研究者の声:オピニオン
Tweet2012年2月5日更新
研究の報道について(2ページ目/全4ページ)
疫学研究からの問題提起
では疫学の研究に関する報道には、どのような問題があるのでしょうか?この問題について、昨年のアメリカ疫学会(2008年6月シカゴ)において、疫学研究と報道内容とのギャップについて議論が成されました。
そうした議論の代表的なものが、Hormone Replacement Therapy(HRT、ホルモン補充療法)の臨床研究に関する報道です。女性は更年期・閉経を迎えると女性ホルモンが低下し、それと相関して循環器系疾患(その他の慢性疾患も含め)などの発症率が上昇することが知られています。その生理現象から、女性ホルモンを補充するというアプローチが、予防に寄与するであろうという議論が支持されてきたのです。そして、次の論文にありますように、従来からHRTは循環器系疾患の予防に寄与するという疫学研究の結果が多く報告され、臨床試験がないながらもある期間で40%ほどの発症率を下げるという観察結果が得られたのです。 MJ Stampfer and GA Colditz. Estrogen replacement therapy and coronary heart disease: a quantitative assessment of the epidemiologic evidence, Prev Med 1991;20:47-63.
そして、それをきちんと確認しようとWomen's Health Initiatives(WHI)と呼ばれる研究グループが臨床試験を行いました。http://www.nhlbi.nih.gov/whi/
観察研究の種々の問題や限界を考慮して立ち上げられたこの研究は、閉経を迎えた女性を対象者とした、全米規模の非常に大規模な研究です。この研究で、研究参加に同意した人のうちランダムに選ばれた10,000人を越える女性が女性ホルモンの処方を試験的に受け、同等の人数の女性が偽薬(Placebo、プラセボ)の処方を受けました。そして平均5.6年におよぶ経過観察の結果、乳がん、脳卒中、心筋梗塞、動脈硬化の発症率が上昇するということが確認されました。大腸がんや骨折の率は下がるものの、全体としてリスクが上回るということで、けっきょくその女性ホルモンの処方の研究は中止が決定されました。http://www.nlm.nih.gov/databases/alerts/estrogen_alone.html
このニュースは全米を駆け巡り、女性ホルモンの使用の全米の統計にまで影響が出たほどです。(7月10日に行った疫学の勉強会でも岩崎基先生に紹介していただきました。)総合的にみて、リスクが上回るということでメディア側は過剰な報道をし、そして、HRTを処方されている数百万人の女性の不安と混乱が不必要に煽られたことが知られております。 B Fontanarosa and CD DeAngelis, The Importance of the Journal Embargo, JAMA. 2002;288:748-750.
さらに、動脈硬化に由来する疾患については、疫学の存在に疑問を投げかけることとなりました。なぜならば、観察研究と全く逆の結果となったからです。無作為にHRTと偽薬を割り付けた臨床研究であるWHIからは年間の発症率が30%上昇するという結果が得られたのに対し、観察研究からは発症率が40%減少するという結果が得られたのです。
しかし、学術的な報告は、それが公衆衛生上、あるいは臨床上、価値のあるものであるとしても、1つの研究にほかならず、新たな疑問を生むものです。臨床医や疫学者は、このWHIの研究が、なぜこれまでの観察研究の結果と異なるか検討しました。 KB Michaels, Epidemiology and Randomized Clinical Trials, Epidemiology, 2003;14(1):2-10 F Grodstein et al., Understanding the Divergent Data on Postmenopausal Hormone Therapy, NEJM, 2003;348(7):645-650 MJ Stampfer et al.,Commentary: Hormones and heart disease: do trials and observational studies address different questions?, Int J Epidemiol. 2004;33(3):445-467
この報道と研究者の研究結果の捉え方の違いを考えると、報道の1つの特徴(問題)として挙げられるのは、学術雑誌が臨床の問題点や新たな仮説を提起する役割を果たすものであるにも関わらず、あたかも実社会に対する混乱の種のように報道するということが挙げられます。
この研究の後に、HRTの疫学の専門家は、観察研究の結果を再度、解析するなどして非常に合理的な答えを導きました。 e.g. RS Prentice et al., Combined Analysis of Women's Health Initiative Observational and Clinical Trial Data on Postmenopausal Hormone Treatment and Cardiovascular Diseas, Am J Epidemiol., 2006;163(7):589-599
簡単に述べますと、 臨床研究は期間が短く、HRTの試験によれば最初の数年のリスクが高くなり、数年を経るとリスクの上昇は無い 臨床研究の対象者は比較的、年を取っている。 観察研究は健康な女性を対象とし、さらにHRTの使用歴が長い人について検討する。 という点が主な違いとなります。さらに観察研究では、追跡開始時のある因子の効果を検討するために、追跡開始直後に疾患を発症した対象者を解析から除きます。
従って、真の効果が
「若い人に対して、長期間で処方された場合、予防の効果がある」
「閉経を迎えた人に対する短期間の処方では、発症率が高くなる」
ということであれば、観察研究と臨床研究では、結果が異なることになるのです。
そうした仮説に基づいた検討が成され、冠動脈疾患について、観察研究と臨床研究での違いがまさにその通りに説明できることが確認されました。観察研究には観察研究の、臨床研究には臨床研究の利点・弱点があり、結果が異なれば、それなりの理由が潜んでいるものです。WHIの研究成果は、そうした医学的な知見の一端に貢献したのです。
しかし、残念ながら、HRTの研究の後に報告された、再解析の研究成果を含め、疫学的に妥当と考えられる内容は報道されることはありませんでした。
WHIの研究の報道は、1つの研究のみが不必要なほどに注目を浴びた例であり、報道のあり方に疑問を投げかける事例となりました。上記で引用したJAMAのエディターが論じておりますが、学術雑誌とメディアが協力して、報道を規制したり内容の統制が必要といえるでしょう。それから、学術雑誌のポリシー(Ref: http://www.ama-assn.org/public/peer/peerhome.htm)も向上した経緯もあり、WHIほどのセンセーショナルな報道の例は少なくなりましたが、実際に報道の方向性が整えられてきたように思います。