研究者の声:オピニオン
Tweet2026年1月14日更新
AI共生時代にバイオ研究者はどう生きていくべきなのか
かつて、バイオ系のラボにおいて「実験が上手い」ことは、一流の研究者に必要なとても大事な資質でした。気泡一つ入れずに96ウェルプレートに分注し続ける集中力。Western Blotのゲルを毎回同じクオリティで作成する職人芸。実験動物のマウスの毛並みを見ただけで健康状態がわかる観察眼。それこそが「バイオ研究者の魂」であり、研究室に入ったばかりの新人研究者が実地で学ぶべきことがらでした。
しかし、今そんなことを言っている人はバイオ系の研究業界では化石扱いです。
私がこれまで「若者がバイオ系の実験を敬遠する理由」や「一世代前とは様変わりした研究留学の価値」について綴ってきた中で、常に根底にあったのは「研究という営みの手触りが変わってしまった」という違和感でした。かつての苦労が、現代では単なる「コスト」や「非効率」として切り捨てられる。その急先鋒にいるのが、生成AIや大規模データセットの解析、実験自動化ロボットの台頭です。
「AIが論文を書く」「ドライ解析で新しい分子メカニズムを理解する」「ロボットがスクリーニングを完遂する」。そんなニュースが流れるたび、Wetのラボには隠しきれない動揺が広がっています。もし、私たちの「手」が不要になったとき、研究者のアイデンティティはどこに宿るのでしょうか? サイエンス・コミュニケーターとして、そして今も現役でピペットマンを使っている一人の実験系人間として、この過渡期における「バイオ研究者の生存戦略」を考えてみたいと思います。
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「若者のバイオ離れ」の背景には、テクノロジーの進化が影を落としています。
一世代前の研究者にとって、数ヶ月かけてクローニングに成功したり、徹夜で組織切片を作ったりすることは、何らおかしなところのない日常でした。そして同時に、それは「自分にしかできない仕事」を積み上げる重要なプロセスでした。しかし、今の学生たちは違います。隣の工学部ではAIがコードを書き、シミュレーションで一晩にして数万通りのパターンを検証しているということを、バイオ系のラボに配属となった学生たちですら知っています。
そんな状況で、相変わらず「泥臭い努力」が美徳とされ、再現性の低いマニュアル作業に果たして今の若い人たちはやりがいを感じるでしょうか。「これ、私がやる意味ありますか?」と、学生たちが言っているのを聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。「何を生意気な」と思うあなたは、もしかしたら、すでに老害というカテゴリに足を踏み入れているのかもしれません。この問いは、決して怠慢から来るものではないのです。今の若い人、特に「賢い人」は、自分のリソースが「コモディティ(代替可能な日用品)」化していることに、誰よりも敏感なのです。
AIや自動化技術は、この「マニュアル作業としての研究」を無慈悲に奪い去ってきています。かつて数年かかったタンパク質の構造予測が、AlphaFoldの登場によって数秒で終わるようになったとき、その分野で構造解析の「技」を磨いていた「かつての若者」は何を思ったでしょうか。私たちは認めなければならないのです。技術の進歩は、かつて私たちが「専門性」と呼んでいたものの一部を、単なる「作業」へと変えてしまっていることに。そして、その変化は一方通行で、逆戻りすることは決してありません。
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では、AIに仕事を奪われたWetラボの研究者は、ただの「AIオペレーター(AIの指示のもと動くテクニシャン)」に成り下がるのでしょうか。私は違うと主張したいですし、そうはならないとも思っています。むしろ、ここからがサイエンスの本当の面白さが始まる、「編集者としての研究者」の時代の幕開けだと考えています。
サイエンス・コミュニケーターの視点で見れば、研究の本質は「情報の生産」ではなく「意味の抽出」にあります。
これまでのバイオ研究者は、いわば「翻訳者」でした。自然界の複雑な現象を、実験データという言語に翻訳し、それを論文という形にまとめる。しかし、翻訳(データの生成と整理)の精度と速度でAIに勝てなくなった今、研究者に求められるのは「編集(エディティング)」の力です。
・膨大なデータの中から、どの事象にスポットライトを当てるのか。
・バラバラに存在する知見を、どう繋ぎ合わせて新しいパラダイムを提示するのか。
・そして、その研究が社会に対してどのような「意味」を持つのかを、どう定義するのか。
これらは、論理の積み重ねだけでは到達できない、きわめて人間的な「センス」や「問いの立て方」に依存します。AIは「答え」を出すのは得意ですが、「なぜそれを問うべきか」という動機を持つことはできません。
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一世代前の留学は、そのラボにしかない「秘伝の技術」を盗みに行く修行の旅でした。しかし、技術が標準化・自動化された現在、特定の実験手法を学ぶためだけに海外へ行くリスクとコストは見合いません。
これからの時代の留学、あるいはキャリア形成において重要なのは「コンテクスト(文脈)の越境」です。AIが導き出した最適解は、あくまで過去のデータの延長線上にあります。しかし、異なる文化、異なる専門領域、あるいはアカデミアの外側にあるビジネスやアートの世界と触れ合うことで生まれる「違和感」は、AIには計算できない飛躍を生みます。
「若者がバイオを敬遠する」のは、既存の狭いハコの中での競争に未来が見えないからです。もし、バイオの知見をベースに、AIを使いこなし、社会実装までを俯瞰できる「ハイブリッドな越境者」としての道が示せれば、この分野は再び魅力的なフロンティアになるはずです。
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ここで、私の肩書きであるサイエンス・コミュニケーションの話をさせてください。
これまでのサイエンス・コミュニケーションは、研究成果を一般の人に「わかりやすく伝える」という、いわば「広報」的な役割が主でした。しかし、AI共生時代においては、この機能こそが研究者自身の「生存戦略」の核になると考えています。なぜなら、専門性が細分化され、AIが大量の情報を生成する世界では、「他者を巻き込む力」こそが最大の資産になるからです。
・共同研究者を募る。
・予算獲得のために、社会的な意義を説得する。
・異分野の専門家と共通言語を作る。
・倫理的な議論をリードする。
これらはいずれも、高度なコミュニケーション能力と、「人間が何を求めているか」という深い洞察を必要とします。AIは「正確で綺麗な文章」を出すことはできても、その文章を使って「人の心を動かし、社会を動かす」ことは人間にしかできません。「手を動かさない研究者」は必要です。むしろ、ピペットマンというWetラボの三種の神器を使って泥臭い作業をしてきた人こそが、研究業界を俯瞰することで、次にどの分野を研究するかを見極める新たな「リーダー」へと進化していけるのです。
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このサイトを見ている人の中には、かつてのバイオ系ラボの熱気を覚えている人は多いと思います。独特の薬品の匂い。積み重なった実験ノート。夜遅くに同じラボの人とたわいもない研究論議に花を咲かせた時間。あれを「古き良き時代の遺物」として葬り去るのはあまりにも寂しいです。
しかし、私たちは変化を拒むことはできません。若者がバイオを敬遠するなら、敬遠されないほどに面白い、新しい遊び場を作るしかないのです。私たち人間は、AIを道具として活用し、「もっと面白い問い」と「もっと深い対話」に没頭できる場所を「クリエイト」していかなければいけません。一世代前の先輩たちが、その強靭な体力と精神力で未知の領域を切り拓いてきたように、私たちは「AIという知性」を相棒にして、より複雑で、より人間的な問いに挑む必要があります。
「私たちが本当に知りたかったことは何だったのか?」
その答えを探す姿勢こそが、これからのバイオ研究者に必要なことなのかもしれません。
著者:山岡あかね(サイエンス・コミュニケーター)

