“50代&非PI”の生存戦略〜「持たざる研究者」のサバイバルガイド



“50代&非PI”の生存戦略〜「持たざる研究者」のサバイバルガイド

第4回:科学を測る「物差し」は、いつの間にかすり替えられている

いつから私たちは、研究の中身そのものではなく、それが掲載された雑誌のインパクトファクターや、その雑誌の「ブランド」によって、論文の価値を値踏みするようになってしまったのでしょうか。

現在、バイオ研究の世界において、研究者の能力や実績、さらには人格までをも評価する絶対的な基準として君臨しているのが、インパクトファクターに代表される雑誌の「ブランド」です。どのジャーナルに論文が載ったかによってグラントの成否が変わり、公募の書類選考の合否が機械的に振り分けられ、研究者としての生殺与奪が決まる。これが、私たちが日々息をしているアカデミアの動かしがたい現実であり、逃れることのできない「見えざる神の手」なのです。

しかし、一歩引いてこの現状を眺めてみれば、極めて奇妙な、そして致命的な「物差しのすり替え」が起きていることに気づきます。

科学的な価値とは、その発見がどれほど自然の真理に近づいたか、あるいはどれほど堅牢な再現性を持っているかを、研究コミュニティが時間をかけて慎重に検証してこそ定まるものです。それなのに、現代のハイスピードな競争社会と、数年単位で成果を求められる評価システムは、そんな悠長な検証を待つ余裕をすでに失っています。結果として、商業出版社が自社の利益やマーケティングのために設定した独自の基準、あるいは一握りのエディターの主観的な好みにすぎない「雑誌の格付け」を、科学そのものの価値と同一視するという深刻な問題が、業界全体を覆い尽くしているのです。

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私は約20年間、米国のいくつかの研究機関で研究を続けてきました。アメリカのアカデミアにおけるジャーナル信仰は、日本以上に苛烈で、剥き出しの商業主義と直結しています。

あちらでは、トップジャーナルへの掲載は単なる名誉や出世の手段ではなく、文字通り「近い将来の生存」に直結する最重要事項です。どれほど資金に恵まれた大御所ラボであっても、主要誌に数年論文が出なければ、次のフェーズの予算は獲得できません。スタッフサイエンティストやポスドクたちは、どれほど高度な実験技術や深い知性を持っていても、資金が尽きれば一瞬でラボを去らねばならない。そんな極めてドライで過酷な流動性のなかに置かれています。

そのため、アメリカのPI(Principal Investigator = 研究室主宰者)たちは、エディターの関心を引くために論文の「見栄え」を限界まで飾り立て、映画のプロモーションさながらの華やかなストーリーを構築する「見せる技術」を必死に磨き上げてきました。科学としての質よりも、プレゼンテーションとしての魅力が生存を決める世界なのです。

日本の大学や研究機関にも似たような側面があることは、この連載を読んでいる方なら常識かもしれません。もちろん、日本はアメリカよりも雇用がある程度守られています。しかし、評価システムの硬直化とマニュアル化は、むしろアメリカ以上に深刻な歪みを生み出してきました。

近年の日本の大学改革や研究支援政策は、アメリカの成果主義の本質やその弊害を見誤ったまま、表面的な数値目標だけを機械的に導入してきました。「国際共著論文の割合」や「トップ10%論文数」といった記号的なキーワードが学内の評価基準を踊り、大学の教授選や公募の選考委員会では、論文の中身を精読してその真贋を見抜ける専門家がいないために、候補者が持つジャーナルのインパクトファクターを単純に足し算した数字だけで順位付けする。そんな信じがたい光景が日常化しています。

アメリカの過酷な商業主義が生み出したシステムのエラーを、日本のアカデミアが「客観的評価」という大義名分のもとで盲目的に、しかも周回遅れで追従し、真面目に現場を支えている研究者の首を締め上げている。これこそが、日米の研究機関を渡り歩いて私が目撃した、現代バイオ界最大の病理であり、構造的な悲劇なのです。

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過度なジャーナル信仰は、研究活動に何をもたらしたのでしょうか。簡潔にまとめれば、それはデータの「純粋性」と「ありのままの誠実さ」の喪失です。

現代のトップジャーナルに論文を採択させるためには、非の打ち所がない、映画のように美しい一本道の「ストーリー」が必要とされます。ある一つの分子が、特定のシグナルを介して見事に疾患を制御している。そうした、人間の貧弱な認知能力でも容易に理解できる「都合の良い完璧な絵コンテ」が最初から最後まで繋がっていなければ、査読という名の門番を通過することはできません。

しかし、博士号を取得し、50代になるまでの20年間、実際に手を動かして生命現象と泥臭く向き合ってきた私たちは、自然がそんなに人間の都合よく一直線には動いてくれないことを、誰に言われるまでもなく知っています。

実際に実験を行えば、必ず仮説に反するデータや、説明のつかないノイズ、環境の微細な変化によって変動する再現性の不安定なスポットにぶつかります。ひと昔前、まだみんなが真理を求めて研究をしていた頃なら、それらのノイズや例外的なデータも「ありのままの自然の姿」として論文の片隅に実直に記録され、次の世代の議論や追試に委ねられていました。それこそが科学の進歩における「誠実なバトンリレー」だったのです。

しかし、現在の「トップジャーナルへの登竜門」において、それらのノイズを正直に記載することは、査読者に突っ込まれる隙をわざわざ与える「致命的な自殺行為」を意味します。結果として現場では何が起きるでしょうか。ボス(=ラボのPI)からの「このストーリーに合わないデータは外せ」「もっときれいな、仮説通りのウエスタンブロットの画像を撮り直せ」という無言の、あるいは時に明示的なプレッシャーのもと、データはトリミングされ、都合の良い個体のデータだけが抽出され、不都合な真実はSupplemental figureの奥にすら入れさせてもらえず、闇へと葬られていきます。

それはもはや、自然の客観的な観察記録ではありません。エディターや査読者という名の「観客」を満足させるための、きわめて高度な「創作活動」に変質してしまっているのです。PIを頂点とする論文生産ラインの中で、非PIのベテランやポスドクたちは、その創作活動を支えるための、ただの「見栄えの良いデータ生産マシーン」として都合よく消費されていきます。

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50歳を過ぎて非PIである私たちは、この狂ったジャーナル信仰の元での「偽りの科学競争」で華々しい勝利を収めることはできなかったかもしれません。しかし裏を返せば、私たちはPIになれなかったことで、これ以上「見栄えの良い嘘」を創り出す片棒を担がずに済むという、大きな知の解放と安堵の始まりを獲得したとも言えるのです。

あなたは、派手だが誰も再現できない「砂上の楼閣」のような論文をトップジャーナルに滑り込ませ、数年後に業界の片隅でひっそりと疑義をかけられたり再現性のなさを指摘されて怯えたりする、といった綱渡りの人生を望んではいませんよね。「ジャーナル信仰」という、他人が勝手に作った歪んだ物差しを、ここで完全にへし折ってしまいましょう。

私たちには、数十年にわたり現場で培ってきた、論文の文字の隙間やFigureの不自然な美しさに潜む「無理」や「誇張」を一目で見抜く、職人さながらの審美眼があります。華やかなジャーナルのロゴマークに惑わされることなく、その論文が「本物の科学」を語っているのか、それとも「商業的なプロモーション」にすぎないのかを、私たちは冷徹に嗅ぎ分けることができるのです。

ブランド化された学術誌への掲載枠を争うという不毛な消耗戦から静かに降り、自らの足で確固たる科学の大地を踏みしめる。他人のためのストーリー作りに自分の技術や時間を切り売りするのをやめたとき、私たちはようやく、自分自身の肉体と頭脳に深く刻み込まれた「本物の資産」を、本当に愛すべき、信頼に足る科学のために使いこなす真の自由を手に入れるのです。

【特別コラム #04】論文の「Materials and Methods」の項目を精読し、虚飾を剥ぎ取る

ジャーナル信仰という虚飾から自らの知性とプライドを守るための、具体的なプラクティスは、論文の読み方を根底から変えることです。

多くの研究者は、論文を読む際にまず「Abstract」を読んで、その膨大なストーリーに圧倒されます。そして、「Figure」の華やかさに目を奪われ、「Discussion」に書かれた壮大な結末に感心してしまいます。しかし、それらセクションには、著者らの「演出」とエディター向けの「お化粧」が最も色濃く反映されていることを理解する必要があります。

そこで、少なくとも今週は、気になる論文を見つけたときに、あえて「Materials and Methods」のセクションから読み始め、その項目を目を皿のようにして精読してみてください。

試薬の濃度、処理の正確な時間、使用している細胞株の性質の確認方法、そして何より統計処理やオミクスデータの解析方法。これらが驚くほど曖昧に、あるいはブラックボックス化されて書かれているトップジャーナルの論文がいかに多いか、あなたの「職人」の目で厳しく見極めるのです。「ストーリーは華やかだが、この『Materials and Methods』の記述では他人が追試することは物理的に不可能だ」と見抜いた瞬間、その論文がまとっていたブランド価値は、あなたの脳内で完全に崩壊します。

どれほど有名なジャーナルに載っていようとも、科学の命脈は「再現性」にしかありません。雑誌のインパクトファクターやブランド名という虚飾を剥ぎ取り、地を走るプロトコルの記述から論文の真贋をジャッジする。その冷徹な「技術の視点」を持つことこそが、組織の肩書きに属さない、個として定年まで生き抜く研究者に必要な武器となるのです。


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