研究者の声:オピニオン



2026年2月22日更新

バイオ研究業界における女性優遇策と、置き去りにされた「世代間格差」

2026年現在、日本のバイオ研究業界はかつてない変革期にある。ダイバーシティ(多様性)の旗印の下、大学や公的研究機関では「女性限定公募」が常態化し、助成金の採択枠にも「女性優先」の文字が躍る。

一見、これは「遅れていた日本の研究環境を近代化する正義の歩み」に見える。しかし、その光り輝く看板の裏側で、ある特定の層が深刻な「構造的割を食っている」事実に、我々はいつまで目を背け続けるのだろうか。

それは、現在30代から40代、まさに研究者として最も脂が乗り、日本の科学の未来を背負って立つはずの「非・特権階級の男性研究者」たちである。

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バイオ研究、特にウェットな実験系において、30代はキャリアの生死を分ける分岐点だ。PI(研究室主宰者)を目指し、任期付き助教や特任講師として死に物狂いで成果を出す。その先に待っているはずの公募の出口が、今、次々と「女性限定」という物理的な壁で塞がれている。

「能力が同等なら女性を」という言葉は、もはや建前に過ぎない。最初から性別を理由に応募すら許されない公募がこれほど増えてしまえば、それはもはや「機会の平等」ではなく、明らかな「属性による排除」だ。私を含む多くの若手男性研究者は、性差別が横行していた時代に恩恵を受けた世代ではない。むしろ、厳しいポスドク問題をくぐり抜け、限られたパイを実力で奪い合ってきた世代だ。それなのに、過去の負債の清算を、なぜ今、最もリソースを必要とする我々の世代だけが背負わされなければならないのか。

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ここで最も憤りを感じるのは、現在の歪な政策によって、実は「最も能力の更新が止まった層」が守られているという皮肉な構造だ。

現在、大学の意思決定層に座る50代後半から60代以上の男性教授たちの多くは、現在のような熾烈な業績争いも、厳しい外部資金獲得競争も経験せずにテニュアを手に入れた人々だ。彼らのような「特権的な地位に安住する高齢男性」がポストを占有し続けているせいで、若手のための椅子が空かない。

それなのに、世間からの「女性比率を上げろ」という圧力に対し、彼らは自らの椅子を譲るのではなく、「これから生まれるはずだった、優秀な若手男性の椅子」を女性に差し出すことで、自らの組織の数字を整えている。いわば、老いた既得権益層が、自分たちの保身のために、若手・中堅男性の未来を「生贄」に捧げているのが今のバイオ業界の縮図だ。

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こうした閉塞感に拍車をかけているのが、ネット上で繰り返される「順調にキャリアを築いた女性研究者」による、現場の苦衷を無視した発言だ。

「女性枠のおかげで採用されたなんて言う男性がいるけれど、それは実力不足の言い訳。今の時代、性別に関係なく優秀ならポストはある。男性優位の歴史に甘えてきたツケを払わされているだけなのに、不満を言うのは見苦しい」

こうした主旨の投稿がSNSで拡散され、炎上する光景は今や珍しくない。私は特定の個人を攻撃する意図はない。「制度の恩恵をフルに享受できた成功者」と「制度の壁に阻まれている現役世代」との絶望的なまでの認識の乖離を主張したいのだ。

彼女たちが語る「正論」は、潤沢な研究費と安定した身分という安全圏から放たれる高みの見物であり、明日をも知れぬ任期付きポストで戦う者たちへの敬意が欠けている。また、現在の若手男性を「過去の既得権益者」と同一視するレッテル貼りは、個人の努力を否定する極めて暴力的な論理だ。成功した側は「自分の成功は100%実力によるもの」と信じたい心理があるため、制度の歪みで割を食っている人の叫びを「泣き言」として切り捨ててしまう。この傲慢さが、本来協力し合うべき研究者コミュニティを分断させている。

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バイオ研究は、AIやIT分野とは異なり、物理的な実験に膨大な時間を要する。マウスの系統維持や長期の細胞培養など、「時間の蓄積」こそが資産となる世界において、不当にポストを奪われるダメージは取り返しがつかない。

若手男性研究者にも当然、育児や生活がある。しかし、彼らには「男性だから」という理由で、女性ほど手厚い復帰支援は用意されていない。実際には、生活への不安とポストのなさに絶望し、静かにアカデミアを去っていく優秀な若手男性が後を絶たない。日本のバイオ研究の地盤沈下は、女性が増えないことではなく、こうした「中核を担うべき層の流出」によって加速しているのではないか。

解決策は、性別による「枠」の奪い合いをやめることにある。

「女性限定」ではなく「ライフイベント支援」への転換が必要である。性別で分けるのではなく、育児・介護に直面しているすべての研究者に対して、研究支援員をつけるなどのリソース配分を行うべきだ。

また、高齢層の流動化にも注意を払うべきだ。能力の更新が止まった高齢教員のポストを早期に開放し、その枠を男女問わず、現代の厳しい競争を勝ち抜いている現役世代に譲る仕組みを作るべきではないだろうか。

そして、プロセスの透明化、すなわち、性別を伏せた状態での業績審査を徹底し、その上でダイバーシティが必要な場合にのみ、最終的な調整を行うようなフェアなルールの確立も望まれる。

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科学の真理を探究する営みに、性別は関係ない。現在、バイオ業界の片隅で、自分の能力が性別という壁に阻まれるのを無力感とともに眺めている若手・中堅の男性研究者たちがいる。彼らの苦労や貢献を「過去のツケ」として切り捨てるのは、あまりにも残酷で、非科学的だ。

我々が守るべきは、特定の属性の「数字」ではない。日本という国から、優れた科学が、そしてそれを生み出す「志ある研究者」たちが消えないようにすることこそが重要ではないだろうか。


著者:ある中堅バイオ研究者(男性)


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