研究のしまいかた〜バイオ系博士が研究を離れるときに



研究のしまいかた〜バイオ系博士が研究を離れるときに

第1回:研究をやめるべきか、迷っているときに

研究をやめるべきかどうか。この問いを、何か月も抱えたまま過ごしている人は少なくない。公募の結果を待ちながら考え、培養の合間に考え、眠る前にまた考える。答えが出ないので、ひとまず目の前の実験に戻る。そうしているうちに、次の締め切りがやって来る。

この連載は、バイオ系の博士号を持ち、研究を離れるかどうかを考えている人に向けて書いている。まだ迷っている人、離れると決めて準備を始めた人、すでに新しい仕事に就いた人。どの段階にいる人にも、考えるための物差しを一つずつ手渡していきたい。初回は、いちばん大きな問いから始める。

◾️問いが大きすぎると、答えは出ない
 「やめるべきか」という問いが答えにくいのは、その中にいくつもの問いが折り重なっているからである。研究が好きかどうか。この先、職が得られる見込みはあるか。収入はどうなるか。家族はどう受け止めるか。これまでの年月をどう考えればいいか。性質の違う問いが一つの言葉に詰め込まれているので、どこから考え始めても、すぐに別の問いにぶつかる。そうして考えが同じところを回り続ける。

研究で大きなテーマに取り組むとき、いきなり全体の答えを出そうとする人はいない。確かめられる大きさまで問いを分け、一つずつ実験を組んでいく。研究を続けるかどうかも、同じ手つきで考えてよい。分けた問いのいくつかには、思ったより早く答えが出る。答えの出ない問いが残っても、それが何なのかが見えているだけで、迷いの重さはずいぶん変わる。

◾️「べき」をいったん脇に置く
 分ける前に、脇に置いておきたい言葉がある。「べき」である。ここまで来たのだから続けるべきだ。見込みが薄いのだからやめるべきだ。どちらも、それらしく聞こえる。けれども、そこで使われている物差しは、たいてい自分のものではない。指導してくれた先生の物差しであったり、研究の世界で当たり前とされてきた物差しであったり、世間の物差しであったりする。

研究を続けて満足している人も、続けて苦しんでいる人もいる。離れてよかったと言う人も、迷いが残っている人もいる。どちらを選んでも、その後は人それぞれである。だから目指したいのは、正しい答えを言い当てることではない。何年かたって振り返ったときに、「あのときは自分で考えて決めた」と言えることである。

◾️三つの問いに分けてみる
 では、どう分けるか。ここでは三つの問いを置いてみる。

一つ目は、手放したくないのが「研究という営み」なのか、「研究者という立場」なのか、という問いである。わからないことに仮説を立て、確かめていく過程が好きなのか。手を動かしている時間そのものが好きなのか。それとも、研究者でなくなることで、周りの目や自分の誇りが損なわれるのを恐れているのか。営みが好きなのであれば、それを続けられる場所は大学の研究室に限られない。企業の研究開発、公的機関の検査や評価、研究を支える技術の仕事など、形を変えて続ける道がある。立場のほうが気になっているのであれば、その重さを本当に感じているのは誰なのかを、一度確かめてみるとよい。

二つ目は、数年後のある一日を、具体的に思い描くことである。研究を続けた場合と離れた場合のそれぞれについて、朝何時に起き、どこで、誰と働き、夕方をどう過ごしているかを書いてみる。収入や住まいも、わかる範囲で書き添える。頭の中で比べるのと、紙の上で比べるのとでは、見えるものがかなり違う。書くときは、うれしいことだけでなく、気がかりなことも同じだけ書く。研究を続けた一日には、次の任期のための書類を書いている時間が入るかもしれない。離れた一日には、慣れない仕事に戸惑っている時間が入るかもしれない。どちらの一日にも、楽しい時間と重たい時間がある。両方を並べてこそ、比べる意味が出てくる。

三つ目は、続けるなら、いつまで、どんな条件で続けるかを決めることである。次の公募の季節が終わるまで。いま書いている論文が受理されるまで。区切りがあれば、続けることは流された結果ではなく、自分で選んだことになる。区切りが来たら、もう一度この三つの問いに戻ればよい。

◾️「もったいない」という気持ちとの付き合い方
 研究を離れることを考えるとき、多くの人の足を止めるのが「もったいない」という気持ちである。大学院から数えれば十年近く、研究に時間を注いできた人もいるだろう。それを手放すのは、積み上げたものを自分で崩すように感じられる。

ここで役に立つのが、経済学でいう埋没費用という考え方である。すでに払ってしまい、どう選んでも戻ってこない費用のことで、人はこれに引きずられて判断を誤りやすいことが知られている。バス停で三十分待ったのにバスが来ない。歩けば二十分で着くとわかっていても、「ここまで待ったのだから」と、もう少し待ってしまう。けれども、待った三十分は、待ち続けても歩き出しても戻らない。考えるべきなのは、ここから先の時間をどう使うかである。

研究の年月も、続けても離れても戻らないという点では同じである。判断の材料にするのは、過去の年月の長さではなく、これからの年月をどう過ごしたいかのほうになる。もっとも、「もったいない」と感じるのは、それだけ研究を大切にしてきた証でもある。その気持ちを打ち消さなくていい。ただ、気持ちと判断を、同じ皿の上に載せないようにしたい。

◾️年月が残したものを数える
 ただし、過去の年月が消えてなくなるわけではない。むしろ研究をしてきた人は、自分の手元に残っているものを少なく見積もりがちである。

一度、紙に書き出してみるとよい。実験の手技、データの解析、統計の知識、英語で文献を読み書きする力。仮説を立てて確かめる考え方、記録を残す習慣、思いどおりにならない結果をそのまま受け止める姿勢。共同研究者や学会で知り合った人たちとのつながり。そして、論文と学位という形に残ったもの。

書き出したら、それを研究の外でも通じる言葉に置き換えてみる。たとえば「抗体の染色条件を何十通りも検討した」は、「条件を少しずつ変えながら、最適な手順を根気よく探し当てた」と言える。「海外の共同研究先と試料をやり取りした」は、「時差のある相手と、日程や品質の条件を詰めながら物を動かした」と言える。言い換えてみると、研究の年月が、ほかの仕事にもつながる経験の束だったことが見えてくる。(自分では当たり前すぎて書くまでもないと思っていることほど、外では珍しがられる)

◾️決める前に、外を少し見ておく
 問いを考えるのと並行して、研究の外の様子を少しずつ知っておくと心強い。応募するつもりはなくても、研究以外の求人を眺めてみる。先に研究を離れた人に、今の仕事の話を聞かせてもらう。自分の雇用契約書を読み、任期や更新の上限がいつ来るのかを確かめる。家計の数字を書き出し、収入がどこまで下がっても暮らせるかを見ておく。

求人を眺めるときは、職種の名前より、仕事の中身を書いた欄を読むとよい。毎日どんなものを扱い、誰とやり取りし、何で評価されるのか。研究室で自分が毎日していたことと重なる言葉が、思いがけない求人の中に見つかることがある。話を聞かせてもらう相手も、最初は一人で十分である。今の仕事で何がうれしく、何が大変かを尋ねるだけで、求人の文面からは見えない景色が手に入る。

どれも、決断するための作業ではない。見えていないものを見えるようにしておくための作業である。外の景色が少し見えてくるだけで、行き止まりのように思えていた選択が、いくつもある道の一つに見えてくることがある。

◾️疲れ切っているときは
 最後に一つだけ。眠れない日が続いている、何をしても気力がわかない、という状態にあるなら、やめるかどうかを考えるのは少し後回しにしてほしい。まず休み、身近な人や医師などの専門家に、今の状態を話してみてほしい。進む向きを変えるような判断は、少し回復してからでも遅くはない。

***

研究を続ける人と離れる人のあいだに、上下はない。違うのは、これから歩く道だけである。紙の上で比べた二つの一日のうち、もう一度読み返したくなるのはどちらだろうか。その答えが、次に考えることを教えてくれる。

次回は、離れるとしたら「いつ」がいいのか、そして「もう年齢的に遅いのでは」という不安について考える。


ページトップへ戻る

Copyright(C) BioMedサーカス.com, All Rights Reserved.