研究者の声:オピニオン



2012年2月5日更新

研究の報道について(4ページ目/全4ページ)

まとめ

 アメリカの報道の内容でも、研究の論文発表に帰することが多いのですが、その内容は、その研究が新たな科学的証拠として有用であるか否か、判断を求める機会と考えるべきでしょう。WHIの研究成果の報告は、まさにそうした役割を果たすもののはずでしたが、常軌を逸した報道がその役割をマスクしてしまいました。

 メディアは、最新の情報を伝える役割のほかに、ある種のPromotionを投げかける役割(media advocacy)を果たします。その2つの役割が混在してしまうと、最新の研究成果が都合よくadvocacyの材料にされるのみで、研究の成果が価値のないものとなり、研究や報道への信頼性を損なうものとなるでしょう。

 本来、研究報告には未熟な点があるもので、1つの研究成果が一般人にとって役に立ち得る内容である可能性は、ほんのわずかです。そのため、研究成果の報道において、問題点が明確にされていない、他の研究と比較検討されていない、そして客観性に乏しい研究成果に関する報道は、望ましいものではありません。従って報道に関して言えること、すなわち読む際にアンテナを張っておくとよいことは、「研究が一人歩きしている可能性」と「客観性・問題点が無視されている可能性」といえるでしょう。

 日本の報道は、一貫して、紹介されている研究報告に関連する過去の研究やその研究の問題点が紹介されない、といった特徴があります。また専門家による客観的なコメントがほとんどありません。どこまで信頼してよいのか、どういった解釈が妥当なのかわかりません。こうした点を踏まえて、欧米の報道内容を読むと、日本の報道サイドが欧米から学ぶべきことが非常に多くあるように感じます。

 食品や食中毒、インフルエンザの蔓延や薬剤の安全性に関する健康、および公衆衛生の報道は、日常の不安や経済活動を動かすほどのものです。報道側は、そうした聴衆のレスポンスの傾向を少なからず考えて、報道の内容を調整していることでしょう。その報道と社会のつながりの中で、科学性は失われてしまいがちです。科学を学ぶ者の視点からすると、内容の改善の余地は多く、これからのメディアの仕組みは、科学者がより貢献しやすい、また互いに評価しあえる状況になればと思います。JaRANの研究者の皆さんもそれぞれの専門性の視点から、種々の報道に関して懸念することがおありかと思います。皆さんの専門家としての客観的なコメントが(ブログなどのコメントではなく)、これからのメディアに広く掲載されることを願っています。

 疫学の研究、最近の報道を例として、記させて頂きました。これから、健康のニュースなどに触れる際は、報道・研究の問題点・可能性・客観性を念頭に消化して頂けたらと思います。

 最後に、客観性の価値を論じながら、勝手気ままな文章を書いていることをお許しください。

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