研究のしまいかた〜バイオ系博士が研究を離れるときに
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第2回:やめるなら、いつがいいのか
研究を離れる方向に気持ちが傾いてくると、次に足を止めることになる悩みは「いつ」と「何歳で」である。論文が投稿中で、プロジェクトも途中にある。年度の途中で抜けたら迷惑をかけるかもしれない。かといって待っているうちに、また一つ年を取る。求人情報に並ぶ「若手」という言葉が、急に目につくようになる。
今回は、時期と年齢という二つの悩みを、順に解きほぐしてみる。
◾️「区切りのいい時期」は、待っていても来ない
研究には、きれいな終わり目がほとんどない。一つの実験が終われば次の実験があり、一本の論文が出れば、その続きの論文が待っている。そこに任期の更新や公募の季節、家族の予定が重なる。すべてが一度にきれいに片づく時期を待っていると、その日はまず来ない。
だから時期は、待つものではなく、選ぶものと考えたほうがいい。選ぶための材料として、これから先の予定を三本の線に分けて並べてみる。
◾️予定を三本の線に分けて並べる
一本目は研究の線である。論文の投稿や改訂の見込み、学会、研究費の報告の時期を書き込む。二本目は雇用の線で、契約の満了日、更新の判断がされる時期、応募したい職の採用の季節を書き込む。三本目は暮らしの線で、子どもの入園や入学、住まいの契約の更新、配偶者の仕事の予定などを書き込む。期間は、これから1年半ほどあれば十分である。
三本を並べると、動きにくい時期と動きやすい時期が、思ったよりはっきり見えてくる。三本がすべてそろう時期は、たいていない。そこで、どの線をいちばん大事にするかを先に決め、ほかの線は準備で補う。たとえば暮らしの線を優先して子どもの入学に合わせると決めたなら、研究の線は引き継ぎの段取りで、雇用の線は早めの応募で補う、というふうに考える。
◾️雇用の区切りを確かめる
雇用の線は、思い込みで描かず、書類で確かめておきたい。
日本の大学や研究機関は年度で動くことが多く、4月に新しい体制が始まる。企業の中途採用は一年中あるが、4月の入社を目指して秋から冬に動く人も多い。退職をいつまでに申し出るかは、契約書や就業規則に定めがあるので、まずそれを読む。法律上は、期間の定めのない契約なら、申し出から2週間で辞められるとされている。一方、任期付きのような期間の定めのある契約では、やむを得ない事情がない限り、期間の途中で一方的に辞めることは原則としてできない。実際には、上司や人事と話し合い、合意のうえで契約を終える形が多い。引き継ぎを考えて、1〜3か月前に伝える人が多い。
任期付きの職を重ねている人は、更新の上限にも目を向けておきたい。日本では、有期の契約が通算5年を超えて更新されると、本人の申し込みで期間の定めのない契約に移れる仕組みがあり、大学や研究機関の研究者にはこれを10年とする特例がある。この年数の手前で更新に上限が設けられることがあり、2024年4月からは、上限があるならそれを契約のときに示すことが雇い主に求められている。自分の契約書に何と書いてあるかを、一度落ち着いて読んでおくとよい。
米国では、いつでも雇用を終えられる契約が一般的で、辞めるときは2週間前に知らせるのが慣習とされる。ポスドクとして在籍できる年数に上限を設けている機関も多い。健康保険が勤め先と結びついていることが多く、在留資格の期限も絡むので、日付は細かく確かめておく必要がある。海外にいる人の事情は、この連載の後半で改めて扱う。
◾️研究の区切りは、自分で線を引く
研究の線には、自分で区切りを入れるしかない。「この論文の投稿まで」「この解析を引き継げる形にするまで」と、自分が責任を持つ範囲を先に決めてしまう。投稿したあとの改訂への対応は、離れてからでも続けられることがある。どこまでを在職中に終え、どこから先を誰に託すのかを、早めに上司と相談しておくと、お互いに無理がない。
伝える順番も考えておきたい。最初に伝えるのは、直属の上司である。同僚や共同研究者がうわさで先に知ってしまうと、上司との話し合いがこじれやすい。辞める理由は、すべてを話す必要はない。次の道に進むことにした、という前向きな一言で足りることが多い。
◾️暮らしの線は、軽く見ない
収入や住まいが変わる時期は、暮らしの都合を優先したほうがうまくいくことが多い。たとえば日本の住民税は前の年の所得をもとに決まるため、収入が下がった年にも、前の年の収入に応じた額を払うことになる。転職の前後に貯えが目減りする時期が来ることを見込んで、数か月分の生活費を手元に置いておくと安心である。お金のことは、第4回でくわしく扱う。
一般には、在職中に次の仕事を決めてから離れるほうが、収入の面でも気持ちの面でも安定しやすい。ただし心身が限界に近いなら、先に離れて休み、回復してから探すという順番も、十分に筋の通った選び方である。
◾️年齢について:変わるのは見られ方
時期の次に重くのしかかるのが、年齢である。三十代の後半や四十代になると、今から新しい仕事を始めるのは遅いのではないか、と感じる人は多い。
年齢は、転職の条件の一つではあるが、越えられない壁ではない。変わるのは、相手からの見られ方である。若いうちは伸びしろや柔らかさが見られやすく、年齢が上がるほど「この人は何ができるのか」が問われるようになる。
制度の面も確かめておこう。日本では、求人で年齢を制限することは原則として法律で禁じられている。例外は、定年の年齢を上限にする場合や、長く育てることを前提に、若い人を期間の定めのない契約で募る場合などに限られる。若手向けの求人が目につくのは、この例外があるからでもある。一方、専門性の高い職や中途の採用の多くは、年齢より経験の中身で判断される。米国では、40歳以上の人を年齢で不利に扱うことが、一定の規模以上の雇い主に禁じられている。履歴書に年齢や写真を載せない慣習もあり、年齢が表に出にくい。ただ、どちらの国でも、年齢に見合った給与を求めると、採用する側が慎重になる場面はある。
◾️経験者であり、未経験者でもある
博士やポスドクは、研究の経験者である。けれども、たとえば事務や営業の仕事に移るなら、その職種としては未経験になる。この二重の立場が、年齢の不安をふくらませている。
ここで大事なのは、年齢とともに評価されるものを知っておくことである。専門の知識の深さ、後輩に教えてきた経験、立場の違う人とのやり取り、締め切りを守る責任感、そして慌てない落ち着き。製薬や医療機器の会社で研究の知識を使う仕事、品質や規制に関わる仕事、技術を説明する営業の仕事、大学の研究支援の仕事などは、研究の年数がそのまま強みになりやすい。
もう一つ大事なのは、新しい職場で、自分より若い人に仕事を教わる場面に、素直に向き合えるかどうかである。これは年齢そのものより、ずっと大きく評価を左右する。最初の給与が下がることを受け入れられるかも、あらかじめ考えておきたい。(研究室で、後輩に機器の使い方を教わった日のことを思い出せば、案外できるものである)
◾️比べる相手を選び直す
年齢の不安が大きくなるのは、多くの場合、比べる相手がずれているからである。新卒で入社した二十代や、同じ会社に長く勤めて中堅になった同級生と比べれば、どうしても遅れて見える。けれども、それは別の道を歩いてきた人との比較である。
比べるなら、同じように研究から別の仕事へ移った人を探してみるとよい。大学のキャリア支援の窓口や、研究者の転職を扱う会社に尋ねると、近い年齢で移った人の例を聞けることがある。そうした例を一つでも知ると、年齢の不安は、手に負える大きさに戻ってくる。
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時期も年齢も、完璧な答えはない。けれども、三本の線を並べ、自分が何を持っているかを言葉にしておけば、「いつ」は自分で選べるものになる。1年待てば一つ年を取るが、その1年を準備に使えば、言葉にできる経験も一つ増える。三本の線のうち、あなたがいちばん大事にしたいのはどれだろうか。
次回は、忙しい毎日の中で考える時間をどう作るか、そして誰に相談すればいいかを考える。

