失楽 ー夢から覚めた、その先はー
Tweet第1回(更新日:2014年06月24日)
「アカデミア」その響きに魅せられて
【研究者になりたい】
小さなころから、私の夢は「研究者になること」でした。
昔から、野口英世やエジソンなどの伝記小説が大好きで、暇さえあれば読みふけっていました。
「尊敬する人物は?」
と、聞かれれば
「マリーキュリー」
と即答するような、そんな子供でした。
中学の卒業文集では、愚かにも「T大に行って、ノーベル賞をとる!」と書くような、クソ生意気なガキでした。今思うと、黒歴史でしかありません。
高校ではサイエンス同好会に所属していました。
教科書レベルの、今思えばままごとみたいな実験ばかりでしたが、当時の私はそれなりに満足していました。
大学受験。
薬学部、という学部も「薬剤師になりたいから」という理由からではなく、「薬の研究ができるから」という理由で選びました。
国立の薬学部には「薬学科」(薬剤師免許が取れるコース)と「創薬科学科」(薬剤師免許が取れないコース)の2種類があります。
周りの人が、みんなこぞって「薬学科」を目指す中、私は迷いなく創薬科学科を選びました。
ですから私は、薬学部生でありながら、薬剤師免許の取得資格はありません。
研究者になれなかったら、薬剤師になればいい」
そんな安穏な道は、私にはもう、残されていないのです。
夢破れた今、免許が取れないコースに進んだことに対して、全く未練がないと言えばウソになります。
けれども、日本のアカデミアに対してだけでなく、日本の薬学に対してさえも、嫌気が差しはじめている私にとって、免許が取れる取れないは、もはやどうでもいいのです。
・・・話がそれてしまいましたね。
私の大学の研究室は3年後期に研究室配属があります。この配属は「薬学科」も「創薬科学科」も関係なく、一括して行われ、学生は配属された研究室で卒業までの3年半を過ごします。
長い長い研究生活。
配属当初は、希望に輝いていた瞳を曇らせるには十分な時間。
第1回目の今回は、この研究室配属までの出来事をお話したいと思います
【研究室選び】
3年後期からの研究室配属に向けて、学生は3年前期から各研究室を回りはじめます。
教授に対しメールでアポイントを取り、面談の日時を設定して……と、さながら就活のようです。
ご存知の方も多いと思いますが、理系のアカデミアの研究者を目指すうえで、研究室選びはとても重要なイベントです。配属された研究室によって、今後一生のテーマが決まってしまうと言っても過言ではないからです。
かく云う私も、有機系から生物系、物理系から医療系まで様々な研究室を回りました。
創薬科志望であること、また、アカデミアに残りたいことを伝えると、どこのラボも私が研究室に入ることを歓迎していただけました。
きっと、「国立の薬学部は創薬研究者を輩出してなんぼ」という風潮があったからだと思います。
また、女だてらに「研究者を目指す」と豪語する私が、目新しく映ったのでしょう。
そんな折、ある一つのラボからお声がかかりました。
「研究室選びに迷ってるの? だったら、一度体験においでよ」
私は一も二もなくうなずきました。
このラボこそが、のちに私が配属されることになる研究室でした。
【体験時代】
体験は、1週間程度のごく短期間のものでした。
研究室配属前に、体験に来る。
このラボでは初めての事だったらしく、先輩方の纏う空気が少しだけ浮き足立っていたのを覚えています。
私に対する興味と、それだけではない何か。
恐らく、「よくやるよ」という呆れと「教授に付き合わされて」という憐み。
今思うと、彼らの目線には好意的なものだけではない何かが含まれていたような気がします。
けれど、当時の私はそんなものに気を取られている余裕はありませんでした。
より良い研究室を選びたい。
研究室を知るには実際体験してみることが一番。
折角与えられた絶好のチャンスを無駄にしたくない。
そんな思いでいっぱいでした。
研究室体験は驚くほど順調に過ぎていきました。
指導してくださる先輩も、助教の先生も優しく丁寧に教えてくださいましたし、実験は目新しくて、何をやっても面白く、研究室に行くことが毎日楽しみで仕方ありませんでした。
授業帰りに研究室に寄り、数時間だけ実験して帰る。
そんな風にして、あっという間に1週間は過ぎていきました。
研究室体験の最終日、ボスの部屋に呼ばれました。
「研究室体験はどうだった? 」
恐らくそんな当たり障りのない会話から始まったと思います。
気が付けば話題は移ろい、「海外留学に興味はあるか」という話題になりました。
熱意だけは人一倍だった私は、もちろんこう答えました。
「はい、ぜひ行ってみたいと考えています」
「じゃ、夏休みに行っておいでよ」
「……」
嘘みたいな本当の話。
私のアメリカ留学はトントン拍子に決まりました。