研究者の声:オピニオン



2012年6月29日更新

科学英語に関して(1ページ目/全5ページ)

著者:今村文昭。米国タフツ大学で栄養疫学の博士号を取得し、現在はハーバード大学公衆衛生大学院の循環器系疫学のグループにリサーチフェローとして在籍。電子メールはfimamura[a]hsph.harvard.edu([a]は@)、URLはhttp://www.hsph.harvard.edu/research/fumiaki-imamura/

お断り:本記事は2010年2月にJaRANのサイトで掲載された研究者コラムを転載したものとなります。記載してある内容は2010年2月の時点での情報です。

■科学英語に関して1:イントロダクション

こんにちは、Harvard School of Public Healthにて疫学を勉強している今村文昭です。専門とは異なりますが、ザックバランなコラムということで、科学英語について触れてみたいと思います。

JaRAN のメンバーの皆さんは、理学・医学・社会学などの分野であっても、渡米されて科学英語を書く機会を得ていることでしょう。在米中に、研究論文はもちろ ん、グラントや本の執筆に尽力される方もいらっしゃるかと思います。ということで、科学英語に関する情報は、皆さんの興味・関心・意欲の琴線に触れるだろ うと考え至りました。英文の執筆の経験は浅いものではありますが、どうぞお付き合いください。

私の科学英語に対する興味の発端は、私のボスが告げた以下のことがあります。

「最近は、PCのおかげで簡単に英文が書けてしまう。以前は、非常に骨の折れる作業だったので、効率よく書けるようにと、パラグラフの構成やトピックセンテンスの考察など、執筆前の準備に時 間をかけた。今の科学者はそうした時間を割かずに執筆し始めてしまうケースが多いようで、良い文章を書くことができる科学者が減ってきている。」 (personal communication with Dr. Paul Jacques)

また、私は2009年にポスドクというポジションを得て、光栄にも査読の機会を得るに至りましたが、医学系の論文において、たとえ集められたデータが強力であっても、(多くは解析から)執筆が原因で、その価値を薄めてしまうものも多いことに驚きました。「もったいない」の一言です。医学研究においては、せっかく価値のあるデータを、患者さんや動物たちから集めたにもかかわらず、(解析と)執筆の段階で、その研究としての価値を損なってしまうのは、倫理に反するのではないでしょうか。

科学者が書く英語の質の問題がどの程度か計ることはできず、巷の議論は存じませんが、英語を母国語とする研究者にとっても問題となる事柄があるようです。そうした点を論じた本や学術論文が古くからありますので、ここに紹介させていただきたいと思います。

皆さんは、"The Elements of Style"という本をご存知でしょうか。とても読みやすく、日本でもアメリカでも人気のある本です。この本の初版は1918年と古いものなのですが、人気を落とさず、未だに高い評価を受けています。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Elements_of_Style
http://www.amazon.co.jp/dp/020530902X
http://www.amazon.com/dp/0205313426

ちなみに、Web上で読むことが可能です。
http://www.bartleby.com/141/index.html
http://www.crockford.com/wrrrld/style.html

こうしたWritingの本などに触れて、私は科学論文の執筆について、次のように考えています。

・母国語が英語の研究者の英文でも、改善の余地がある。
・どの時代の研究者でも、英文の構成などについて問題を抱えている。
・いかなる分野の研究者でも、科学英語に関するトピックを研究者同士でシェアする価値がある。

科学英語を書くことは日本の科学者のみの難題ではないと認識し、学術雑誌を調べてみると、科学の世界でも、昔から科学英語について議論がされていることがわかります。その中から、1954年に有名な科学雑誌であるScienceに引用された文章を紹介したいと思います(Ernest J. Roscoe, On Scientific Writing, Science, 1954;119(3102):851)。

科学者の書く英語の問題点として、皮肉ったものなのですが、原文の出典は不明です。おそらく19世紀の文章ですが、もともと出典不明で、Web上でも多く引用されている文章ということで、原文をここに紹介したいと思います。

Advice to Young Writers
In promulgating esoteric cogitations, and articulating superficial sentimentalities and philosophical or psychological observations, beware of platitudinous ponderosity. Let your extemporaneous descantings and unpremeditated expatiations have intelligibility and vivacity without thrasonical bombast. Sedulously avoid all polysylabic propensity, psittaceous vacuity, ventriloquial verbosity. Shun double-entendre, imprudent jocosity, and pestiferous polluting profanity either obscure or apparent. Don't call names or use big words, but talk plainly, sensibly and truthfully. All of which is remindful of Disraeli's philippic for Gladstone: He was a sophisticated rhetorician inebriated by the exuberance of his own verbosity.

私にとっては、難しい単語ばかりで嫌味のように感じてしまいますが、いかがでしょうか。よく読んでみると、記述されていることが伏線となり、英文自体が自虐的で面白いですね。平易な日本語で以下に意訳してみました。私の訳では、この英文の本質を著しく損なっている可能性がありますのでご注意ください。

「若い筆者へのアドバイス
難解な考え、表面的で明白・軽薄な考え、そして、哲学的・心理学的な観察結果を伝える際には、平凡な内容なのに重苦しい表現をしてしまうことを警戒すること。即席の主張をする際、また故意でなくとも言い訳をする際には、誇張や自嘲を含んだ爆弾発言は避け、解りやすさと潔さを持するように。多音節にする傾向、空虚な反復表現、意味深な冗長表現は、念を入れて避けること。多義表現や軽薄な冗談、曖昧であれ明白であれそれ自体が吐き気をもよおす膿みのような不快な表現は避けること。有名人を取り上げたり、大げさな言葉は避け、率直に、分別良く、誠実に述べるように。こうしたことの全ては、ディズレーリ(英国の政治家)のグラッドストン(同じく英国の政治家)への批判が思い起こされる。彼は溢れんばかりの多弁に酔いしれた凄腕の雄弁家であった。」

私の訳では至らないというのは、たとえば、「吐き気をもよおす膿みのような不快な表現は避けること」という表現そのものが不快なところを、原文はちりばめているのです。そういった解釈を念頭に原文を読んでいただけたらと思います。

冗談めいた文章を紹介いたしま した。次は、後にノーベル賞を受賞することとなる研究者が日本人の科学英語について1960年代に特筆した論文を紹介します。

次のページへ

ページトップへ戻る

Copyright(C) BioMedサーカス.com, All Rights Reserved.