中の留学にかかる費用も基本的には親が出してくれている。
「でもね」と坂井かなえは続ける。「大学院の博士課程に入ってからは少し状況が変わったみたいなの。」
「何かあったんですか?」と、真中しずえが聞く。
「詳しいことは私も聞けていないんだけど、大学がやってるサイエンスフェアで、別の学部に通うある男性に出会ったんだって。博士課程に進んで一年目だったかな。」
「もしかして、その人が高野さんの婚約者ですか?」と、今度は田畑太一郎が聞いた。
「うん、そうなんだけど・・・。」
坂井かなえは、ハウスブレンドコーヒーのカップを手にして一口飲んだ。そして、一呼吸置いた後、意を決したように「でも、高野さんの婚約者は、もう亡くなってるんだよね」と言った。
「え?」と、田畑太一郎と真中しずえが同時に声を出す。このことは、二人にとって予想していなかったことのようだった。
「どういった経緯で恋人同士になったかは聞かなかったんだけど、二人は出会ってすぐにお付き合いを始めることになったみたいなの」と、唖然とする二人の様子には構わずに坂井かなえは話を続ける。
「同い年だったんですか?」と真中しずえが聞く。
「ううん、その人は高野さんの二歳上だったって。」
「ということは、高野さんと出会ったときは、博士課程の三年目だってことですね。」
「そうね。で、その人は博士号を取ってから、そのまま同じ研究室で助教になったみたい。」
「優秀な人だったんですね。」
「高野さんもそう言ってたよ。その人は、アメリカに行って自分の研究室を持ちたい、ってよく言ってたみたい。で、ある日、アメリカに行くときには一緒に来てほしいってプロポーズされたんだって。アメリカなら夫婦がそれぞれ自分の研究室を持って研究することも普通にあるからって。」
「わ、すごい。でもそれって、高野さんが博士号を取った後のことですか、プロポーズがあったのは?」
「ううん、まだ学生だったって言ってた。だけど、高野さんは、そのときにはすでにその人と一緒になりたいと思っていたし、一緒にアメリカについていくことも興味があった、っていうようなことを言ってた。」
「ロマンチックな話ですね」と、真中しずえが少し羨ましいそうな表情で言った。
「そうね。研究をやってる女性って、どうしても結婚とか恋愛ごとからは遠ざかることが多いからね。って、今はそんな話はしてないか」と、坂井かなえはそう言って苦笑いをした。
田畑太一郎は、その発言にどう反応していいかわからず、とりあえず自分用に分けてもらったパウンドケーキを口にした。と、それを見て坂井かなえが「どう、そのパウンドケーキ。美味しい?」と聞いてきた。
「え?あ、美味しいです」と田畑太一郎が答えると、真中しずえも自分の分のパウンドケーキをフォークで一口サイズにカットして口にいれた。そして、「美味しい!このパウンドケーキ、日本で食べるのよりもおいしいかも」と、少し興奮気味に言った。
「でしょ。こっちのケーキって砂糖が析出してるただただ甘いだけのものが多いけど、ここのお店のケーキはどれも美味しいんだ。でもよかった、このパウンドケーキが二人の口に合って。」
「私、このお店の常連になっちゃうかも。って言っても、そんなにお金ないし、あと二週間くらいで日本に帰らないといけないんですけど。」
「日本に帰る前にまた一緒に食べに来ようよ。でも、日本に帰ったら、しずえちゃんは美味しいケーキいっぱい食べられるなんだね。いいなー。」
坂井かなえと真中しずえが楽しそうにスイーツの会話をしているとき、田畑太一郎は静かにコーヒーを飲みながら何かを考えていた。
その様子に坂井かなえが気づき、「太一郎君、どうしたの?」と聞いた。
「あ、すみません。二人の会話とは別のことを考えてしまっていって。」
「ううん、話が脱線してごめん。何を考えてたの?」
「いえ、今のお話だと、高野さんって敵を作るようなタイプの人じゃないなって。怨恨がらみのさ・・・」と、そこで田畑太一郎は急に口をつぐむ。『殺人』という単語を使いたくなかったようだった。
田畑太一郎が何を言おうとしたか、そしてなぜ途中で話を止めたか、を坂井かなえはわかったようで、彼の代わりに話を続けた。
「うん、高野さんは良い人だよ。誰かに恨まれたりはしないと思う。」
「婚約者さんはどうして亡くなってしまったんですか?」と、今度は真中しずえが、その場の会話を脱線前の話題に戻した。
「詳しくは聞けなかったんだけど、事故にあったんだって。」
「いつですか?」
「博士課程の三年生の終わり。ちょうど博士号の審査会の発表があった日だって。」
それを聞いて、真中しずえも田畑太一郎も言葉を失う。
「なんかね、プロポーズは高野さんが在学中のときにあったけど、高野さんが学生のあいだはやっぱり籍を入れるのはやめようってことになったんだって。だから、高野さんが博士号を無事に取れたら、結婚しようってことになってたみたい。」
「それなのに、博士号をもう取れるという審査会の発表のときに事故にあったんですか?」と、悲痛な表情で真中しずえが言う。
「そうなの。そんな残酷な話ってないよね、って今でも私は思うの。その話を高野さんに聞いたとき涙が出ちゃった。でも高野さんは、私はもう吹っ切れたから大丈夫って言ってたの。でね、彼の夢だったアメリカで自分の研究室を持つということを自分が代わりに成し遂げるんだ、って笑って言ってた。」
「強い方なんですね」と、言った真中しずえの目には少し涙がたまっていた。
田畑太一郎は、なんて言っていいかわからず、とりあえず目の前にあるコーヒーを飲んだ。それにならって、坂井かなえと真中しずえも自分のコーヒーを口にする。沈黙が再び三人のもとに訪れた。
「あ、すみません、答えにくい質問をしてしまって」と、この話題は自分の質問がきっかけだったということに気がついた田畑太一郎が、その沈黙を破って話し出す。
「え、いいよ。全然大丈夫。でも、他の人にはなるべく言わないでね。高野さんも、この話が広がるとあんまり嬉しくないかもしれないし」と、坂井かなえが答えた。
「高野さん、無事だといいんですけど・・・。高野さんの身に何かあったら、婚約者さんもきっと悲しむと思います。ただでさえ、結婚間際に不慮の事故で高野さんひとりを置きざりにしてしまって悲しんでるはずですし」と、真中しずえが言ったところで、「あ!」と坂井かなえが少し大きな声を出した。少し離れた席にいた老夫婦が三人の方をチラッと見た。
「あ、ごめん、大きな声を出して」と、ヒソヒソ声になって坂井かなえは言った。
「どうしたんですか?」と、田畑太一郎が聞く。
「ふと思い出したの。どうしてこのことを今の今まで忘れてたんだろう」と前置きをして、「高野さんと二人でお酒を飲んでいたときに、一回だけ高野さんがすごく酔ったことがあったの。そのときね、『彼は事故で亡くなったんじゃない。殺されたんだ。』って言ったことがあるの。」
「え、それってどういう意味ですか?」
「ううん、わからない。私もどういう意味?って聞いたんだけど、なんか高野さんすごく酔ってて、そのあとは会話にならなかった。で、その話はそのときだけ。それ以降は一回もそんな話はなかったから、私もなんか忘れた方がいいかなって思って、実際に今の今まで忘れてた。」
「でもそれって、もしかしてとても大事な情報かもしれないですね」と、真中しずえが言う。
「え?あ、うん、たしかに。もしかして、高野さん、ちょっと何かまずいことに巻き込まれたかも?」と言って、坂井かなえは少し怯えた表情になった。
「考えすぎはよくないかもしれないですけど、注意はしてもいいかもしれないですね。警察とかに相談しますか?」と、田畑太一郎が聞くと、坂井かなえは「昨日の今日だから、警察とかに言うのはまだちょっと早いかも」と言った。「でも、たしかに、警察とかに相談するというのも、今後のオプションとしてはありかもね」と付け加えた。
「あの・・・明後日、渡邉さんと会うことになってるんです、俺。だから、そのときにちょっと高野さんについて何か知ってることがないか聞いてみますね。何かわかったら連絡します。あ、もちろん、今日聞いた話は言わないです。」
「渡邉さんって、あの例のWebサイトをやってる会社の人だよね。あのサイト、この業界の裏事情にも詳しいから、何か知ってるかもね。私も、高野さんの研究室の人にそれとなく聞いてみるよ。」
「明日は月曜日ですよね。何事もなく高野さんが研究室にあらわれて実験してくれてるといいんですけど」と、真中しずえは言ったが、本心ではその可能性はだいぶ低いなと思っていた。あのとき見た高野恵美子の表情は生きている人間のそれではなかったからだ。それでも、自分が出す言葉には少しでも明るい可能性がある発言をしたいと真中しずえは思った。
「うん、私もそう思うし、きっとそうなると思ってる。じゃあ、とりあえず今日はこのくらいで解散にしようか。日曜日にありがとね。昨日の夜はひとりで考えごとしてたから、頭の中ごちゃごちゃだったんだ。二人を呼んだ理由のもう一つは、そのごちゃごちゃを解消するのを手伝ってもらうことだったの。二人と話をしていて少し気が楽になったよ。で、今は眠い。昨日眠れなかったからね。帰ったら明日まで寝ようかな」と、最後はおどけるような笑顔になり、そう言って真中しずえと田畑太一郎を笑わせた。
(「第三章:高野恵美子」終わり)

